証人欄の空白

証人欄の空白

開業時間とともに鳴ったチャイム

朝の空気に交じる違和感

午前九時。事務所のドアが開いた瞬間、秋の空気が微かに入り込んできた。書類の山に囲まれながらも、どこか違和感を覚えたのは、その足音がやけに軽かったからだ。相談者は三十代前半と思しき男、スーツのボタンを上まで締めているのが妙に堅苦しい。

相談者の妙な沈黙

「婚姻届の証人欄にご署名いただけますか」と差し出された紙に、思わず目を細める。相手の女性の名前には聞き覚えがあった。黙ったまま俯く男。まるで何かを隠しているような沈黙に、書類以上の重さを感じた。

婚姻届に記された名前

サトウさんが気づいた小さな矛盾

「これ、名字が途中で修正されていますね」と、サトウさんが冷静に指摘した。たしかに、苗字の“田”の横線がやや濃く書き足されていた。普通なら見落とすが、彼女の目はそう甘くない。

旧姓の書き方と苗字の筆跡

筆跡を辿ると、苗字は違う人の手によるもののように思えた。まるで途中で書く人間が変わったかのように。司法書士としての癖で、つい不動産登記の筆跡鑑定を連想してしまう。サザエさんの波平だってこんな不審顔にはなるだろう。

立会人という存在の重み

空白の証人欄

何よりおかしかったのは、証人欄が空白だったことだ。まるで、わざと書くタイミングを見計らっていたように。普通、ここまで来て立会人がいないというのは、計画性に欠けている。あるいは、計算されすぎている。

依頼者の慌てた視線

「い、いま友人が来る予定でして」と弁明する男の目が泳ぐ。嘘をついている人間特有の視線だった。こっちは探偵じゃないが、こういうのには妙に鼻が利く。やれやれ、、、また厄介な案件が舞い込んできたものだ。

記憶の片隅にある一致

登記簿と筆跡の比較

自分でも驚くほどだが、ふと、数年前に扱った相続登記の依頼が脳裏に蘇った。そこで見た筆跡と、いま目の前の届出の文字が妙に似ている。まさか、あのときの女性の名義を勝手に使っているのではないか。

過去の登記から繋がる人物

すぐに旧記録を確認した。ビンゴだった。その女性は依頼者の叔母で、既に亡くなっている。つまり、今提出されようとしている婚姻届の相手女性は存在しない。そうなると、これは完全な偽装結婚、いや、詐欺かもしれない。

サザエさんに似た午後三時の混乱

書類の裏に隠された証拠

コピーを取ろうと書類を裏返すと、控えの紙に走り書きされたメモが目に入った。「資産名義変更完了次第、婚姻無効手続へ」と読める。波平どころかノリスケも顔を青くしそうなレベルの不穏な計画書だ。

コナンではなく司法書士の推理

これはもう「推理」ではなく「事務処理」だが、登記簿と照らし合わせ、資料を整えて警察に提出する準備を始める。コナン君ならすぐ「犯人はあなただ!」と叫ぶところだが、こっちは書類で戦うしかない。

サトウさんの冷静な一言

「この届出は偽造ですね」

書類を前にして、サトウさんが小さくため息をつきながら告げた。「これ、どう考えても正規の婚姻じゃないです」その声は冷たいが、どこかに確信があった。彼女が言うなら間違いない。

嘘を暴くための押印

依頼者が震える手で押そうとしていた印鑑を止めた。「このまま提出すると、公文書偽造であなた自身が捕まりますよ」サトウさんの声が静かに、しかし容赦なく響いた。男はその場に崩れ落ちた。

やれやれ午後もこれからか

渦中の男女の事情

聞けば、相手の女性はすでに失踪していたらしい。残された遺産を狙い、戸籍を利用して資産を横取りしようとしていたという。やれやれ、、、人の愛を金に変える連中は絶えない。

動機と恋愛の裏にある遺産

本当の愛なんてものは、この仕事には縁がない。それでも、たまには誰かの手助けになればと思う。でもそれが偽りだったと知るのは、やっぱり辛い。司法書士ってのは、そういう感情も全部引き受ける役目なのかもしれない。

最後の確認と提出拒否

登録拒否事由としての虚偽

登記官に提出する前に、偽造の証拠一式を整えた。婚姻届の無効を主張する内容を添え、関係各所へ連絡。こういう“登録拒否”もある意味、愛の終わりの形かもしれない。

司法書士の小さな正義

法で裁けないこともあるが、今回はうまくいった。少しだけ世界がマシになった気がする。書類の山に戻りながら、誰に褒められるわけでもない自分の正義を噛みしめた。

サトウさんと沈む夕日

「恋の立会人は荷が重いですね」

ふと窓の外を見ると、サトウさんが片手にコーヒーを持って夕日を眺めていた。「恋の立会人って、やっぱり荷が重いですね」その言葉に、苦笑いしか返せなかった。

苦笑いするシンドウの背中

「まったくだ」と呟いて、コーヒーを一口。肩をすくめて背伸びをする。元野球部の背中も、今じゃただの疲れた背中だ。けれど、少しだけ軽くなった気がした。

次の事件は印鑑証明の中に

ほんの少し残る胸騒ぎ

その夜、机の上に一通の封筒が置かれていた。依頼人不明、差出人の欄に「婚約者」とだけ書かれている。胸騒ぎがした。どうせまた厄介な案件に決まっている。

明日もたぶんトラブルだらけ

封筒を開ける気にもなれず、電気を消した。どうせ明日も早い。やれやれ、、、司法書士に休息なんて存在しないらしい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓