古い戸籍謄本と遺言書
依頼人が残した不自然な遺言
朝一番、机に置かれた分厚い封筒を開けると、中から遺言書と戸籍謄本が現れた。依頼主は先週亡くなった老人で、生前に登記の相談を受けていた。遺言書は公正証書ではなく自筆、しかも相続人に宛てた文章の一部がやたらと曖昧だった。
「遺産は“しかるべき者”に相続させる」とだけ書かれていたのだ。名前も書かれていない。こんな遺言が法的に通用するはずもないが、妙な胸騒ぎを覚えた。
封筒の中に忍ばせてあった一通のメモ
もう一枚、手書きのメモが折りたたまれていた。「本籍地 昭和三十六年改製前の記録を確認せよ」とだけ書かれている。依頼主の癖のある字だった。遺言とこのメモ。なにかを託すような意思を感じる。
やれやれ、、、ただの相続登記じゃ済みそうにないな、とため息をついた。
故郷の本籍地に眠る手がかり
サトウさんが見抜いた一文字の違和感
そのメモを見たサトウさんが、さっと戸籍謄本に目を通して言った。「この改製原戸籍、住所はそのままなのに地番が違います。昔の地番と違う記載方法か、あるいは本籍の書き換えかも」。さすがに鋭い。
元の本籍地がどこか、隠されている可能性があるという。ぼくはその地を訪れることにした。
シンドウの記憶と村役場の記録のズレ
旧村の役場に出向くと、古い戸籍簿がまだ保管されていた。だが、昭和三十六年より前の台帳には、依頼主の名前がなかった。代わりに、似た名前の人物が「養子縁組」によって新しい家に入った記録が見つかった。
その時、ぼくの中で点と点が繋がり始めた。
戸籍に刻まれた謎の改製履歴
昭和と平成をまたいだ一族の記録
戸籍を追っていくと、依頼人は幼少期に養子として本家に入っていた。しかし本家の記録には「後日、縁組解消」と追記がある。それにもかかわらず、依頼人はそのまま本家の姓を名乗っていたのだ。
これはつまり、今の戸籍は嘘の上に成り立っていたということになる。
抹消された名前と残された戸籍附票
もう一つ、戸籍附票には見慣れない地名が記載されていた。抹消された前の本籍地に数年間だけ存在していた分家の記録。誰かが故意に消したのだ。サザエさんの波平が名字の由来にこだわるように、戸籍は家の正統性を表す。
消された分家、それが依頼人の真のルーツだった。
やれやれ、、、また妙な依頼に巻き込まれた
司法書士にできることと越えてはいけない線
戸籍の真偽を追うことは、司法書士の業務の範囲を超える。しかし、このままでは遺言も相続も、すべてが虚構の上に成り立ってしまう。それでも、遺された人の未来のために、事実だけは確かめるべきだと思った。
ぼくの気持ちはすでに線を越えていた。
それでも一歩踏み込む決意
依頼人が託したのは遺産ではなく、自分の正しい記録を未来に残すことだったのかもしれない。そう考えると、不自然な遺言の文面にも合点がいった。「しかるべき者」とは、血のつながりではなく、真実を知る資格のある人間のことだったのだ。
真夜中の墓地と旧村地図
封印された分家の真実
旧家の裏手にある墓地に、分家の家系の墓がぽつんと立っていた。そこには依頼人の生みの親の名前があった。「分家の長男として生まれたが、経済的理由で本家に養子に出された」と彫られていた。
やはり、すべては家制度に飲み込まれた記録だった。
石碑に刻まれた別の姓
墓石には、今とは異なる姓が刻まれていた。それが依頼人の本当の名前だったのだ。改製原戸籍と附票、そしてこの墓。証拠はすべて揃っていた。
事実だけが静かにそこにあった。
本籍地に呼ばれた理由
依頼人が隠していたもうひとつの家族
役場の記録には、依頼人が若い頃にひっそりと結婚し、子をもうけていた形跡があった。だが、その妻と子の名前は今の戸籍には記載されていない。つまり、戸籍上は存在しない家族だったのだ。
隠された家族こそが「しかるべき者」だった。
遺言書の本当の受取人
本来なら戸籍に記されていなければ法的な相続権はない。だが、依頼人はその子の存在を証明するため、古い戸籍と手紙、そしてぼくを遺していったのだ。その重みは、法を超えて届いていた。
サトウさんの冷静な一言
「それってつまり、書き換えたのは…」
サトウさんが静かに言った。「改製原戸籍を出した役所の記録、誰かが意図的に情報を抜いてますね」。その通りだった。だが、誰が、なぜ。家の恥を隠すためか、それとも…。
司法書士が気づいた見逃された印影
手紙の端に、うっすらと押された古い印影が残っていた。それは今の依頼人が使っていた印鑑とは違うものだった。つまり、この手紙は依頼人が若い頃、旧姓だったときに書かれたものなのだ。
この印影が、何よりの証拠だった。
真実は紙の下に潜んでいる
戸籍訂正の申立と法的限界
ぼくは依頼人の隠された家族に会い、すべての資料を渡した。彼女は涙をこぼしながら「父の願いが分かりました」と言った。法的な戸籍訂正には時間がかかる。だが、想いはすでに伝わった。
遺産より重い、名前の意味
戸籍とはただの紙ではない。名前とは、その人が生きた証だ。依頼人は、死してようやく自分の名前を取り戻し、愛する者にそれを渡したかったのだろう。
それが司法書士の手を通して叶ったことに、少しだけ誇りを感じた。
シンドウが選んだ結末
形式よりも守るべきもの
今回は登記も手続きもなかった。ただ、ひとつの名前を見つけ出し、それを繋ぐことができた。法の外にある真実を、書類の外側で拾い上げた気がした。
静かに送られた封筒の中身
数日後、一通の封筒が届いた。中には、依頼人の娘が書いた感謝の手紙と、一枚の写真。そこには若い依頼人と妻、そして赤ん坊を抱く姿が写っていた。
この笑顔が、すべてを物語っていた。
本籍地の闇が呼んでいた
司法書士にできる最後の仕事
結局、司法書士にできることは限られている。だが、誰かの人生にそっと寄り添うことはできる。戸籍が語れなかった真実を、ぼくらが言葉にして残すことはできる。
やれやれ、、、それでもやっぱり、司法書士って損な役回りだな。
帰り道に見上げた曇り空
事務所への帰り道、ぼくは空を見上げた。曇り空の向こうに、わずかに差し込む光があった。サトウさんは無言で助手席から外を見ていた。その表情が少しだけ柔らかかった気がした。
また、次の依頼が来る。それまでは、この静けさを味わっておこう。