封筒ノ闇ハ誰ノ手ニ
その朝、事務所のポストに無造作に投げ込まれていた一通の封筒。それは茶色く湿気を帯びて、どこか重苦しい空気を纏っていた。宛名は「司法書士シンドウ様」。送り主の名前はなく、筆跡は異様なほど几帳面だった。
封筒を開けると、何の変哲もない白紙が一枚。だが、その白紙の裏面にだけ、うっすらと転写されたような文字が見えた。「この登記は、終わっていない」――それがすべてだった。
封筒一通から始まる静かな恐怖
午前九時の届かぬ依頼
サトウさんは朝の掃除中、封筒を机の上にぽんと置いた。彼女の表情はいつも通り無表情だったが、どこか警戒心が滲んでいた。封筒を見て、すぐに言った。「嫌な感じですね。差出人がない郵便は、大体ろくでもないです」
「ま、俺らが取り扱う案件なんて、ろくでもないものばっかりだけどな」などと軽口を叩きながらも、内心はざわついていた。これは、ただのいたずらではない。
封筒に書かれた差出人不明の名前
白紙の裏に転写された文字。それは「坂巻辰夫」という名義付きの登記識別情報番号だった。どこかで聞いた覚えがある。確か数年前、法務局から突き返された不備のある案件だったような――。
「この名前、どこかに残ってたか?」俺はサトウさんに聞いた。
「坂巻……辰夫。ちょっと調べてみます」サトウさんの指はキーボードの上を舞うように滑った。
調査開始と予想外の一致
依頼人名簿に無い名前
データベースには「坂巻辰夫」の名前はなかった。だが、手書きの古い記録――まだデジタル化されていない古ファイルの山に、一枚だけあった。
そこにはこう記されていた。「坂巻辰夫 名義変更予定 物件所在地:藤枝市谷川三丁目」。登記は未了のまま、中断された案件だった。
「この人、失踪扱いになってたはずです」と、サトウさんが記録の隅に書かれた付箋を指差す。
偶然か陰謀か 同姓同名の謎
藤枝市谷川三丁目――俺の頭の中で、何かが繋がる音がした。同じ住所に、今年に入ってから別件の相続登記の相談があったばかりだったのだ。
「まさか、あの相続人の中に……」
俺はあのとき来た女性の顔を思い出していた。彼女は確かに言っていた。「叔父の登記が放置されていて困っている」と。
サトウさんの推理が冴え渡る
筆跡の揺らぎとコピーの罠
「この封筒の筆跡、特徴的ですね」と、サトウさんはスキャン画像を比較しながら言った。「あの女性が提出した委任状の字と、限りなく似ています」
封筒は第三者によるものではなく、当事者の一人が直接送ってきた可能性が高い。だとすれば、なぜ匿名で?
「たぶん、本人にとってもこれは『警告』なんでしょう」
書類に隠された第二の手紙
再度白紙を照明にかざすと、もう一つの文字が浮かび上がった。「私たちは全てを知っている」
「うわ、都市伝説系?」と俺が茶化すと、サトウさんは即答した。「違います。これは警告というより告発です」
「告発?」
「誰かが、誰かを守ろうとしてる。そしてそれは、法の網を潜ろうとしてる」
封筒の過去を追え
五年前の未解決登記トラブル
坂巻辰夫名義の土地は、五年前の時点で他人に売却されていた。しかし登記は行われていない。購入者は死亡し、現在その妻が未亡人として相続を主張していた。
だが、その登記は受理されていない。不動産の所有者は、書類上まだ坂巻辰夫のままだ。
「やれやれ、、、また死人の不動産か」俺は思わずつぶやいた。
消された所有権移転と失踪届
市役所の記録によると、坂巻辰夫は失踪届が出されていたが、戸籍上の死亡宣告は未申請だった。失踪期間は十分に経過しているにもかかわらず、誰もその申請をしていない。
つまり、彼は「存在しないが、死んでもいない」という宙ぶらりんな状態だった。
それが、封筒の主が伝えたかったことの核心だったのかもしれない。
真相と対峙する午後三時
登記簿謄本に現れた空欄
その日の午後、法務局に確認をとると、登記簿謄本の所有者欄には妙な空欄があった。所有権が移転された形跡はあるのに、その登記は未完。
「もしかして、これって偽造?」俺の声は無意識に漏れていた。
「違います。むしろ、本当の所有者が偽名で処理された可能性があります」サトウさんは冷静に言い放った。
うっかりが導く小さな突破口
俺は古いファイルの山をあさりながら、ある一枚の契約書に気づいた。「これ、印紙貼ってねぇ……」
些細な違反だったが、それが唯一、今の書類と整合しない痕跡だった。
「この書類だけが、本物なんだよ。他は全部……カバーストーリーだ」
司法書士の矜持
地味だが確実な法の手続き
その後、坂巻辰夫の死亡宣告手続きを取り、未亡人の相続登記をやり直す手配を整えた。封筒を送った女性――姪にあたるという彼女は、正しい方法で土地を受け継ぐ意思を示した。
俺の仕事は、ただ法の手続きを整えること。けれど、そこには時折、誰かの人生が詰まっている。
封筒一通がきっかけで、それが明るみに出る。地味だが、それが司法書士の仕事だ。
封筒に詰められた後悔と贖罪
あの封筒は、姪からの悲鳴だったのだろう。間違った登記を強行させようとする親族の圧力に抗いながら、それでも誰かに気づいてほしかった。
紙一枚。それだけで人の一生を変えてしまう世界。それが俺のいる場所だ。
やれやれ、、、サザエさんの世界なら波平さんが「こら!」って一喝してくれるのに。
封筒ノ闇ハ誰ノ手ニ
やれやれ 俺の出番はいつも地味だ
事件が終わり、静かな午後。机の上には、きちんと整えられた登記書類の束と、最後に届いた一通の手紙があった。
「ありがとうございました。あなたに相談してよかった」そう綴られていた。
やれやれ、、、褒められると照れるじゃないか。
だが最後には届く 真実の行方
真実は、封筒の中にあるとは限らない。だが、その封筒を開く覚悟がある者だけが、それを受け取る資格がある。
俺は今日もまた、無骨な書類の山に向かって椅子に腰を下ろした。地味で、誰にも気づかれない戦いが、そこにはある。
司法書士シンドウの一日は、今日も静かに終わっていく。