姓が交わらぬ家族の証明

姓が交わらぬ家族の証明

奇妙な依頼はいつも突然に

その朝、事務所に届いたのは一通の封筒と、やたらと几帳面に書かれたメモだった。差出人は市内のとある女性。内容は「戸籍の内容に違和感があるので相談したい」とだけ。いつものように忙しい一日の始まりだったが、なぜかその封筒が頭から離れなかった。

「戸籍の違和感ねぇ……」独り言をこぼしながら、僕はメモの主に電話をかけた。電話口の女性は、何かをためらうように、しかし確信をもってこう言った。「私は本当に“妻”なんでしょうか?」

やれやれ、、、今日もまた妙な依頼が来たようだ。

朝イチの戸籍謄本が告げた違和感

依頼者の戸籍謄本を取り寄せてみて、まず僕が気づいたのは名字の不一致だった。婚姻届が出されているにも関わらず、彼女の名字は旧姓のまま。これは制度上あり得るのだが、問題はそこじゃなかった。

婚姻日と記載された配偶者の名前、それに記載漏れと思しき欄――それは、明らかに「修正されている跡」が見えた。しかも、訂正印の記録が一切残っていない。戸籍がこうも不自然な状態で存在すること自体、珍しい。

まるで“誰か”が意図的に名前を消したかのように。

依頼人の言葉に潜むほころび

「私たちはちゃんと結婚してるんです」と彼女は繰り返した。しかしその「ちゃんと」の中に、わずかな揺らぎを感じた。聞けば、結婚式も写真もない。届けを出しただけだという。いわゆる事実婚とも違う、戸籍上の婚姻だけ。

「でも彼がどうしても私に旧姓のままでいてほしいって……」それは職場の事情だとか、彼の親の希望だとか、色々理由を並べていたが、どれも腑に落ちない。

彼女の目が、なにかを訴えているように見えて、僕はさらに調査を進めることにした。

夫婦なのに名字が違う?

通常、婚姻届けを出せば、夫婦どちらかの名字に統一される。しかし、このケースでは例外が適用されていた。「氏の継続」を理由に旧姓を使うことも制度的には可能だ。

だが、それには明確な届出が必要で、その書類はどこにもなかった。まるで、婚姻関係そのものが“仮装”されていたかのような印象を受ける。

「サトウさん、これは怪しいな。戸籍ロンダリングってやつじゃないか?」と言うと、彼女は鼻で笑って「仮想通貨よりも価値がないですね」と一蹴した。

サトウさんの冷静な指摘

僕が悩んでいると、背後から無音で忍び寄ったサトウさんが、無造作に一言。「これ、元夫の記録が消えてません?」

見ると確かに、依頼者の戸籍には改製された痕跡がある。古い戸籍から現戸籍に切り替わった際、何らかの婚姻記録が削除されている形跡があった。

「一度離婚して、また同じ人と再婚した可能性もあるってことか?」と聞くと、「むしろ逆に、再婚してないフリしてるんじゃ?」とサトウさん。恐るべし塩対応女、鋭すぎる。

婚姻届と戸籍の矛盾を読む

市役所の過去の記録をたどると、依頼者と“同姓同名”の人物が、別人と婚姻していた履歴が見つかった。年月も住所も一致している。これは偶然ではない。

「過去の自分をなかったことにしたいなら、戸籍を切るしかないんですよ」サトウさんの言葉が重く響いた。事実、依頼者は戸籍筆頭者を変えることで、“別人”として再スタートを切ったようだった。

しかし、今回の依頼はその過去を消したはずの「夫」からの圧力が原因で発生していた。

旧姓を名乗る女の秘密

依頼者はかつて、DVを受けた過去があった。その加害者と一度離婚し、新しい戸籍に移ったはずだったが、彼が別の名義で彼女に再接触していたのだ。

「彼は変わったと言ったんです。だから、もう一度信じようと思って……」それは愛ではなく、依存だったのかもしれない。だが、彼女はその“新しい婚姻”を誰にも知られたくなかった。

彼女が旧姓を使い続けたのは、自分のアイデンティティを守る最後の砦だった。

職場にバレたくないという事情

彼女の勤める保育園では、保護者との信頼関係が何よりも大事だった。過去の婚姻歴や、DVの噂が職場に流れるだけで、立場が危うくなることもある。

「だから、結婚したことを戸籍に残しておくことすら怖かった」と彼女は言った。表向きには制度を利用していたが、実際は制度に縛られていた。

僕はそこで気づいた。彼女は法律を“使って”いたのではない、“逃げ道”として利用していたのだ。

調査が導いた奇妙な家族構成

新たに発見された家族構成はさらに複雑だった。戸籍上、彼女の「再婚相手」は別人を名乗っていたが、前夫と同一人物だったのだ。改名と転籍を利用し、過去の履歴を消していた。

「改名すれば過去は変えられる」と言ったその男の言葉が忘れられない。だが、名前を変えても、暴力の記憶は消えない。

彼女が別姓を貫いたのは、自分の過去に名を連ねたくなかったからだった。

戸籍から消された名前

最終的に、僕とサトウさんで突き止めたのは“消された改名記録”だった。家庭裁判所で改名したにも関わらず、正当な理由が残っていなかった。

「これを証拠に、婚姻の無効を申し立てることもできる」と僕は彼女に言った。彼女はただ、少しだけ泣いて、ありがとうと呟いた。

戸籍とは、ただの紙ではない。人生そのものを記す“証明書”だ。

今回の教訓

戸籍や氏というのは、法的には簡単に変えられるかもしれない。でも、名前を変えたからといって、その人が変わるわけじゃない。

別姓という言葉にミステリーを感じるなら、それはまだこの社会が家族のかたちを一つに縛ってるからだろう。制度が先か、人が先か。

「やれやれ、、、司法書士ってのは、まるで名探偵みたいだな」と呟きながら、僕は次の案件ファイルを手に取った。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓