仮登記簿と過去からの来訪者

仮登記簿と過去からの来訪者

静かな午後の訪問者

エアコンの効いた事務所にカタカタというキーボードの音だけが響いていた。いつも通りの静かな午後。書類の山と向き合っていたその時、ドアがぎいと軋むような音を立てて開いた。

「あの……司法書士の先生はいらっしゃいますか?」と、控えめな声。顔を上げると、スーツに身を包んだ中年女性が立っていた。どこか影のある目をしていた。

届いた一通の内容証明

女性は一通の内容証明郵便を差し出した。差出人は亡くなったはずの伯父の名。しかも日付は、つい先日だった。「これは……どういうことでしょうか?」と彼女は不安げに尋ねてきた。

差出人の名前に見覚えがある気がした。数年前、仮登記の相談に訪れた人物と同姓同名だ。ただし、その人物はすでに死亡の届け出が出されているはずだった。

差出人は誰なのか

不審に思い、私はすぐに登記簿と戸籍を確認するようサトウさんに頼んだ。「本当に死んでるんでしょうね?」と、サトウさんは塩対応で言い放った。まあ、いつも通りだ。

手際よく確認が進められ、仮登記簿の存在と、亡くなったはずの伯父が正式な登記義務者として記載されていることが分かった。しかも、登記は未完了のまま放置されていた。

仮登記簿に残る名前

仮登記簿の記録には、旧姓と思われる名義が残っていた。しかも、登記原因は売買ではなく「和解」とある。ずいぶん昔のもので、私ですら扱ったことのない形式だ。

「やれやれ、、、こりゃまた面倒な案件だ」と私は頭をかきながら椅子に沈み込んだ。目を凝らして見ると、手書きのメモのような記載が、欄外に小さく書き足されていた。

十年前の未完了登記

登記が放置された理由は、義務者が書類に押印せずに失踪したことにあるようだった。名義は移転されないまま、年月だけが過ぎていた。

つまり、今のこの内容証明の差出人が本物であれば、失踪したまま消息を絶っていた人物が戻ってきた、ということになる。

謎の登記義務者の存在

だが、それはおかしい。すでに死亡届も出され、除籍されている人間が、なぜ今になって内容証明を送ってこれるのか?「サザエさんでいえば、波平が急に二人になったようなもんです」とサトウさんが呟いた。

そのたとえ、的確すぎて逆に怖いんだが……。

相談者の嘘と沈黙

再度来訪した女性は、仮登記のことをまるで知らないふりをしていた。だが、やけに書類に詳しく、戸籍の取り方や登記事項証明書の形式にも精通していた。

「何か隠してますね」と、サトウさんが冷たく言った。私は苦笑しつつも、同意せざるを得なかった。嘘の上塗りは、得てしてすぐに剥がれる。

サトウさんの違和感

「先生、この人、本当は相続人じゃないかもしれません」と、サトウさんが囁いた。確かに、発言の端々に妙な矛盾がある。自分が“姪”であると主張するわりに、親族関係に曖昧さが見られた。

調べる価値がある。

日付と登記の矛盾

さらに妙だったのは、仮登記の日付が内容証明の日付と“偶然”にも一致していたことだ。それは偶然ではなく、何か意図を持って合わせられたのではないか。

私は登記官時代の友人に連絡を取った。

登記官の記憶

登記官の古谷は、あいかわらずお菓子を食べながら対応してくれた。「ああ、それたぶん……ウチで誤って仮処理した案件かも」と、ぽつりと漏らした。

仮登記義務者の本人確認資料が不足していたのに、強引に受付だけされた記録があるという。処理は戻されるはずが、なぜか残ってしまったのだ。

旧制度下での処理ミス

十年前といえば、法務局の電子化が移行しはじめた時期。手作業の多かったあの頃なら、記録の曖昧さも納得がいく。だが、それだけでは説明できない点もある。

その“ミス”を逆手に取って誰かが動いている。そう考えるのが自然だった。

一枚の写真が語る過去

件の女性が置いていった古い手帳の中に、折れた写真が挟まっていた。白黒で、山奥の木造家屋と、和服姿の男性。そして、男の背後に写った小さな女の子。

「これ……女の子が本人か?」私は写真を拡大して見つめた。彼女はずっと親族だと名乗っていたが、真実はもっと複雑なのかもしれない。

写っていたもう一人の影

さらに不気味だったのは、写真の隅に、もう一人の人影が写っていたこと。顔がちょうど切れており、誰かはわからない。だがその立ち位置が、まるで誰かを見守るようで、不気味だった。

この影こそが、過去の全ての鍵を握っているように思えた。

隠された相続放棄

戸籍をたどっていくと、ある一人の名が浮かび上がってきた。仮登記義務者の実子。しかし、その人物は相続放棄をしていたはずだった。

だが放棄の記録は存在せず、提出されたはずの書類はどこにも見当たらない。

登記簿にないもう一人の相続人

つまり、相続放棄は“されていない”可能性が高い。であれば、真の相続権を持つのは彼女ではなく、その実子であるはずだ。

彼女の身元は崩れはじめていた。

サトウさんの推理

「あの印鑑、朱肉が古すぎました」と、サトウさんがぽつりと言った。押印されたはずの書類は、実は10年以上前に作られたものを流用していたのだ。

そう、彼女は“差出人”を偽装し、仮登記を故意に動かそうとしていた。

使い込まれた印鑑の正体

印鑑の印影は、昔の契約書に残されていたものと一致していた。だが、今の法定代理人の印ではなかった。つまり、偽装だった。

「彼女、全部わかった上で動いてますよ」とサトウさんは言った。

真実と仮登記の結末

女性は警察に連絡する前に、自ら姿を消した。内容証明の差出人欄も、調べれば架空の住所だった。まるで、怪盗ルパンのように跡形もなく。

だが、登記簿と戸籍は嘘を許さない。真実は必ず書類の中で浮き彫りになる。

シンドウのうっかりと逆転劇

私はうっかり彼女の名義で申請しかけた登記を、ギリギリで回避した。「ギリギリですよ」とサトウさんに呆れられたが、なんとか面目は保たれた。

「やれやれ、、、もう少しで司法書士人生終わるとこだったな」私は深く椅子にもたれた。仮登記は消え、真実だけが、記録として残された。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓