古びたアパートの相続相談
「このアパートを相続したいんです」と、しわがれた声が事務所に響いた。依頼人は年配の男性で、身なりは地味だが目だけが妙にギラついていた。古びたアパートの登記を確認してほしいという話だった。
築四十年は軽く超えていそうな物件で、駅からも遠く、誰がこんなものを欲しがるのかと、内心うんざりしていた。だが、こういう地味な案件ほど妙な落とし穴があるものだ。
依頼者は一人の中年男性だった
名前はイシバシ。職業は不詳。聞けば亡くなった兄から相続したいのだという。だが、印鑑証明も戸籍も持ってきていない。軽くあしらおうとしたところで、サトウさんが静かに睨んできた。
「この人、本気で何か隠してますよ」——サトウさんの言葉には逆らえない。
老朽化した建物に潜む違和感
アパートの写真を見せられた。ひび割れた壁、外れかけた郵便受け、傾いた階段。だが不思議と、誰かが最近まで住んでいたような痕跡が残っていた。カーテンが新しく見える。草も刈られている。
「本当に、亡くなったお兄さんの物件なんですか?」と訊くと、彼は目を伏せた。
法務局で見つけた奇妙な登記記録
久しぶりに自転車をこいで法務局へ向かった。汗だくで登記簿を閲覧すると、確かに被相続人である兄の名前が記載されている。だが、どうにもおかしい。
名義変更が途中で止まっているのだ。しかも、登記の日付が兄の死亡日を超えている。
登記簿に現れた謎の元所有者
さらに過去にさかのぼると、所有者が一度だけ別人の名前になっていた。数ヶ月だけの所有で、その後また兄の名前に戻っている。まるで幽霊のように現れ、消えた持ち主だった。
その人物の住所も職業も不明、登記原因も「贈与」となっているが証拠書類が添付されていない。
抹消されていない抵当権の影
さらに調べていくと、数十年前に設定された抵当権が一つだけ残っていた。通常なら抹消されているはずだ。だが、ここにはそのまま記載されていた。銀行名はすでに存在しない都市銀行。
これは、誰かが意図的に何かを隠そうとした形跡だった。
サトウさんの鋭い指摘
事務所に戻り、ファイルを広げるとサトウさんが腕を組んでいた。「この署名、同一人物じゃないですね」彼女の指摘はいつも核心を突く。
確かに、筆跡は微妙に違っていた。払いの角度、止めの位置、そして何より筆圧がまるで違う。
事務所の空気が一変する瞬間
「兄が亡くなったのは数年前だったはずです。でも、この書類の日付は去年ですよ?」
イシバシの顔色が一気に変わった。沈黙のあと、彼は「俺は知らない」の一点張りになった。
過去の登記に見えた矛盾
同一人物が登記原因証書に何度も署名しているが、時期によって筆跡が違いすぎる。しかも印影まで微妙にズレている。ここまで杜撰な偽造を見破れない司法書士がいたとは思えない。
「まるで、どこかの漫画のような杜撰さですね。サザエさんのカツオの言い訳並みです」とサトウさん。
遺産分割協議書に仕組まれた罠
イシバシが持参した協議書は完璧に見えた。だが、そのあまりの完璧さが逆に怪しかった。全員の署名がそろい、押印も綺麗すぎる。
書式も、まるで最新の司法書士用テンプレートをなぞったようだった。
筆跡の違いが語る別人の存在
サトウさんが拡大コピーしたものを並べる。「こことここ、文字の癖が全然違います」
誰かが複数人になりすまして署名した可能性が出てきた。それも、一人で三役だ。
サインの日付が語る死後の取引
致命的だったのは、協議書に記載された日付が、亡くなった兄の死亡届よりも後だったこと。
死んだ人がサインしたのか? それとも、生きていたことにしたかったのか?
かつての所有者を追って
私はその謎の一時的所有者を探し、戸籍と住民票をたどる旅に出た。まるで探偵漫画のような展開だった。
元野球部の体力を活かして、慣れないヒールの女将に道を尋ねながら町を歩いた。
戸籍と住民票が語る消えた家族
転出記録には、ある女性の名前が残っていた。兄と生前同居していたはずの姪の名前だ。
彼女こそが、贈与を受けた幽霊のような所有者である可能性が高まった。
転出先の町で見つけた過去
調査の結果、彼女は生活に困窮していた。兄の死後、遺産の行方を巡ってイシバシと揉めていたらしい。
「アパートはおじさんに奪われた」と語るその証言が決定打となった。
ひとりの司法書士の過去の過ち
この登記を担当したのは、かつて私が研修でお世話になった老司法書士だった。すでに引退しており、記憶もあいまいになっていたが、帳簿にだけその記録が残っていた。
「あのときは急ぎの案件で、確認が甘かったかもしれん」と彼は言った。
登記ミスか意図的な改ざんか
だが、帳簿にはなぜか本来不要な手数料が加算されていた。まるで、その手続きを急がせるためのワイロのようだった。
司法書士が関与していたとは言わない。だが、誰かの影が見えていた。
旧い判子に刻まれた名前
協議書の印影と一致したのは、かつてアパートに住んでいた姪のものだった。偽造ではない。
問題は、それがいつ押されたのか、そして誰が提出したのかということだった。
依頼者の嘘と真実
イシバシはついに口を割った。「兄が死ぬ前にアパートを譲ると言っていた」と。
だが、その言葉に法的根拠はなかった。そしてそれを無理やり形にしたのが、今回の偽装だった。
語られなかった家族の事情
兄は姪に財産を残したかった。しかし、イシバシがそれを阻んだ。家族の断絶、憎悪、そして寂しさ。
「俺には家族がいなかった」と言ったイシバシの目が少しだけ潤んでいた。
隠された相続放棄の真相
姪は相続を放棄していた。だが、それは脅されて書かされたものだったという証拠が見つかった。
その書類にはサインはあったが、日付と印影が不自然だった。
証人の登場と崩れる偽装工作
元司法書士の証言、姪の話、そして旧い住民たちの証言で、真相は明るみに出た。
登記は抹消され、真の相続人へと戻された。
通帳と印鑑が示す金の流れ
イシバシの口座には、アパートの家賃収入が数年分入っていた。彼はその金を使い込んでいた。
「生活が苦しかったんだ」とつぶやいた声は小さかった。
銀行の取引履歴が語る裏側
通帳には毎月決まった日付で引き出された現金が並んでいた。まるで年金のように。
だが、その金は姪のものだったはずだ。
シンドウの推理が導く真実
こうして、事件は解決を迎えた。登記簿の一枚が、過去の嘘と欲を暴いた。
「やれやれ、、、俺ももう少し早く気づければよかったんだけどな」
すべてのピースが揃う瞬間
バラバラだった証言と書類が一本の線に繋がったとき、なぜか静かな達成感があった。
「まるで金田一少年の謎解き回みたいですね」とサトウさんがつぶやいた。
登記簿が語った最後の証言
一枚の登記簿が、過去を語り、偽りを暴いた。静かだが重い証言だった。
その証言を聞き取ることができたのは、私たち司法書士の仕事の中でも、数少ない誇らしい瞬間だった。