偽りの執行者

偽りの執行者

不審な遺言書がもたらされた朝

朝、いつものように事務所のドアを開けると、デスクの上に一通の封筒が置かれていた。差出人の名前はないが、宛名は「司法書士 シンドウ様」。胡散臭いと思いながらも、興味本位で封を切った。

中から出てきたのは、手書きの遺言書と、明らかにコピーされた戸籍謄本、そして一枚のメモだった。「この遺言の執行をお願いします。選ばれし者として——」。選ばれし者、ねぇ。なんだこの中二病みたいな文句は。

サトウさんの冷たい視線とコーヒーの香り

「その顔、また厄介事ですか?」と、サトウさんが冷めた目でコーヒーを差し出してきた。朝から人の苦労を見透かしてくるところが実に腹立たしいが、ありがたい。

封筒の中身を見せると、彼女は眉ひとつ動かさずに言った。「これ、偽物の匂いがしますね。特にこの“選ばれし者”ってとこが」。まったくだ。まるで怪盗キッドの予告状だ。

遺言執行者の名前に覚えがない

遺言書に記載された執行者の名前は「タカハシヨウイチ」。まったく聞き覚えがない。しかも、相続人と思しき名前も、どこかで見たような気がするが、登記に関わった記憶はない。

書式だけは丁寧に整っているが、内容はどこか胡散臭い。被相続人とされる人物の死亡日付も曖昧で、日付の字体が他と違うのも気にかかる。サトウさんは無言でスキャンを始めていた。

被相続人の過去を洗う

市役所に戸籍を取り寄せ、法務局の登記情報も照合。そこには「タカハシヨウイチ」という名前は一切出てこない。それどころか、被相続人は生涯独身、兄弟もいないと記載されていた。

「だったらこの“執行者”は誰が選んだのよ」とサトウさん。うん、そこなんだよ。選定の根拠が何もない。公正証書でもないし、証人の署名もない。やれやれ、、、これは骨が折れそうだ。

シンドウ、戸籍をめくる音に疲弊する

昼過ぎには机の上が戸籍の束で埋もれた。パラパラと紙をめくる音だけが静かに響く。目がショボつく。サトウさんはとなりで書類の照合に集中していた。

どうやら、名前を変えて養子に入ったり、婚姻により姓が変わったりして、見えづらくなっている血縁があるようだ。ただ、それが「タカハシヨウイチ」につながる決定的な証拠はまだ見えない。

執行者を名乗る男が事務所に現れる

午後3時、古びたスーツの男が事務所を訪れた。名刺には「遺言執行者 タカハシヨウイチ」と書かれている。うさんくさい笑みを浮かべながら、「あの件、もう進めてますよね?」と一言。

「どの件でしょうか」ととぼけると、男は明らかに動揺した。「え、ええと、あの封筒に入ってた…」。どうやら誰かがこの男を“執行者”として仕立て上げていたらしい。

本人確認書類の矛盾

提示された運転免許証には「タカハシヨウイチ」とあるが、生年月日と本籍が戸籍と一致しない。「再発行したばかりで…」と弁明していたが、裏面の交付履歴も最近すぎて不自然だった。

サトウさんがさっとスマホを取り出し、何やら裏で調べ始める。「この男、SNSで“相続アドバイザー”とか名乗って活動してますよ。行政書士でも司法書士でもないですね」。あちゃー。

サトウさんの一言が突破口になる

「でもこの人、自分が選ばれたって本気で思ってますよ」とサトウさん。思い込みか、もしくは何者かにそう吹き込まれたか。ふと、メモ書きの筆跡と封筒の宛名の字を見比べた。

同じだ。これは本人が自作自演しているか、誰かに書かされたかのどちらかだ。しかも、「この遺言の執行をお願いします」という文面が、実に曖昧だ。

相続人たちの思惑と隠された怨恨

故人の実家を訪ねると、そこには本来の相続人である甥がいた。彼は、かつてその“タカハシ”とトラブルを起こしていたという。金銭問題で絶縁状態だったらしい。

「あいつ、うちの叔父を利用して金をむしり取ってたんですよ」と語る甥。もしかすると、遺言書はその後無理やり作成されたか、改ざんされた可能性がある。

指定された執行者が死亡していたという真実

調査を続けていく中で、驚くべき事実が判明した。実は「タカハシヨウイチ」という名前の人間は、十年前に別件の事件で死亡していた。つまり、今名乗っている男はなりすましだったのだ。

「ルパン三世か何か気取ってるんですかね」とサトウさんが吐き捨てる。サザエさんの波平だったら、その場でげんこつだろう。なりすましにしても、詰めが甘い。

もう一つの遺言書の存在

本棚の奥から古びた封筒が見つかった。そこには「本物の遺言書在中」と殴り書きされた文字。中には公正証書遺言の写しがあり、執行者として記載されていたのは、甥の名前だった。

どうやら亡くなった被相続人は、最期には身内に財産を託そうとしていたらしい。それを邪魔しようとしたのが、今回の“なりすまし”だ。

真の執行者を記した秘密の覚書

封筒にはもう一枚、日記のような紙切れも入っていた。「よく来てくれるあの子に全て任せることにした」と書かれていた。日付も有効で、公正証書の内容とも一致する。

すべてがつながった。騙されかけたのは、相続人ではなく、むしろ司法書士である自分の方だった。やれやれ、、、もう少しで面倒な手続きを始めるところだった。

最後に笑ったのは誰か

偽者の“タカハシ”は詐欺未遂で警察に引き渡された。甥は涙ながらに礼を述べ、静かに故人を見送った。事務所に戻ると、サトウさんが言った。「今回の件、ブログに書いてもいいですか?」

「いいけど、“選ばれし者”とか、ああいう言葉だけは使わないでくれよ」。そう言いながら、僕は椅子に深く腰を沈めた。机の上にはまだ別の登記申請書が積まれていた。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓