法務局の担当者は選べないという絶望

法務局の担当者は選べないという絶望

今日は運がいい日かそれとも試練の日か

司法書士の仕事は、地味に見えて実はかなり“人”に左右される職業です。なかでも、法務局に行く日の朝は一種の“運試し”のような気持ちで向かいます。どの担当者に当たるか、それが一日を左右する大問題だからです。正直なところ、どんなに事前に準備を完璧にしても、相手の機嫌や性格で話が進むか止まるかが決まる場面も少なくありません。今日はスムーズに終わるだろうか、それとも余計な補正が出るのか、考えれば考えるほど胃が痛くなるのが本音です。

朝から緊張する法務局の窓口番号

窓口にある発券機から出てくる番号票。その番号が呼ばれるまでの間、こちらは心の準備をしています。待合室のどこかから「◯番の方どうぞ」と呼ばれるとき、聞き慣れた声や口調がわかってしまうのがまたつらい。あの人か……と思った瞬間に、こちらのテンションも下がります。逆に、親切で柔らかい口調の担当者だとわかったときの安心感といったら、言葉にできません。窓口での“ガチャ”によって、1日の気分が左右されるのは、プロとしてどうなんだと思いつつ、現実はそう簡単には割り切れません。

呼ばれた番号がすべてを決める

担当者によって、同じ内容の登記申請でも、指摘される箇所や補正の要否がまったく異なることがあります。制度としては統一されているはずです。しかし現場では「この書き方で問題ない」と言ってくれる方もいれば、「これは認められない」と突っぱねる方もいます。こちらとしては、過去に何度も通ってきた方法で通らないと理不尽さを感じずにはいられません。たった一枚の紙の取り扱い方ひとつで、業務が滞ることもあり、ストレスが積もっていくのです。

目が合った瞬間に察することもある

経験を積めば積むほど、受付に立った瞬間の空気で「あ、今日は厳しいかもしれないな」と感じるようになります。言葉遣い、目線、書類の扱い方。微細な表情の変化で、すでに勝敗が決まったような気がしてしまうのです。こちらも相手を怒らせないように低姿勢で対応しますが、それが逆に癇に障る方もいたりして、もはやどう振る舞えばいいのかわからなくなることもあります。まるで心理戦です。そう、今日は登記申請じゃなくて、人間関係の勝負をしに来た気分なのです。

人によってまるで違う対応の温度差

同じ法務局でも、担当者によってまるで違う印象を受けます。話しやすい方、こちらの意図を汲み取ってくれる方、逆に機械的に対応する方、あるいは高圧的な物言いの方まで。まるで“別の会社か?”と思うくらいの違いがあります。制度としての一貫性があっても、実際のやりとりの中でその“個性”が色濃く出てくるのがこの世界の不条理なところです。しかもそれが、登記の結果を左右するのですから、笑えません。

まるで別の組織に感じる不思議

同じ登記でも、前回と今回でまったく異なる反応をされると、「こっちは何を信じればいいんだ」と混乱します。先日は、「この記載ではダメです」と言われた内容が、別の日にはあっさりと受理された。確認のために前例を出しても、「そのときの判断ですから」と一蹴される。ルールブックが見えないゲームをしている気分になります。だからこそ、現場でのやりとりが丁寧な担当者が神のように見える日もあるのです。

正論はわかるでもその言い方はないだろう

こちらの不備があったときには、真摯に受け止めなければなりません。ただ、それをどう伝えるかは人間性が問われる部分でもあります。「ここ違いますよ」と冷静に伝えてくれるだけでいいのに、語気強く責め立てられると、こちらも感情的になりそうになります。でも、それをグッとこらえて笑顔を保つのが司法書士のつらさ。怒鳴られてもへらへらしてる姿を事務員に見られると、自分の情けなさにちょっと泣けてきます。

優しい担当者が天使に見える瞬間

だからこそ、少しでも穏やかに接してくれる担当者に当たった日は、本当に「ありがたい」と感じます。内容は同じでも、説明の仕方、表情、書類の返し方ひとつで、受け取る印象がまったく違う。こちらも「この仕事、まだ頑張れるかもしれない」と思える瞬間です。特に忙しい時期、疲れているときにそういう方に当たると、心底救われた気持ちになります。たぶん、これは“感謝”を超えた“信仰”に近い感情かもしれません。

事務所に戻っても尾を引くやるせなさ

法務局で嫌な対応をされた日は、その気持ちを引きずったまま事務所に戻ることもあります。別に大声で怒鳴られたわけじゃない。けれど、ちくちく刺さる言い方や、否定の空気のまま窓口を後にすると、しばらくはモヤモヤが取れません。気持ちを切り替えて次の業務に取りかからないといけないのに、気分が沈んだままだと効率も落ちてしまいます。

事務員に八つ当たりしそうになる自分

そういう日は、ふとしたことでイラッとしてしまうこともあります。事務員が少しミスをしただけで、「なんで確認してないの?」と強く言いそうになって、ぐっと飲み込みます。でも本当は、自分がイライラしてる理由は法務局での出来事なのです。大人として、職場の責任者として、そんなことじゃいけないと頭ではわかっていても、感情の処理はなかなか難しいものです。

「俺が悪いのか?」と誰にも言えずに反芻

夜になると、一人になってから「もしかして俺が悪かったのかもしれない」と、ぐるぐる考え始めます。自分の対応が失礼だった? 書類に見落としがあった? 何度も自問自答しながら、答えの出ないまま眠れぬ夜を迎える。独身だから話す相手もいないし、酒も弱いので発散できない。こういうとき、司法書士って孤独な仕事だなと思います。

次こそは当たりでありますようにという祈り

だから、翌朝また法務局へ向かうときには、ちょっとした願掛けをしていたりします。「今日はあの担当者に当たりませんように」とか、「せめて話の通じる方でありますように」とか。もう半分宗教のようです。それでも、仕事はしないといけない。誰も代わってはくれない。司法書士という仕事は、書類だけでなく人間関係との戦いでもあるのです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。