朝のコーヒーと届いた一通の封筒
朝、いつものようにドリップコーヒーを淹れ、机に広げた書類に目を通していると、一通の封筒がポストに落ちた音がした。差出人のないその封筒は、どこか古びた紙質で、裏に「至急ご確認ください」とだけ赤字で記されていた。中を開けると、一枚の住宅地図と、赤く丸印が描かれた一角のコピーが入っていた。
手書きの地図と赤い丸
地図には昭和時代の縮尺と記号がそのまま残されており、現代の地図とは微妙に違っていた。赤い丸がつけられたのは、どう見ても空き家になっている家だった。「何のことだ……?」と首をかしげながらも、司法書士としての職業病で、地番との照合を始めた。妙に違和感がある。住所と地番が一致していないように見えた。
サトウさんの冷たい推理
「この地図、地番じゃなくて住所で管理してますね。しかも旧字のまま」サトウさんはコーヒーの香りを無視して、机の上の地図を見てため息をついた。「これ、筆界のトラブルですよ、たぶん」僕が「さすがだね」と言うと、「当然です」とバッサリ。塩対応が今日は冷凍レベルだった。
地番と住所のズレ
その土地の登記簿謄本を確認してみると、確かに住所と地番に微妙なズレがあった。昔の分筆ミスか、それとも登記の誤りか。いや、それ以前に、誰かが意図的に地図を操作したようにも思えた。問題の家は空き家だが、名義人は亡くなっていた。相続登記はなされておらず、相続人も不明だ。
その土地は誰のものか
「この土地、相続人未確定です。しかも隣地との筆界が不明確」そうサトウさんが言いながら登記情報を指差した。隣家の表札は「タナカ」になっていたが、登記上の名義は「ヤマダ」となっていた。なにかがおかしい。昭和の地図が間違っているのか、それとも現代の情報が間違っているのか。
古い住宅地図の矛盾
市役所で古い住宅地図を閲覧すると、現在の地番とは違う筆界線が引かれていた。どうやら当時の測量ミスか、調整区域の変更によって線がずれた可能性がある。それが争いの火種になっていたのかもしれない。しかも、例の空き家の裏に、昔は小さな私道が存在していた記録が残っていた。
調査と聞き込みの始まり
「これは一筋縄じゃいかないですね」つぶやきながら、地元の高齢者に聞き込みをすることにした。町内会長の協力を得て、かつてその場所に住んでいたという元地主の老婦人と会うことができた。彼女はお茶を出しながら、あっさりと衝撃的な事実を口にした。
かつての地主の証言
「あそこはね、昔、ウチの敷地だったんだけど、隣の人が勝手に柵を建てたの。裁判とかめんどくさくて、そのまま黙ってたのよ」老婦人は笑いながら話したが、地図の赤い丸と、その証言が妙に一致していた。つまり、あの場所は本来、隣家の土地ではなかった可能性がある。
土地の記憶を辿る
旧登記簿と住宅地図、そして現地の形状を照合し、ドローンで撮影した航空写真とも比較した結果、微妙に境界線が食い違っていることが明確になった。しかもそれは、法務局に提出された地積測量図とは食い違っていたのだ。誰かが意図的に境界を操作した可能性が見えてきた。
突然の訪問者とその正体
夕方、事務所に一人の女性がやってきた。年の頃は三十代後半、黒髪を後ろに束ねた落ち着いた雰囲気。彼女は名刺も出さず、「この地図、見ましたか?」と、例の封筒に入っていたのと同じ地図を取り出した。驚きつつも応じると、彼女は一言だけ言った。「あの場所で兄が死んだんです」
名乗らない女と消えた境界杭
彼女は名乗らなかった。だが彼女の話から、十年前に不審死を遂げた男の話が浮かび上がった。境界杭の下に何かが埋まっていたという噂。その杭は数年前に誰かの手で抜かれていたらしい。調査によって、その杭の周辺が掘り返された形跡があることが判明する。
司法書士が見た地図の罠
司法書士としての感覚が、地図の異常さに気づかせた。古地図と現在の筆界図の間にある「微妙な違い」は、単なる測量誤差では説明がつかない。むしろ、意図的に図面を加工し、登記を利用して他人の土地を自分のものにした可能性がある。いわゆる地面師的な犯行だった。
筆界と地番のわずかな差異
筆界と地番の違い、それは素人には見抜けない盲点である。だが、筆界をわずかに動かすだけで、数坪の土地を合法的に盗める仕組みが存在してしまうのだ。その差異を利用して不動産を売却し、利益を得ていた者がいた。それが、名乗らなかった女性の亡き兄だったという。
土地家屋調査士の言葉
「おそらく測量図は偽造されていますね。見たところ、線の精度が低すぎる」協力を得た土地家屋調査士はそう言いながら、赤ペンで訂正を加えた。偽造された図面は、十年前に出回っていた不動産取引に利用されたものだった。関係者の多くはすでに亡くなっており、闇は深かった。
隠された真実と決着
真相を整理し、役所に訂正登記を申請する書類を提出した帰り道、例の女性が深く頭を下げた。「兄のしたことを償いたいんです。土地は返還します」この言葉を最後に、彼女は再び姿を消した。事件は表沙汰にはならなかったが、地図が語る過去と罪は、確かにそこに存在していた。
家族の争いと地図の意味
結局、相続人たちは和解に応じた。あの土地は元の地主の一族に戻されることとなり、改めて筆界確認が行われた。住宅地図の赤い丸が示していたのは、「ここで間違っている」という警告だったのだ。地図はただの紙切れではない。記憶と、そして罪の証だった。
やれやれ、、、地図が語る嘘
「やれやれ、、、また地図で事件が起こるとはね」そうつぶやきながら、僕は古びた住宅地図をファイルに戻した。サザエさんの波平が怒るように、古い情報は時としてとんでもない騒ぎを引き起こす。けれど、それを解き明かすのが僕の仕事だ。司法書士という地味な職業にも、たまにはヒーローのような瞬間がある。