名義に潜むもうひとりの顔
うっすらと埃をかぶった封筒が、朝一番の郵便物の山に紛れていた。差出人は見知らぬ名字。けれど宛名は、はっきりと「司法書士 進藤様」とある。サトウさんが無言で差し出すその封筒を手に取ると、妙な胸騒ぎがした。
中には、不動産の共有名義に関する相談が書かれていた。曰く「共有者の一人が既に亡くなっているはずなのに、名義が動かない」と。しかも、その共有者について調べようとすると、なぜか周囲の人間が口を閉ざすのだという。
古びた家に届いた一通の相談状
相談に書かれていた物件は、町はずれにある古びた木造住宅だった。登記上は三人の共有名義。しかしそのうちの一人は、数年前に死亡届が出されているはずだった。
私は念のため住民票除票や戸籍を調べてみたが、驚いたことに死亡の記録が見つからない。それどころか、行方不明になった形跡もない。いわば「生きていることになっている死人」だった。
共有名義という名の静かな火種
一見するとただの古家の名義だが、背後には相続や財産分与、そして人間関係の泥沼が見え隠れする。共有名義とは、時として人を縛り続ける鎖になる。
そして今回は、その鎖の一端に誰かが細工を施しているようだった。私は、司法書士でありながらも、自分が探偵のような気分になっていくのを感じていた。
登記簿に見えない三人目の影
登記簿には確かに三人の名前が並んでいる。しかしその一人は、実際にはこの世に存在していない。だが、誰かがその名前を意図的に残している。なぜか。
私は手元の書類をめくりながら、「この影は、誰かにとって都合のいい存在なのだろう」とつぶやいた。サトウさんが冷めた声で「で、どう動くんですか?」とだけ言った。
サトウさんが見つけた違和感
「この実印の押し方、変じゃないですか?」
サトウさんがパソコン画面を指差した。確かに登記原因証明情報に貼られた印影が、やや斜めに傾いている。しかも、同じ筆跡で記されたはずの署名と微妙に不整合だった。
書類に浮かび上がる偽造の痕跡
私は司法書士会の照会制度を使い、数年前に提出された申請書の写しを取り寄せた。その中の一通に、現在の名義の変更原因となる書類が含まれていた。
そしてそこにあったのは、完全に偽造された遺産分割協議書。三人目の共有者の印鑑は、実在しない人物の偽装だったのだ。やれやれ、、、これは思ったより根が深い。
元野球部のカンが働いた日
高校時代、キャッチャーだった私は、相手の癖を見抜くことには自信がある。今回の件も、どこかにクセが出ているはずだと思った。そしてふと、「押印のタイミング」を示す書類の時系列に違和感を覚えた。
「この印鑑証明書、発行日が登記申請の後になってるぞ……?」普通ならあり得ないミス。それは、意図的に作られた時間差だった。
おせっかいな近所の証言者
物件の近所を訪ねると、いかにも“サザエさん世界の花沢さん”みたいな元気なおばさんが、ぺらぺらと話し始めた。「あそこね、3年前に見たっきり誰も住んでないわよ。亡くなったって噂よ」
おばさんの証言で、三人目が存在しないどころか、完全に“幽霊名義”である可能性が高まった。
土地に埋もれた約束と裏切り
さらに調べていくうちに、三人目の名義は、実はかつての婚約者の父親のものであることが判明した。家族が反対して破談になった後も、彼女が密かにその名義を残していたのだ。
「登記って、過去の感情まで残すのかもしれませんね」とサトウさんがぽつりと呟いた。
消えた共有者と幽霊の電話
相談者のもとに、深夜に無言電話がかかってきたという。その声のない声に、相談者はおびえていた。「もしかして、本当にあの人が…?」
いや、真相は違った。無言電話の主は、遺産を狙う親戚だった。存在しない名義人を「生きている」ことにして、自分の手に不動産を戻す算段だったのだ。
「やれやれ、、、」とぼやきながら
私は手続きを巻き戻し、全ての書類を整理し直した。警察沙汰にする前に、法的手段で全てを元に戻す。それが司法書士の腕の見せどころでもある。
帰り道、自転車のサドルがびしょ濡れになっていた。空を見上げて、「やれやれ、、、」とつぶやいた。サザエさんなら、ここで頭に傘が落ちてきたかもしれない。
決着の一筆は誰のためか
最終的に、偽名義は抹消され、正当な相続人のもとへと権利が戻された。だが、その過程で出てきた古い約束や、交わされなかった言葉たちは、今もこの町のどこかに残っている気がした。
サトウさんの塩対応が事件を動かす
「ちゃんとチェックすれば、偽造なんてすぐバレますよ」
サトウさんはそう言って、タブレットを閉じた。あの冷静な一言が、今回の事件の突破口だったのは間違いない。だが私はそれを褒めず、ただ「コーヒーもう一杯くれ」とだけ言った。
名義が語るもうひとつの人生
人の名前には、過去がある。たとえ紙の上だけでも、その名義が誰かの人生の証明であることを忘れてはいけない。司法書士としての基本を、私は改めて思い出していた。
真実が記された申請書
訂正後の申請書を提出し、法務局から完了通知が届いた。そこには正しい名義と、正しい登記原因が記されていた。少なくとも今は、法の下で真実が勝ったと言える。
すべての登記が終わったあとに
夕暮れの事務所で、一人デスクに戻る。外は虫の声だけが響いている。私はコーヒーをすする。
静けさの中でふと、「共有名義の結末は、いつだって人の心の鏡かもしれない」と呟いた。
今日も一人きりの事務所で
気づけば、サトウさんは先に帰っていた。デスクの上には、きれいに揃えられた明日の書類。
誰かの名前が、また一つ人生のページをめくることになる。そのとき、私はまた黙って印を押す。