登記簿が導いた虚構

登記簿が導いた虚構

依頼人は午前十時にやってきた

蝉の鳴き声が事務所のガラス越しに響く中、男はドアを開けて現れた。スーツはくたびれており、手には黄色く変色した封筒を握りしめていた。 「すいません、ちょっと登記のことで」と、彼は曖昧な笑みを浮かべて椅子に座った。 その表情に、僕はすでに胸騒ぎを感じていた。

ボサボサ頭の男と古びた書類

男が差し出したのは、十年以上前の売買契約書だった。日付が中途半端に改ざんされており、筆跡も妙に揃いすぎている。 「これ、登記済んでるんですよね?」 そう言いながら彼は手元の封筒をじっと見つめていた。 僕は嫌な予感を覚えながら、サトウさんの方をちらりと見た。

登記簿に刻まれた不自然な所有移転

登記簿を確認してみると、たしかに男が言うとおり移転登記は完了していた。 だがその「直前」の所有者に記録されていた人物が、どうにも引っかかった。 「この名義人、確か、、、すでに死亡届が出ていたはずです」 そうつぶやいた僕の手元で、ボールペンが止まった。

サトウさんの冷たい分析

「偽造ですね、たぶん」 パソコンを打つ手を止めずに、サトウさんがぼそりと呟いた。 彼女の無機質な言葉が、なぜか余計にこの話を現実味あるものにしていた。

「これは偽造ですね」冷静な指摘

「売買契約書の印鑑、他の登記で見たものと違います」 事務所の裏で過去のファイルをめくっていたサトウさんが、証拠を持って戻ってきた。 彼女の鋭い指摘に、僕は思わず「すげえな」と声が漏れた。

司法書士の仕事が始まる

「やれやれ、、、また厄介なパターンだな」 そう口にして、僕は机の上に散らばった書類をかき集めた。 司法書士は法律の門番だ。だが時に、門の前に落ちている“ゴミ”を片付けるのも仕事である。

事件の鍵を握る名義人

本来ならばとっくに姿を消しているはずの人物が、登記簿の中ではまだ“生きて”いた。 その不気味さに、少しばかり背筋がぞっとした。 「この人、確か去年、ニュースになってた失踪者じゃなかったか?」 記憶の断片が、ようやく輪郭を持ちはじめる。

消えた前所有者の謎

調べてみると、案の定だった。名義人の男性は三年前から音信不通となっていた。 親族の証言によれば、「土地を手放すような人じゃない」とのこと。 誰がどうやってこの登記を進めたのか、疑問は深まるばかりだった。

つながらない電話と空き家

名義人が住んでいたはずの家を訪れたが、建物は鍵がかかり、郵便受けにはチラシが溢れていた。 「まるでサザエさんの家からサザエさん一家が全員蒸発したみたいだな」と独り言を言ってみたが、空虚だった。 かすかに揺れるカーテンが、不在の時間の長さを物語っていた。

法務局で見つけた小さな違和感

翌日、法務局の窓口で謄本を再確認した。 そこには「補正あり」の印が、かすかに残っていた。 しかも、その補正の内容が不自然に隠されていたのだ。

補正の痕跡と記録の空白

「補正日:令和三年六月十日」——しかし、その日の補正記録が別帳には存在しなかった。 僕は窓口の職員に訊いた。「この補正、どこに記録されてます?」 彼は渋い顔をして、「記録が消えてるようなんです」と小声で答えた。

登記官の苦い表情

対応してくれた登記官は、明らかに様子がおかしかった。 「いや、これは、、、あまり深入りしない方が」と肩をすくめていたが、 そんな反応が余計に僕の中の何かをかき立てた。

真夜中のコンビニで起きた偶然

帰宅途中に寄ったコンビニで、妙に視線を感じた。 棚の隙間から、男がこちらを窺っている。しかも、手に持っていた封筒は—— 「あれは、登記識別情報?」 僕の司法書士レーダーが反応した。

見知らぬ男が握っていた資料

男は僕と目が合うと、慌てて封筒をポケットに押し込んだ。 その仕草が逆に怪しすぎた。「おい」と声をかけると、男は逃げ出した。 夜道を元野球部の脚力で追いかけたが、角を曲がったところで姿は消えていた。

元野球部の勘が働く瞬間

「逃げ方が素人じゃないな」 高校時代、三塁ベースコーチャーとして相手の癖を読むのが得意だった僕は、 男が“慣れている”逃げ方をしていたことに気づいていた。

土地の真の価値を暴く

後日、ある不動産業者の名刺をもとに調査を進めた。 驚いたことに、その土地は新たな区画整理事業の候補地だった。 事業が公表される直前に名義を変え、安値で買い取っていたのだ。

開発計画と怪しい仲介業者

その仲介業者の名前は、過去にも地上げ騒動で取り沙汰されていた。 曰く「消えた名義人の土地を拾うのが得意」——どんな特技だよ、と内心で突っ込む。 名前をネットで検索すると、裏サイトで“地面師”の名前が出てきた。

司法書士の職域を超えた調査

ここまでくると、もはや登記の世界を飛び越えていた。 だが、依頼人が法を利用して法を破った以上、見過ごすわけにはいかない。 「やっぱり、登記簿って物語だな」と、僕はしみじみ思った。

サトウさんが見つけた裏帳簿

「これ、古いPDFから抜き出しました」 無表情のまま、サトウさんがデスクに印刷物を置いた。 帳簿には、名義変更後に不自然に動いた数千万円の金が記録されていた。

登記簿と照らし合わせる事実

帳簿の時系列と登記簿の変更日が完全に一致していた。 これで決まりだ。偶然ではない、完全に計画的犯行だ。 司法書士の腕の見せ所が、ようやく巡ってきた。

冷静すぎる女事務員の真骨頂

「司法書士って、たまに探偵みたいですよね」 淡々とつぶやくサトウさんに、「それ、名台詞かもな」と返すと、 彼女はまた、パチパチとキーボードを叩き続けた。

容疑者との対峙

数日後、再び姿を現した“依頼人”を待ち伏せて、僕は言った。 「この登記、無効です。そしてあなた、犯罪者ですよ」 男の目が一瞬見開かれ、そして——逃げ出した。

「お前、司法書士だろ」

逃走後に逮捕された男は、取り調べでこう吐いた。 「まさか、司法書士がここまでやるとは思わなかった」 そうだよな、普通はやらない。でも、僕はやっちまった。

机越しの心理戦

証拠を突きつけられてもなお、男は否認を続けた。 だが、サトウさんが印刷した“手書きのメモ”を見た瞬間、顔色が変わった。 その一枚が、彼の防御を打ち砕いたのだった。

真相と虚構の境界線

今回の事件では、「事実」と「登記」がいかに乖離できるかを思い知った。 紙の上ではすべてが整っていた。しかし現実は、嘘でできていた。 僕たちは、虚構に線を引く役目を持っている。

偽造と詐欺の境目をつく論理

「偽造は、それを知りながら提出した時点で、詐欺です」 自分で言っておいて、自分でも納得する。 書類ひとつの重みを、また噛みしめる日々だ。

やれやれ、、、俺もやればできるらしい

誰に言うでもなく、コーヒーにミルクを落としながらつぶやいた。 「司法書士らしいこと、たまにはしてるな」 外ではまた、蝉の声が夏を引きずっていた。

事件が落ち着いたその後

「報告書、出しておきました」 無機質な声に、僕は小さく「ありがとう」と返す。 サトウさんは、いつも通り塩対応だった。

静まり返る事務所と苦いコーヒー

事件の熱気が去った事務所に、静寂が戻った。 僕はぼんやりと、書棚に並ぶ謄本を眺める。 そこには、まだ何冊分もの“物語”が眠っていた。

「少しは司法書士らしかったですね」

帰り際、サトウさんがぽつりとそう言った。 褒められたような、けなされたような、微妙な気持ちで僕は微笑んだ。 やれやれ、、、今日もまた、眠れぬ夜になりそうだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓