朝の書類に潜む違和感
事務所の机に置かれていた一通の委任状。表面上は問題なく見えるが、どこか引っかかる。登記識別情報の番号が妙に古い気がした。俺の脳裏に小さな警鐘が鳴る。
「この物件、前回の登記はいつだったっけか……」思わず独り言をつぶやく。うっかり見落としがちな俺でも、今回は直感が働いた。
すぐにパソコンを立ち上げ、登記情報提供サービスを確認する。登録免許税はきっちり納められている。だが、それだけに逆に不気味だった。
サトウさんの冷たい一言
「シンドウさん、それ、筆跡が違いますよ」サトウさんが静かに言う。まるで月曜朝の波平のようなテンションで、無慈悲に俺の思考を断ち切る。
「え、そうか? 同じに見えるが……」慌てて比較するも、言われてみれば確かに違う。「やれやれ、、、また面倒な予感しかしないな」
サトウさんはすでに筆跡比較ソフトを起動していた。手際の良さに感動してる場合じゃない。
訂正印が押されていない
委任状の端に、明らかに修正された箇所がある。だが訂正印がない。しかもその部分が「所有者の住所変更」に関する一文で、意図的な改ざんの可能性が高い。
「これは第三者が介入してますね。しかも、手馴れてます」サトウさんの目が鋭くなる。ルパンの峰不二子のように冷静かつ優雅に謎を見抜いていく。
「俺の出番なしか……」とつぶやいたが、そうもいかない。司法書士としての出番は、これからだ。
依頼人が消えた午後
午後一番の来所予定だった依頼人・田代源三は、姿を見せなかった。電話もつながらず、メールにも返信がない。
「ドタキャンか?」と軽く構えたが、何かが違う。登記完了の直前に音信不通とはタイミングが悪すぎる。
郵送されてきた書類一式の消印を見ると、なんと「昨日」の消印が押されていた。つまり、田代は昨日までは確かに行動していた。
予約表に記載された謎の名前
スケジュール表を確認していたサトウさんが、眉をひそめた。「……この欄、『源三』じゃなくて『原三』になってます」
「え?」と見返すと、たしかに「田原原三」という記載がある。誰だ、それ。
「これは……偽名ですね。なぜこんなミスを?」とサトウさんが言うが、俺の中である仮説が浮かび上がった。
やれやれ、、、何かが変だ
登記簿と送付書類の整合性がとれていない。だが形式的には不備がなく、受理されてしまえば完了してしまう可能性がある。
「やれやれ、、、こりゃ、本気で調べなきゃダメだな」ため息交じりに呟きつつ、俺は机の引き出しから懐中電灯を取り出した。理由はない、ただの雰囲気だ。
調査は、まだ始まったばかりだった。
登記簿の筆跡に潜む謎
古い謄本を精査していくと、ある特定のページにだけ違和感があった。署名が、ほんのわずかに傾いているのだ。
「これ、スタンプを斜めに押してますね」サトウさんの観察眼が炸裂する。まるで名探偵コナンの蘭姉ちゃんのハイキックばりの一撃だ。
「誰が押したんだ? 本人の印影とは違うように見える」俺の頭の中に、過去の依頼者リストがよぎる。
旧所有者欄に見覚えのある字
なんと、現在の委任状と、過去の所有者欄の筆跡が一致していた。つまり、旧所有者が今も何かしらの形で関わっているということになる。
「これは……権利関係のやり直しどころじゃないな」
俺の背中に冷たい汗がつたう。まるでサザエさんの中島くんが波平に怒られる時のような心持ちだった。
不一致の中間省略登記
調べれば調べるほど、売買履歴の間にひとつ“幽霊のような”所有者が存在することが見えてきた。
その名義は一度も登記簿に現れず、委任状の署名だけが残されている。実在しない誰かによって、土地が動いていた。
「影だけが署名していた、ってことか」そうつぶやくと、サトウさんがわずかにうなずいた。
封印された土地の履歴
法務局で過去の閉鎖登記簿を閲覧する。すると、問題の土地がかつて金融トラブルの舞台になっていたことが判明した。
そこには、今と同じ偽名が使われていた。これは偶然ではない。
「計画的な偽造グループの仕業だな……」やれやれ、また警察の世話になる羽目になるのか。
名義は動いていないはずだった
不動産の実質的支配者は変わっていない。にもかかわらず、名義だけが踊っていた。これこそが詐欺の核心だ。
「サトウさん、警察への報告、頼めるか?」
「すでにFAXしました。ついでに法務局にも通報済みです」冷静な対応に頭が上がらない。
夜の法務局と不自然な閉鎖
その夜、法務局の一部のシステムがメンテナンスの名目で突如閉鎖された。だが、本当の理由は違った。
「情報漏洩の痕跡があったようです」電話越しの担当者が声をひそめた。
「内部犯か……」俺の疲れはピークに達していた。
待っていたのは一通のファクス
翌朝、事務所に届いたのは警察からの報告書だった。グループの一人が逮捕されたという連絡。
「ようやく動いたか」冷めたコーヒーをすすりながら、俺は書類に目を通す。
その文末には、こう記されていた。「情報提供に感謝」
影の所有権者の名前
登記簿に現れなかった最後の人物。影の所有者と呼ばれていた男の名は、過去に俺が登記を担当したある人物だった。
「……まさか、お前だったとはな」誰にも聞かれないよう、声に出してそう呟く。
すべては最初の一筆から始まっていたのだ。
真犯人の署名
筆跡鑑定の結果、委任状の署名は本人ではなく、グループの一人が模倣したものだった。微細な筆圧の違いが決め手となった。
「まさか筆跡で人生狂うとはな……」犯人の供述が報道に載った。
サトウさんは冷静に「狂わせたのは不動産の価値でしょ」と呟いた。
偽造された権利証
紙の権利証は既に無効となっていたが、それを模倣した書類が詐欺に使われたのだ。電子化の盲点を突かれた形だった。
俺たち司法書士の役割は、こうした見えない「影」を見抜くことにある。誰かがやらねばならない。
「今日の報酬、カットされなきゃいいけどな……」
静かに閉じる登記簿
事件が終わった後も、書類の山は消えてくれない。けれど、今日は少しだけペンの進みが軽い。
「お疲れ様です」サトウさんが帰り際に言った。いつもよりほんの少し声が柔らかかった気がする。
「……おう」俺は椅子の背に体を預け、静かに天井を見上げた。影が署名した事件も、ようやく幕を閉じたのだった。