朝の来客
秋の風が吹き始めた朝、事務所のドアが控えめにノックされた。開けると、コート姿の女性が立っていた。眼鏡越しの視線はどこか不安げで、それでもどこか決意のようなものを宿していた。
「すみません、司法書士さんですか?」と彼女は訊いた。うんざりするほどの山積みの書類の上に、また一つ謎が積み上がるのかと予感がした。
「共有名義の件で」と彼女は続けた。まるで刑事ドラマの第一話の台詞のように。
訪ねてきたのは見知らぬ女性
彼女の名は三枝綾子。登記簿上の共有名義の一人である田島真一の姪を名乗った。しかし田島の行方は数年前からわからないという。「それで、こちらに相談に」と言いながら、彼女は手元の資料を差し出した。
見ると、不動産の共有持分の名義がそのままになっており、処分も売却もできずに困っているとのことだった。どこにでもある相続の話かと思ったが、そうではなかった。
「その人、生きてるかどうかも、わからないんです」と彼女は言った。空気が変わった。
共有名義の登記簿が語る違和感
登記簿の内容を確認する。十年前の登記には確かに田島真一の名前がある。だが、それ以降一切動きがない。不審なのは、登記簿謄本に添付されていた過去の契約書。
筆跡、署名、押印。どれもが雑で、どこか作為的だった。これが「正式な」書類だと?サザエさんでいうところの、波平の筆で書いた「届け物があるぞ」的な雑な書面だった。
うちの事務所は事件解決所じゃない、とぼやきつつ、謎解きが始まった。
消えた共有者
住民票、戸籍、あらゆる情報を追ったが、田島真一の記録は五年前を最後に途切れていた。転出の記録も、死亡届もない。不自然な空白。
これはただの「所在不明」ではない。「隠されている」のだという直感が働いた。こういう勘だけは、妙に当たるから面倒なのだ。
昔の仲間に電話をかけ、関係先を調べ始めた。元野球部の勘も、たまには役に立つ。
住民票も戸籍も見つからない
市役所で閲覧可能な限りの資料を確認したが、田島の記録は移動も更新も一切ない。あたかも五年前に忽然と姿を消したようだった。
こうなってくると、ただの相続案件ではなくなる。事件性がある。警察沙汰になるかもしれない。……いや、もうなってるのかもしれない。
「やれやれ、、、面倒な匂いがしてきたぞ」と思わず独り言が漏れた。
行方不明届は出されていない
一番不可解だったのは、誰も田島の行方を正式に探していないということだった。失踪宣告もない、行方不明届もない。
「おかしくないですか?」とサトウさんが口を開いた。やはりこの人は鋭い。氷のような目をしてるくせに、核心は突く。
「これ、誰かが探されたくないと思ってる可能性があるんじゃ?」そう言って彼女は机に資料をトン、と置いた。
サトウさんの冷静な指摘
書類の束の中に、明らかに手が加えられた形跡があった。紙の端のホチキス跡、微妙な日付の違い、そして異なるインクの署名。
まるで怪盗キッドの変装のように、誰かが「本人」を演じた可能性があった。そんなバカな、と思いながらも、心当たりはあった。
登記に強引な動きがあった時期、ある司法書士が関与していた。それもまた、妙に記憶に残る名前だった。
名義変更の意図は何か
なぜ、わざわざ共有者を失踪させたか。相続が絡む場合、「他の相続人に権利を移す」ために虚偽の申請が行われることがある。
だが、この案件は異質だった。所有権を奪いたいにしては、時間がかかりすぎている。誰かが“持分”を幽霊にしたがっている。
「存在してるのに、存在してないようにする」それが目的なら、犯罪の匂いがする。
法定相続情報一覧図の矛盾
相続に使われたとされる資料には、故人の名前すら出てこない。つまり、田島は死んだことにされていない。
にも関わらず、共有名義の解除に向けた動きだけが進んでいた。これはかなり悪質な“登記ロンダリング”の手口ではないか。
「これはマズいですね」とサトウさんが呟く。その声に、背筋が寒くなった。
過去の名義変更の履歴
古い案件を調べ直すと、確かに数年前に名義変更の申請が出されていた。書類には田島の署名があり、それで受付が通っていた。
だが、その筆跡。明らかに近しいが、違う。「偽造か?」と訊くと、サトウさんは「限りなくクロ」と即答した。
こういうとき、この塩対応が頼もしくもある。やはり彼女は出来る人材だ。
数年前の売買契約書の痕跡
契約書の控えを追うと、一部がコピーされており、原本が所在不明だった。これはかなりの確率で、誰かが隠している証拠だった。
記載されていた立会人の名前も、登記簿の内容とズレていた。この瞬間、僕の中の“眠っていた探偵魂”に火がついた。
「……これ、決着をつけよう」と、ため息交じりに呟いた。
一筆の署名が意味すること
筆跡鑑定を依頼した結果、田島本人のものではないことが判明した。つまり、誰かが「なりすまし」で売却を進めていた。
それは“たまたま見つからなかった”レベルではなく、計画的だった。背後に、誰かがいる。
僕のうっかりとしたミスすら、そこでは伏線として使われかねない。漫画なら、ここでコナンが「真実はいつも一つ」と決めてくれるところだ。
疑惑の相続人
綾子さんの話から、田島の兄が鍵を握っていると分かった。相続で揉めた過去があり、どうやら生前から不仲だったらしい。
「兄は、弟をこの世から消したと思ってるかもしれません」と彼女は呟いた。それが比喩であることを祈った。
連絡先を辿り、その兄に会うことにした。だが、思わぬことが明らかになる。
共有者の兄が語る過去
「あいつは死んだよ、俺の中ではな」と兄は言った。だが、彼の目は泳いでいた。生きていることを知っているような曖昧な言い方だった。
問い詰めると、しぶしぶ語った。五年前、兄弟は金銭問題で揉めていた。そして田島は家を出た。「二度と連絡するな」と言って。
つまり、死んではいない。失踪という名の“絶縁”だった。
相続放棄と偽装失踪
登記を操作しようとしたのは、この兄だった。田島が生きていると不都合だった。だからこそ、「失踪」させたかったのだ。
不在者財産管理人を立て、登記を操作しようとした痕跡もあった。だが、法の網はそれを許さなかった。
「やっぱり、サザエさんの波平も驚くレベルの強引さですね」と、心の中で皮肉をつぶやいた。
登記簿が暴く真実
最終的に、登記申請は却下され、兄は虚偽記載の件で調査対象となった。田島本人は、今も地方の港町で静かに暮らしていた。
「もう、面倒に巻き込まれるのは御免だ」と彼は語った。気持ちは分かる。誰だって幽霊にはなりたくない。
それでも、登記簿には嘘を刻ませてはならないのだ。
名義変更に隠された企み
一つの登記が、これほどまでに人間の感情と策略を含んでいるとは、久々に感じた事件だった。
法という無機質なものの中に、人の温度がある。だから司法書士は、時に探偵のようになる。
そしてまた、うっかりとした日常に戻っていくのだ。
筆跡鑑定と司法書士の執念
決定打となったのは、筆跡だった。紙一枚、されどその一筆が真実を暴く鍵だった。
こうして、一件落着となったが、事件簿の山の中で一番“胃にきた”案件だったのは間違いない。
やれやれ、、、また明日も、誰かの“謎”がやってくる。