雨上がりの表題部
午前中の土砂降りが嘘のように、午後には陽が差していた。俺は湿った靴のまま、法務局で受け取った登記事項証明書をペラペラとめくっていた。 その中の一枚、表題部の文字がわずかに滲んでいるように見えた。俺の目のせいか、それとも紙そのものが濡れていたのか。
不動産登記簿と一枚のティッシュ
事務所に戻ると、サトウさんがコーヒーを淹れてくれていた。彼女は無言でティッシュを一枚差し出してきた。 「その紙、ちょっと湿ってますよ。泣いたんですか?」 彼女の塩対応は今日も冴えている。だが、この微かなにじみが、ただの水ではないような気がしていた。
サトウさんの無慈悲な指摘
「これ、相続登記の表題部ですよね。建物が去年新築されたことになってるけど、現地写真、これどう見ても築十年は経ってる構造ですよ」 サトウさんの目が鋭く光る。俺は慌てて書類一式を見直すが、登記簿と現況が合っていないことに、ようやく気づいた。 やれやれ、、、また面倒なことになりそうだ。
遺産分割協議の陰に潜むもの
依頼者の話では、父親の遺産としてその不動産が残されたとのこと。相続人は長男と妹の二人。 だが提出された遺産分割協議書には、不自然な訂正と押印が目立っていた。特に「登記は兄が単独で行う」とされた文言の周囲。 俺の中に、ひとつの疑念が湧いていた。
涙の跡が消された日付
書類の中に、ボールペンで修正されたような跡があった。修正テープもない、ただの二重線。 そしてそこには、登記原因の日付が書き換えられていた。 消された元の記載は、被相続人の死亡日とは異なっていたのだ。
被相続人の意志と謎の訂正印
訂正箇所には妹の印影があった。だが、協議書に妹が署名したという日は、彼女が海外旅行中だったことが後で判明した。 誰が彼女の印鑑を使い、文書を修正したのか。そして、その理由は何なのか。 登記簿は嘘をつかないが、操作された書類はその限りではない。
おかしな嘱託と不可解な代理人
司法書士として受任した俺の前に、兄が提出した代理権限証書があった。それは妹からの委任状だったが、筆跡が妙に均一で、 しかも使われている印鑑は既に廃棄された旧姓のものだった。 「本人確認してますよね?」とサトウさんの声が鋭く刺さる。いや、正直言って、してなかった。
司法書士の職印が泣いている
俺の職印が押された申請書が法務局に提出されていた。だがその書類が偽造の一端を担っていた可能性を考えると、 胃がキリキリと痛む。まるで『金田一少年の事件簿』に出てきそうな陰謀の匂いだ。 俺は自らの過失に、重たい責任を感じ始めていた。
謄本に潜む違和感
表題部だけでなく、権利部にもわずかな違和感があった。所有権保存登記の日付が、建物完成予定日と一致していない。 現地調査と工事記録を照合しても、どうやっても辻褄が合わない。 これは単なる登記ミスではない。誰かが、意図的に「涙」を落としたのだ。
被害者は誰か
兄は不動産を単独で取得しようとし、妹の意思を無視して登記を進めた。 だが、書類に残された微かな「にじみ」は、妹がそのことに気づいていた証拠かもしれない。 本当に泣いたのは誰だったのか。登記簿はその問いに、静かに答えていた。
感情のない登記が語る真実
登記簿には感情はない。だが、にじんだ文字や不自然な日付は、持ち主の心を映し出す鏡のようでもある。 妹が何を思い、何を残したかったのか。俺はその想いを、記録としてきちんと残す責任があったのだ。 司法書士の仕事は、単に印を押すだけではない。
遺産を巡る兄妹の確執
調査の結果、兄は妹の同意なく遺産分割協議を勝手に進めていた。 妹はすでに弁護士を立てて、登記の抹消と訂正を求める手続きを始めていた。 「こんなの、まるでサザエさんの波平が登記を乗っ取るようなもんですよ」と、サトウさんが言った。たとえが古い。
法務局からの呼び出し
数日後、俺は法務局から呼び出しを受けた。補正指示ではなく、「事情説明」を求める文書だった。 登記簿に記録された事実が、現実の裏切りとどう結びつくのか、説明が必要だということだろう。 逃げることはできない。
「補正」では済まない案件
法務局の担当官は厳しい顔をしていた。「これは虚偽の登記に該当する可能性があります」と、淡々と語る。 俺は事情を正直に話した。うっかりでは済まされないかもしれないが、 せめて、誰かの「涙」が記録に埋もれることのないように。
証明書の番号が意味するもの
問題の登記原因証明情報のファイル番号は、実際には別の案件で使われていたものだった。 つまり、文書そのものが偽造されていた可能性が高い。 登記の世界では、番号一つで嘘が暴かれることもある。
サトウさんの推理と封筒の中身
サトウさんが俺の机に一通の封筒を置いた。「これ、妹さんからの返送郵便です」 中には、兄からの登記手続きに関する書類が入っており、そこには「承諾できません」と赤字で書かれていた。 この一枚が、今回の全ての決定打となった。
相続関係説明図に浮かぶ影
登記に添付された相続関係説明図には、母の名前が抜けていた。 つまり、法定相続分の計算自体が成立していなかったのだ。 小さな見落としが、今回の「涙」のきっかけになったのだろうか。
故意か過失か 登記申請の罠
兄の行動は明確な意図を持っていた。だが、俺自身の確認不足も事実だった。 司法書士として、俺が泣いている場合ではない。 やれやれ、、、と、俺はもう一度書類を最初から見直すことにした。
遺言と訂正印の正体
その後見つかった古い公正証書遺言には、「不動産は妹に相続させる」と明記されていた。 兄が提出した協議書は、それを覆すための偽装だったと断定された。 表題部の「涙」は、妹の悔しさだったのだ。
ページをめくるたび滲む思い
登記簿のページをめくるたび、そこに記された「文字」が、誰かの思いを宿しているように思えてならない。 冷たい事務作業のはずなのに、どうしようもなく人間くさい。 登記の世界にも、感情のしみは残るのだ。
残された者の選択
妹は登記を訂正するだけでなく、父の遺志を守るための相続人全体の話し合いを提案した。 争いよりも修復を選んだその姿に、俺は少し救われた気がした。 誰かの涙は、ただの湿り気ではないのだ。
やれやれ またこんな形か
事件ではない、ただの登記。でもその裏には、必ず人がいて、想いがあって、嘘がある。 司法書士は、それを全部書面で処理しなければならない。 やれやれ、、、もう少しだけ、真面目にやるか。
司法書士の仕事は事件だらけ
司法書士にとって、毎日の仕事はミステリの連続だ。書類の行間を読み、印影を疑い、時には人生を読み取る。 そう、まるで怪盗キッドのトリックを暴く探偵のように。 俺はこれからも、登記簿の中に潜む「涙」を探していく。
それでも登記は続いていく
事件が終わっても、登記の仕事は終わらない。 今日も誰かの名前が、どこかの土地に記されていく。 それがたとえ涙で滲んでいようと、俺はしっかり書き記すのだ。