午前九時 事務所に響いた不機嫌な声
「シンドウ先生、また封筒が開いてましたよ。しかも中身が赤ペンで訂正されてます」 サトウさんの低温で鋭い声が、朝の事務所に突き刺さった。 コーヒーを飲む暇もなく、私は封筒の中の登記簿を覗き込んだ。
赤いペンと破れた封筒
破れた角二封筒の中には、申請済みの登記識別情報通知と訂正申請書が入っていた。 だが奇妙なことに、訂正の理由が不自然な赤字で書かれていた。 「なにこれ……事務所でこんな訂正、した記憶ないんだけど」と私は頭をかいた。
登記簿の一角に見えた異変
送られてきた書類を精査すると、名義人欄に訂正が施されていた。 訂正の内容自体は一見正当だが、その筆跡が何とも妙だった。 「この“崎”の字、うちでよく見るあの字に似てるな……」とつぶやいた。
訂正欄に残された異常な筆跡
まるで誰かが真似して書いたような雑さと、どこか執念めいた力強さ。 一画一画が無理に整えられており、機械的というよりは感情的だった。 私は大学時代のミステリー漫画『金田一少年の事件簿』の偽造事件を思い出した。
依頼人の戸惑いと沈黙
該当の依頼人に電話をすると、「あれ、訂正なんてお願いしたかな?」という反応。 何かを隠しているような空気もなければ、嘘をついている気配もなかった。 むしろ完全に無関係という感じで、私はますます首をひねった。
「書いた覚えがない」の一点張り
「先生、もしかして誰かが勝手に訂正して送ってきたんじゃ……」 サトウさんの言葉に、私ははっとする。 「でもそんなこと、誰が……何のために?」 問いは空気に溶けて、答えはまだ見えなかった。
サトウさんの冷たい推理開始
「インクの型番、確認しましょう。文房具マニアの弟から聞いたんです」 サトウさんは冷静にルーペを取り出し、訂正部分のインクを観察し始めた。 私はというと、インクよりも冷めかけたコーヒーが気になっていた。
赤ペンのインク型番を調査
「ZebraのJM20。この型番、うちの事務所には使ってないですよね」 さすがサトウさん、無駄な動きがない。 「まるでキャッツアイの瞳で見抜かれた気分だな……」と思わず口を滑らせた。
過去の登記申請書類との矛盾
過去に同じ物件で処理した書類を引っ張り出してみると、 訂正された内容が、五年前の登記と微妙に食い違っていることに気づいた。 「これ、わざとズラしたのかもしれないな……」と独り言を呟いた。
五年前の名義変更と今回の違和感
五年前の名義人は依頼人の叔母。今回の訂正で叔父になっていた。 だが叔父は当時すでに死亡しており、相続関係上名義変更は不可能なはずだ。 つまり、訂正自体が法的に成り立たないことになる。
シンドウのうっかりと逆転劇
「やれやれ、、、俺が見落としてたなんてな……」 苦笑しながらも、ようやく腑に落ちた。 うっかり書類に捺印してしまいそうになった自分を、思いっきり責めたくなった。
「やれやれ、、、」からの巻き返し
「この訂正、登記官に突っ返されても文句言えないやつだよ」 そう呟きながらも、私はFAXで訂正申請を差し戻す連絡を入れた。 正しい名義と証明書を再提出することで、なんとか処理は回避できそうだった。
郵便局の控えが語った真実
サトウさんが見つけた封筒の裏面には、差出人の印字が薄く残っていた。 ルーペで見ると、消えかけた文字の中に「K・Y」のイニシャルが見えた。 「依頼人の叔母さんの旧姓……一致してるな」と私はつぶやいた。
差出人欄に隠された名前
まるで自分の手で遺産を守ろうとするかのような、静かな意志が見えた。 彼女は相続の不備に気づき、自ら訂正しようとしたのだろう。 だが、その方法は法律上許されないものだった。
赤ペンの正体と静かな告白
後日、依頼人から連絡があった。「叔母が勝手に送ったかもしれません」 やはり、赤ペンの正体は彼女だった。誰にも相談できず、悩んだ末の行動だった。 悪意はなかった。ただ、遺志を正したかったのだ。
義理の姉が抱えていた後悔
「何も知らずに判を押していたら、こっちが罪に問われてたかもな」 そう言った依頼人の声には、わずかな震えがあった。 人は時に、善意で誤った選択をする。それを受け止めるのもまた仕事だった。
真相の行方と法的落とし所
叔母の行為は無効とされ、正式な訂正手続きは司法書士である私が代行した。 家庭裁判所で相続関係の確認を取り直し、名義は適切に修正された。 今回の件は登記官にも報告され、内々に収まることとなった。
錯誤による名義変更の撤回手続
民法95条の「意思表示の錯誤」に基づき、訂正は無効とされた。 善意無過失の第三者が存在しなかったことも幸いだった。 何より、サトウさんの観察眼が全てを救ったと言っても過言ではなかった。
そして今日も事務所に日常が戻る
コーヒーを淹れ直しながら、私はひと息ついた。 サトウさんはいつものように淡々と書類を仕分けている。 まるで何事もなかったかのように、時間がまた流れ始めていた。
それでも書類に赤ペンは必要だ
誰かが間違えた線を引くなら、誰かが正しく書き直さなきゃいけない。 そして、それができるのが司法書士という仕事だと、改めて感じた。 「やれやれ、、、次は青ペンで書き直しかな」私はひとりごちた。