朝一番の来客
秋の気配が漂い始めたある朝、事務所のドアが控えめに開いた。そこに立っていたのは、黒い喪服を着た中年の女性。瞳の奥には不安と怒りが混じっていた。
「父の相続で、ちょっと妙なことがあるんです」と彼女は切り出した。机に置かれたのは、明らかに古びた封筒と一通の遺産分割協議書だった。
書類に目を通した私は、すぐには違和感に気づけなかった。が、それをサトウさんが見逃すはずがない。
黒い喪服と白い手紙
「この筆跡、書いた人が違いますね」とサトウさんは小さく呟いた。彼女は封筒の角に残る朱肉の跡を指差した。「しかもこの印鑑、平成時代のものじゃないですか?」
そう言われてよく見れば、確かに時代錯誤な部分がある。協議書に押された印影は、いまどき見かけない旧型の認印だった。
やれやれ、、、朝から厄介ごとの気配が濃厚だった。
不可解な相続人の順番
協議書に記された相続人の並びに、微妙なズレがあった。本来なら長男が筆頭にくるはずが、次男が先頭に記載されている。
戸籍を確認すると、ある名前が途中で抹消されていた。「除籍」の文字とともに記されたその人物は、依頼人の兄だった。
「兄は亡くなったと聞いていますが、何か変ですか?」と彼女は不安げに尋ねた。うん、変だ。すごく変だ。
戸籍の中の消えた名前
戸籍を読み解いていくうちに、ある時期から兄の動向がまったく記されていないことに気づく。失踪?それとも、、、
さらに戸籍には、兄が亡くなったという記録が一切なかった。つまり法的には「生きている」ことになっていた。
その存在がなかったことにされている。まるで、アニメのブラックジャックに出てくる幻の患者のようだ。
遺産分割協議の違和感
協議書の作成日は父の死亡後わずか3日。しかもその日、依頼人は地方にいた証拠があった。つまり署名できるはずがない。
「誰かがなりすまして書類を作成し、協議した体裁を整えた可能性がある」と私は伝えた。依頼人の表情はますます曇った。
同席していた弟の名前も筆跡が不自然だった。これは全体が仕組まれた芝居ではないかと、私の中の“コナン”がささやいた。
筆跡は確かに本人のものか
筆跡鑑定を依頼しようと提案したが、依頼人は難色を示した。「家族を訴えるなんて、、、」
だが、ここで諦めてはならない。司法書士は書類を扱う職業だ。筆跡にこそ真実が宿る。
私は机の引き出しから、古い登記申請書のコピーを取り出した。それに記された署名と、協議書の署名を見比べると、、、違う。
調査開始と旧家の秘密
依頼人の実家は、町の外れにある古びた木造家屋だった。私は同行を申し出た。依頼人は最初驚いていたが、すぐに了承してくれた。
実家には誰も住んでいなかった。だが、玄関の鍵は変わっていた。中に入ると、物音がしたような気がした。誰かが、いたのか?
仏間の脇に、小さな納戸があった。鍵がかかっていたが、昭和型のもので、ピッキングは、、、いや、それは違法だ。正攻法でいこう。
納戸に眠る古い遺言書
家探し中に、依頼人がふと指差した。「父の机の下、何かあります」引き出しの底板がずれており、その奥に封筒があった。
封筒の中には、数枚の文書。年月日と署名があり、それは明らかに父親の筆跡だった。しかも内容は協議書と異なる。
そこには、「長男に旧家を、長女に現金を、次男には何も渡さない」と明記されていた。
シンドウの逆転の一手
この文書が正式な遺言である可能性は高い。だが、日付が不明瞭だった。私は市役所で死亡届の控えと照らし合わせることにした。
照合の結果、遺言書の方が作成日が新しく、法的に有効と考えられる可能性が出てきた。「申請、止めましょう」と私は伝えた。
やれやれ、、、また書類が増えるじゃないか。胃が痛い。けど、ここで踏ん張るのが“司法書士探偵”の仕事なのだ。
あえて押さなかった申請ボタン
法務局への申請は一時保留にした。協議書の無効を主張し、真正な遺言を使って手続きするため、家庭裁判所への検認申立を急ぐ。
「相続は感情より事実です」とサトウさんが冷たく言い放った。依頼人は複雑な表情で頷いた。
登記の世界に、情けは無用。それでも、やるべきことはきっちりやらねばならない。
サトウさんの冷静な一言
「最初から協議書に違和感がありました」と彼女は事も無げに言った。「捺印の方向が全部揃ってるなんて、不自然すぎます」
そうだ。普通、複数人が押す印影がきっちり横一列なんて、あり得ない。まるでサザエさん一家が全員テレビの前に整列してるようなもんだ。
「人間はもっと雑ですよ」と彼女がポツリと呟いた。
閉ざされた部屋の中の真実
封筒の裏面に、もう一枚の紙が隠されていた。それは遺言書の補足書だった。「兄にはまだ知らせていないが、最後の分割案として…」
そこには、兄に対する謝罪と、土地の権利移転に関する詳細な指示が書かれていた。父は生前、兄に手紙を出していたのだ。
父親なりに、けじめをつけようとしていたことが伺えた。家族の縺れは複雑だが、それでも法的整理は必要なのだ。
結末と静かな別れ
依頼人は、涙を浮かべながら深々と頭を下げた。「ありがとうございました。父の本当の気持ちに出会えた気がします」
私はそれにどう答えるでもなく、ただ軽く頷いた。外はもう、秋の夕暮れが迫っていた。
「さて、サトウさん。今日の報酬は?」と冗談めかして聞くと、「仕事中にピッキングの話をした罰として、缶コーヒー1本追加で」と言われた。