午前九時の来訪者
疲れた顔の依頼人
朝のコーヒーを一口すすったところで、ドアが開いた。しわの寄ったスーツを着た中年男性が、重たそうな足取りで事務所に入ってきた。「あの……登記のことでご相談が……」
書類を差し出されたが、その封筒の角は擦り切れ、ずいぶん昔から抱えていた問題であることを物語っていた。私は苦笑しながら椅子を勧めた。
「どうぞ、おかけください。聞くだけならタダですから」……と言いつつ、無料相談に限って面倒なパターンが多いのを知っている。
サトウさんの冷静な視線
サトウさんは横目で来訪者と封筒を一瞥し、ため息をついて席を立った。「登記簿謄本も古いですし、公図と照合しますか?」と、既に次の動きを想定している。
その目は鋭く、たまに思う。彼女こそ探偵だったらどれほど心強いか、と。私は頭をかきながら「やれやれ、、、」とつぶやく。
だが、それはいつもの始まりにすぎない。この手の依頼は、得てしてただの手続きでは終わらない。
登記簿と語りのズレ
所在不明の所有者
「この土地の持ち主、祖父の名義のままなんです」と依頼人は言った。「でも父がずっと使っていたし、税金も払っていた」
登記簿を見ると、昭和40年代で止まったまま。しかも住居表示変更前の住所のままで、追跡は容易ではなさそうだった。
私は首をひねる。「それにしても、父上の名義に変える際、なぜ手続きされなかったのか……」その沈黙が、何かを語っていた。
証明書類と空白の年
戸籍をたどると、父の住所が一時期だけ消えている。さらにその間、土地には「仮使用者名義」での電気契約が存在していた。
「語っていた」話と、登記の記録には微妙なズレがある。これはよくある話だが、どこかひっかかる。
サザエさんで言えば、波平さんが持っていたつもりの書類が実はマスオさん名義だった、みたいなズレだ。些細だが、家族の中でも見落とされることはある。
謎の電話と古い契約書
公図にない道
午後、法務局から戻ったサトウさんが、妙な顔をしてファイルを広げた。「この土地、公図では袋小路の奥ですが、現地には小道が接しています」
「道?」私は地図を覗き込んだ。そこに描かれていない道が存在しているという。それは古い時代の開発で、法定外道路になっていたらしい。
そして、その道が別の登記簿にも影響を与えているかもしれない。ますます香ばしくなってきた。
閉鎖登記簿の罠
閉鎖登記簿を閲覧しに行くと、そこには旧所有者が同じ人物名で二重に登記されている記録が残っていた。
名義人は同じだが、ひとつには「亡くなった」と記録があり、もうひとつには「住所変更」の記載があった。まるで幽霊が生き返ったような印象だ。
「二人いたってことですか?」と私はつぶやいた。「あるいは、誰かが語ったカタリ、ですかね」とサトウさんが呟いた。
うっかりの中に光る鍵
野球部仕込みの記憶力
ふと、以前似たような地番の案件を扱ったことを思い出した。あのときも所有者名義が「カタカナ」と「漢字」で二重になっていた。
検索端末に打ち込み直し、「カタカナ」での表記にすると、見事に該当する登記簿がヒットした。
「これだ……」私は思わず声を上げた。「まさかの登記カタリ……表記揺れを利用した二重名義トリックだ」
サトウさんの一言に救われる
「昭和時代の登記って、毛筆で書いてあったりするから、誤記が多いんですよ」とサトウさん。
彼女の口調は冷静だったが、その言葉で私の疑念は確信に変わった。これは偶然の誤記ではなく、誰かが“語った”虚構だった。
「こんな古典的な手口、ルパンでもやらないぞ」と私は半ば呆れながら笑った。いや、逆にあいつなら堂々とやるか。
カタリの正体
二重登記のトリック
結果として、依頼人の父は本当に土地の所有者ではなかった。もう一人の“名義人”が存在し、その人物が残した裏契約書が有効とされた。
だが、その契約書には致命的な欠陥があった。署名の筆跡と、実際の本人のものが一致しなかったのだ。
私は筆跡鑑定を依頼し、その結果を地方法務局に提出した。「これは……偽造だ」と担当者がつぶやいた。
語ったのは誰だったのか
最終的に、語り部は依頼人の伯父だった。遺産分割の際に土地の所有を巡って独断で登記を進め、死後も虚構の名義が残されていた。
「父は知っていたんでしょうか……」依頼人はポツリとつぶやいた。
私は答えず、ただ静かにコーヒーを差し出した。それが、司法書士としてできる精一杯だった。
真実と責任と
依頼人の涙
「これで、父の無念も晴れたと思います」そう言って帰っていった依頼人の背中は、少しだけ軽くなったように見えた。
事務所には、静けさが戻ってきた。私は椅子にもたれながら、窓の外を見つめた。
土地とは不思議なものだ。そこにあるだけで、人の記憶と欲とを引き寄せてくる。
司法書士のささやかな正義
私は司法書士だ。名探偵ではないし、正義の味方でもない。だが、ときにこうして真実の片鱗に触れることもある。
「やれやれ、、、もう少し給料がよければな」と私はこぼした。サトウさんは無言で書類を片付けている。
だがその背中が、どこか誇らしげに見えた気がした。
やれやれ、、、それでも明日は来る
また一歩、登記簿と向き合う
翌朝、机の上には新たな封筒が置かれていた。「古い登記の件で相談したいのですが」と書かれた依頼状だ。
「サトウさん、また登記の迷宮にご招待ですよ」私は背筋を伸ばし、封筒を手に取った。
登記簿には、まだまだ語られていない“カタリ”が眠っている。今日もまた、それと向き合うのだ。