数字が記憶した犯行
午前九時の来訪者
梅雨明け間近の湿った空気の中、事務所のドアが軋む音を立てて開いた。 「相続のことで相談がありまして……」と名乗ったのは、初老の男性だった。 どこか視線が泳いでおり、口数の少なさが気にかかる。
言葉を濁す相続人
「兄が亡くなりまして……。遺産のことで弟たちと少し揉めていまして」 男の言葉には微妙な間があった。 戸籍と遺産の目録を確認しながら、私はゆっくりと話を聞いた。
通帳に残された違和感
見せられた預金通帳には、亡くなる直前に不自然な出金がいくつかあった。 「お兄様が使ったのかもしれませんね」と私は言ったが、男は首を横に振る。 「兄は寝たきりでしたから……動けるはずがないんです」
シンドウのうっかりとサトウの一瞥
「じゃあ、口座の印鑑は誰が……あれ、どこにしまったっけ」と私は机の中をガサゴソ。 その様子をサトウさんが冷ややかな目で見ていた。 「通帳の後ろ、見ました?」と、あきれた声で言われる始末だ。
遺産分割協議書と三つの数字
男が持ってきた協議書には、相続人が三人と記載されていた。 しかし戸籍を調べると、本来は四人いるはずだった。 「おかしいですね、これでは協議は無効ですよ」と私は指摘した。
昔の固定資産税評価証明
「それならこの不動産も分割の対象ですか?」と男が古びた書類を出してきた。 固定資産評価証明書は10年前のものだった。 だが、そこに記されていた土地の面積と登記情報が微妙に食い違っていた。
ふと気づいた“誤植”の意味
「面積の数字、これ小数点以下が違うな……」と私はつぶやいた。 「それ、登記変更前のままかもしれませんね」とサトウさんが資料をめくる。 どうやら、誰かが意図的に新しい評価証明を隠していたらしい。
売却価格と課税標準のズレ
私は念のため、課税台帳も取り寄せてみた。 そこには昨年の売却履歴が記録されており、価格が異様に安い。 実際の売却はもっと高値だったはずだ。
不一致が語る隠された売買
つまり、登記上の面積をごまかして安く売ったように見せかけ、差額をポケットに入れた者がいる。 問題は、それが誰かだ。 「やれやれ、、、数字ってやつは、正直だな」と私は書類を並べた。
登記簿に現れない売買契約
司法書士の勘が告げていた。 「誰かが売買契約書を作り直してますね。本物は別にあるはずです」 男の額に、にわかに汗が滲みはじめた。
シンドウの推理とサトウの検証
「印鑑の押し方、微妙に違いますね」とサトウさんがスキャンした書類を比較する。 「偽造ですね。コピーした上に朱肉で再度押してる」 その一言で、男の肩がわずかに震えた。
誰も気づかないと思った
「兄が死んでから、不動産を売っても誰にも分からないと思ったんだ」 男の口から出た言葉は、重く、乾いた響きだった。 「家族の誰にも、何も残したくなかった」
数字は見ていた
登記簿も、課税証明も、預金通帳も——数字はすべてを見ていた。 「登記ってのは怖いねえ、嘘をつかないから」と私は苦笑いした。 サトウさんは無言で頷き、黙々と調査結果を報告書にまとめていた。
サトウの冷たい一言と犯人の沈黙
「……バカですね」サトウさんがぼそりと言った。 その一言が、男の胸に鋭く突き刺さったようだった。 何も言い返さず、ただ視線を落とす男の横顔が、少しだけ寂しそうだった。
忙しい午後といつもの珈琲
「はぁ、、、今日も一日長くなりそうだな」 私は椅子にもたれ、ぬるくなった缶コーヒーを一口すする。 その向こうでサトウさんは、何も言わずにデスクに戻っていった。