遺言の資格を問う者
午後の来訪者と不穏な依頼
司法書士事務所の扉が軋んだ音を立てて開いたのは、午後三時を少し回った頃だった。入ってきたのは、黒いスーツに身を包んだ中年の男性。表情には焦りと不安が交錯していた。 「父の遺言書の件でご相談が…」と彼は言い、机に一通の封筒を置いた。
ぼんやりしていたら変な話に巻き込まれた
それまで書類の山に埋もれていた俺は、半ば夢うつつの状態で彼の話を聞き始めた。が、すぐに目が覚めた。 「父は亡くなる三日前に遺言書を作成しました。ただ、正直…そのときの父に判断能力があったのか疑問なんです」 やれやれ、、、これはまた厄介な話になりそうだ。
遺言書を持つ男と失われた記憶
遺言書は公正証書ではなく、自筆証書。日付と署名はあるが、内容は異様に簡潔だった。財産の大部分を、数年前に音信不通だったはずの甥に譲るという。 「その甥とは父の死の三日前に急に現れたんです」 この一言が、妙に引っかかった。
精神鑑定書という名の伏兵
依頼人は、父親の通院記録や精神科での診断書をいくつか持参していた。内容を読んでいると、「軽度認知障害」と記された部分が目に留まった。 作成当時、意思能力があったと判断されるにはかなりグレーな状況だ。これは簡単な確認では済まない。
サトウさんの冷たい視線と一言
「このタイミングで甥が出てくるなんて、まるでサザエさんの波平が急にアナゴさんを養子にするような話ですね」 斜め後ろから放たれた言葉に、思わず笑いそうになったが、サトウさんの顔は真剣だった。 俺があれこれ考えるより先に、彼女は既に何かの仮説に辿り着いているようだった。
被相続人は本当に判断できていたのか
遺言能力を証明するためには、作成当時の様子を証言できる人物が必要だ。 「当日、父と会っていたのは甥と、訪問看護の職員だけでした」 この証言は重要だ。俺はその看護師の所在を調べることにした。
記載された日付に隠された違和感
遺言書に記載された日付は、亡くなる三日前。だが、病院の診療録ではその日は高熱で意識混濁状態だったと記録されていた。 「なあサトウさん、この日、遺言書が本当に書かれたと思うか?」 「真実を書く力がないときに書かれた“遺言”は、ただの紙くずですよ」
元看護師の証言と驚くべき食事メニュー
元看護師への聞き取りで、重要な事実が判明した。 「その日はおかゆも食べられないくらい弱っていて、書くどころか目も開けられなかった」 さらに、配膳記録にも固形物が残されていたとあり、遺言書作成どころではない状態だったことが裏付けられた。
遺言能力の審査官は誰の味方か
このままでは裁判沙汰だ。遺言の有効性を争うには、精神状態の証明が鍵になる。 「第三者の専門家が審査していたなら別だけど…この場合は難しいですね」と、またもサトウさん。 俺は手元の資料を見ながら、ふと一人の名前に目を留めた。
暗黙の共犯者と仕組まれた状況
甥が当日連れてきた「知人の医師」の存在が浮上した。その医師が、簡易的に「正常」と判断したメモを残していた。 だが調べてみると、その医師はかつて依頼人の会社に勤務していた人物だった。 利害関係のある者による判断…これは証明力としては致命的に弱い。
サザエさんの家系図を持ち出すとは思わなかった
「ねえシンドウさん、もしサザエさんで波平が甥に全財産譲るって言ったら誰が暴れると思います?」 「そりゃあフネさんかマスオさんか…」 「つまりそういうことです。家族関係ってのは、そう単純じゃない」 なぜか納得してしまった自分が悔しい。
やれやれ、、、今日も最後は俺か
結局、提出された遺言書は意思能力の立証が不十分と判断され、無効を主張する調停申立てをサポートする形になった。 最後の書類をファイリングし終えた頃には、空は茜色に染まりかけていた。 「やれやれ、、、今日も最後は俺か」と呟くと、サトウさんは一言「最初からでしたよ」とだけ言って、そっぽを向いた。