朝の訪問者と違和感
誰にも知られたくなかった話
朝の九時、まだコーヒーも口にしていないというのに、事務所のチャイムが鳴った。 ドアの向こうには、パステルカラーのワンピースに身を包んだ年配の女性が立っていた。 表情は笑顔だが、その目は警戒心と焦りでぎらついていた。
偽名で予約された相談
書類には見慣れない名前
応接室で手渡された相談シートには「田所マリ」とあった。 だが彼女が会話の中で自分を「ユウコ」と名乗った瞬間、サトウさんの眉が動いた。 俺が気づかないふりをして質問を続けていると、後ろから冷たい声が飛んできた。「名前、間違ってますね?」
愛してるの一言を巡る争い
贈与契約か遺言か
「夫が、私に言ってくれなかったんです。最後の最後まで、愛してるって…」 涙を浮かべながら語られた彼女の言葉に、俺はただ黙ってうなずいた。 だが、持参された遺言書の文面には、別の女性の名前が記されていた。
不可解な遺言の条文
修正された形跡と訂正印
第三条、第四条…ページの隅には訂正の跡がいくつも残っていた。 しかも訂正印はすべて同じ位置、同じ筆圧で押されていた。 「これ、第三者がやったなら完全に無効ですね」とサトウさんが冷ややかに言う。
矛盾する二人の証言
もう一人の“愛された女”
数日後、事務所に現れたのは、若く派手な身なりの女性だった。 彼女は「マリさんはストーカーだったんです」と話し始めた。 しかし提出されたLINEのやり取りには、男性の側から送られた「愛してる」の文字が並んでいた。
サトウさんが見つけた古い写真
笑顔の中に隠された真実
押収された遺品の中に、一枚の写真が紛れていた。 そこには、あの朝訪ねてきた女性と亡くなった男性が、仲睦まじく写っていた。 だがその奥には、こっそり写り込んだ影があった。
表と裏の印鑑登録
二重登録のからくり
俺が市役所で調べたところ、まったく同じ印影の登録が別人名義で存在していた。 不正な登記や贈与契約の際に使われる手口だ。 「つまり、どっちが本物の“妻”なのか、わからなくなるように仕組まれてたんです」と俺はつぶやいた。
嫉妬が動機かそれとも策略か
誰が一番愛されていたのか
愛していたのに言えなかった。 愛されたいのに言わせたかった。 そのねじれが、法的な争いに姿を変えていた。
愛の言葉を録音した男
真実はいつも残酷だ
ICレコーダーに残されていた最後の音声。 そこには確かに「ユウコ、愛してる」との囁きがあった。 だが、それを言わせたのが“死の直前”だったというのが恐ろしかった。
小さな封筒とその中身
裁判所への最後のメッセージ
書斎の引き出しから見つかった封筒には、遺言とともに一枚のメモが入っていた。 「財産はどちらにも渡さない。ただ、愛していたのは――」 最後の一文は破られていた。
判を押したのは誰なのか
筆跡と指紋の鑑定
印鑑の押し方、角度、押し直しの痕…。 「これ、まるでサザエさんの波平のように一本毛を足して誤魔化した感じですね」と俺が言うと、 「たとえが雑すぎて意味不明です」とサトウさんが返す。やれやれ、、、
再生された告白の音声
再現された過去の愛
法廷で再生された録音データ。 そこには確かに「愛してる」と繰り返す声があった。 だがそれは、脅され、読み上げさせられた可能性があるとされた。
法務局が明かした真実
登記簿の裏側に隠された操作
登記官の一言で事件は動いた。 「この書類、一度取り下げられて再提出されています」 意図的なタイミング操作。すべては愛の言葉に価値を持たせるためだった。
罪と感情の落としどころ
愛は罪を覆い隠せるか
裁判の結果、贈与契約は無効となった。 しかし刑事責任は問えず、どちらも愛されていたという事実だけが残った。 俺はただ、手続きの終わりを淡々と確認した。
サトウさんの冷たい一言と余韻
「言葉だけで満足するなんて安い女ですね」
帰り際、サトウさんがぽつりと呟いた。 彼女の瞳に映る冷たい光は、誰よりも正確に事件の本質を突いていた。 俺はため息をついて、椅子に身を沈める。「やれやれ、、、今日はコーヒーが冷めちまった」