遺言に恋は書けない

遺言に恋は書けない

遺言に恋は書けない

「これが父の最後の言葉だと思うと、納得できないんです」

そう言って机の上に広げられた遺言書には、整った文字で財産の配分が記されていた。しかし、その文末には不自然な余白と、まるで書きかけた何かを途中でやめたような筆跡があった。

依頼人の女性は、涙を堪えながらも、どこか納得していないような眼差しを向けてきた。

依頼人の涙とひとつの遺言書

「先生、父は生前ずっと“あの人”にだけは財産を渡さないと言っていたんです」

“あの人”とは、故人の再婚相手であり、彼の晩年を看取った女性だった。遺言書にはその女性にほぼ全財産を譲ると明記されていた。

「感情的な話かもしれませんが、どうしても納得できないんです」

婚姻届のような遺言状

文面はまるでラブレターか婚姻届のようだった。「これまでありがとう。君と過ごせた晩年は幸せだった」と締めくくられている。財産の話はおまけのようだ。

「まるでコナンのエンディングみたいですね」サトウさんがぼそっと呟いた。情に厚い死に際の犯人が、涙ながらに真相を語るあのシーン。

けれど、司法書士としての私は、感動よりも「不自然さ」が先に立っていた。

書き換えられた最終意思

前の遺言書も確認したが、全く文体が違う。内容はともかく、筆致と語り口が変わりすぎているのだ。まるで別人が書いたようだった。

「遺言って感情が一番出るんですよ。感情が変わっても、口調はそうそう変わらない」

そう私が言うと、サトウさんは「あなたのメールもいつも“とりいそぎ”で始まりますもんね」と言ってきた。皮肉は今日も鋭い。

筆跡に潜む違和感

署名の「高橋」の「高」の字だけが、他の字よりやけに小さく書かれていた。旧姓の癖だろうか、それとも別人がなぞったのか。

「これ、コピーからなぞった字に見えます。線が震えてる」

サトウさんの観察眼は、私の老眼とは段違いである。やれやれ、、、どっちが司法書士なのやら。

遺言執行と恋愛感情の狭間

財産の問題に、感情が乗ると事態は複雑化する。愛と恨みと、最後の感謝の気持ち。何を信じるべきか。

「形式は整ってるけど、本当にこれが意思なのか?」

我々は、手続きを進める前に、もう一歩踏み込んで調べることにした。

好きだった それだけです という言葉

故人の書棚に残されていた未送信の手紙のコピーには、短く「好きだった それだけです」と書かれていた。

それは、現在の遺言のように長々とした美辞麗句ではなく、むしろ真実味があった。

だが、それには「財産」という言葉は一切なかった。

サトウさんの観察眼が見抜いた矛盾

遺言書の日付と印影は一致していた。しかし、同じ日に発行された印鑑証明の住所と、遺言に書かれた住所が違っていたのだ。

「普通、印鑑証明をとった日には、ちゃんと現住所を書くはずです」

一見小さなミス。だが、ミスのある書類ほど真実を教えてくれることもある。

旧姓と新姓のミスに込められた意図

再婚相手の名前も、なぜか旧姓で書かれていた。

「もしかして、故人は再婚を後悔していたのかも」

だとしたら、この遺言は誰が、何のために書いたのだろうか。

シンドウのうっかりが突破口になる

私は相続関係説明図を作り直す際、うっかりミスをしてしまった。古い戸籍をひとつ飛ばして印刷していたのだ。

しかし、それを見ていたサトウさんが「これ、逆に面白いかも」と言い出した。

飛ばしたその戸籍には、まさに「隠された存在」が記録されていたのだ。

謄本の片隅にあった一文字の意味

戸籍の「備考欄」に、「除籍」とだけ書かれていた女性の名。それは依頼人が話していた「本当の母親」の名前だった。

除籍と記載されていたが、その日付と遺言の日付が一致していた。

つまり、何かの意図があって抹消された可能性がある。

浮かび上がるもう一通の遺言書

再調査の結果、故人が残していたもう一通の公正証書遺言が見つかった。

そこには明確に「全財産は長女に」と書かれていた。問題の女性の名前は一切出てこない。

この遺言こそが本物であり、後に出された私文書のほうが、どうやら偽造されたものだったようだ。

故人が最後に選んだ「証人」

その公正証書遺言には、証人として書かれていた名前の中に「磯野カツオ」の名前があった。

もちろん偽名だが、我々の世代にはピンとくる。ちょっと抜けてるけど、憎めない。あのキャラクター。

まるで「本物と偽物」の見分け方を、茶目っ気で教えてくれたかのようだった。

恋は相続できないが証明できる

「恋は感情であって、権利ではない」

それが、司法書士として出した一つの結論だった。遺言は愛の手紙ではなく、法的文書である。

そして、依頼人が涙をこらえながら「父らしい」と微笑んだとき、私の肩の力もようやく抜けた。

過去と今をつなぐ想いの行方

亡き父が本当に託したかったのは、財産ではなく、家族を守るという意思だったのかもしれない。

遺言に書けなかった「恋」の部分は、残された人の記憶にだけ宿る。

法はその補助に過ぎないのだ。

やれやれ、、、恋愛まで法で裁くのか

事務所に戻って、ようやく一息ついたところで、サトウさんがポツリと呟いた。

「先生、結婚とか考えたことあります?」

「やれやれ、、、また難しい話になりそうだな」

サザエさん的家庭崩壊寸前からの復活

依頼人の家庭はギリギリのところで修復された。まるでサザエさん一家がドタバタの末、なんだかんだで笑って終わるように。

一通の遺言が、家族の未来を変えたのだ。

そういう意味では、遺言に「恋」を書かなくてよかったのかもしれない。

真実を記したのは封筒の裏だった

事件が終わった数日後、依頼人から感謝の手紙が届いた。

封筒の裏には、ボールペンで走り書きの一文があった。

「父が最後に笑った日、先生の前だったそうです」

最後の言葉は「ありがとう」だった

私たちは恋を扱う専門家ではない。

だが、時に人生の一番大事な場面に立ち会うことがある。

「やれやれ、、、次は離婚届のトラブルかもな」と呟きつつ、私は机の上の書類を片付けた。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓