朝の一通の不審な封書
八月のじめっとした朝、事務所に届いた一通の封書。差出人の名前も記載もなく、表にはただ「至急確認願います」とだけ赤字で記されていた。こういうのは大抵ロクな内容じゃない。
中身を開くと、そこには「婚姻届 不受理通知」の写し。添えられた手紙には、「この書類が真実を語ってくれると信じています」とだけあった。差出人の気配が全く感じられない文面に、どこか薄気味悪さを感じた。
差出人不明の不受理通知
この書類、実際の手続きを経て発行された正式な通知であることは確かだった。提出された婚姻届が本人の意思によらない、もしくは何らかの問題があると判断された場合に市役所が発行するものだ。
だが、奇妙なのは通知が相手方にも自分にも届いていないということ。誰が、どこから、この写しだけを事務所に送り付けてきたのか。悪戯か、それとも。
サトウさんの冷静な分析
「これ、封筒の折り目、横にずれてますね。家庭用のプリンタでしょう。しかもトナーが市販品っぽい色抜けです」──サトウさんの観察眼にはいつも舌を巻く。
私が封筒の匂いを嗅いで「古紙っぽい匂いがする」と言ったとき、無言で目をそらされたのは内緒だ。やれやれ、、、。
婚姻届が却下された理由
通知によると、届け出人は「高梨早苗」と「青山聡一」。しかし、調べてもこの名前で実在の婚姻届が提出された記録が見つからない。つまり、この通知は実際に処理されたものではなく、コピーされ、意図的に送りつけられたものだ。
何のために?誰に見せるために?その目的は不明だが、何かのメッセージであることは確かだった。
相談者の涙と沈黙
その日の午後、事務所に一人の女性がやってきた。肩までの髪に、白のシャツワンピース。泣きはらした目に、未練のにじむ影が見えた。
「先日、婚約していた人が急に音信不通になって……それからこの書類が届いたんです。婚姻届なんて出してません。出せてません」
過去に何があったのか
彼女の名は高梨早苗。通知に記載された名前と一致した。彼女の話によれば、婚約者の青山聡一は元々旧家の出身で、結婚には家の承認が必要だったという。
「でも、急に彼から“やっぱり無理だ”って連絡が来て、そこからパタッと消息が……」早苗さんの手が震えていた。まるで、自分の存在ごと抹消されたかのような感覚だったのだろう。
戸籍と登記の交差点
この事件、単なる恋愛沙汰では終わらない気がした。私は法務局で青山聡一の名義になっている不動産登記を調べてみることにした。案の定、そこには奇妙な動きがあった。
彼の名義だった物件が一ヶ月前、突然の贈与によって第三者に移転されていたのだ。相手の名前は「青山辰己」。聡一の父親だった。
嘘をつくための正しい手続き
つまり、聡一は父親の名義に戻すことで財産の整理を済ませ、結婚を回避したということか? それにしては手が込みすぎている。何かが隠されている。
「おそらく、正式に不受理申出を出したのは父親でしょうね。本人が届け出たように偽装して。」サトウさんの冷たい声が刺さる。
破り捨てられた遺言書の謎
さらに調査を進めると、青山家には亡くなった祖父が遺した遺言書が存在していたが、開封前に破棄されたという記録が出てきた。理由は「家庭内で合意により不要となったため」。
だが、遺言書は個人の最終意思であり、合意で破棄されることはまずあり得ない。そこに法の抜け穴を利用した意図的な抹消が見えてきた。
遺志を継ぐ者なき法定相続
結局、祖父の土地も建物も、全てが父親辰己の名義に戻り、婚約破棄とともにすべての“問題”は水に流された形になっていた。だが早苗さんだけが、その水に沈んでいた。
「私は、ただ、彼と一緒にいたかっただけなのに……」その言葉が、妙に胸に刺さった。
シンドウのうっかり捜査開始
さて、問題はここからだ。私の名で、勝手に婚姻届が作成されていた場合、それは文書偽造に該当する可能性がある。調査を進めるうちに、市役所の職員の中に、青山家とつながりのある者がいたことが発覚した。
「登記よりも、紙とハンコのほうがよっぽど重たい時があるんですよ」ぼそりと呟いた私に、サトウさんがチラリと眉をひそめる。やれやれ、、、。
やれやれ、、、また面倒が増えた
本件、刑事事件化するには証拠が弱く、民事での争点も微妙だ。だが、少なくとも早苗さんが「騙されて終わった」と思わずにすむよう、真実を形にして届ける方法はある。
私は、不受理通知の写しを証拠として公正証書にまとめ、彼女の手に渡した。「これは、あなたが存在していた証明です」と言って。
消えた元婚約者の正体
後日、青山聡一は海外転勤という名目で日本を離れていたことが分かった。真相を問いただすことは叶わなかったが、少なくとも彼が早苗さんのことを完全に切り捨てたのは確かだった。
「未練なんて持ってたら、前に進めませんから」早苗さんの最後の言葉に、私は小さく頭を下げた。
最後に選ばれた真実
人の心は登記簿のように整理整頓できない。だが、不受理通知という一枚の紙にも、確かに“想い”が刻まれていた。未練とは、記録に残らぬ感情なのかもしれない。
帰り際、私はサトウさんに「どうして女性って強いのかね」と聞いた。返事はなかったが、彼女の背中が少しだけ揺れたように見えた。