誰かのミスが全部自分に返ってくる気がして胃が痛い
人のミスをカバーするのが日常になっている
司法書士という仕事は、とにかく「間違いが許されない」仕事です。書類のミスひとつで登記が通らないこともあれば、依頼者からの信頼が一気に崩れることもあります。だからこそ、自分の仕事には神経をすり減らしてでも丁寧に取り組むんですが、問題はそこじゃないんですよ。自分以外の誰か――たとえば事務員さんのちょっとした見落としや記載ミス。それが、自分に跳ね返ってくる。そのたびに胃がキリキリするのは、もう慣れたとはいえ、しんどいもんです。
そもそも「責任の所在」が曖昧な業界
司法書士事務所って、小さな会社みたいなもので、実際には所長である自分がすべての責任を負う立場です。ミスがあっても、「誰がやったのか」を突き詰めるよりも、「どう収めるか」が求められる。でも正直、それがしんどい。心のどこかでは「なんで自分ばかり」と思ってしまうし、モヤモヤした気持ちは消えません。責任が自分にあるっていうのは当たり前だけど、当たり前すぎて感情が置き去りにされてる気がするんですよ。
登記が通らなければこっちの責任
たとえば、事務員が「乙区」のところを「甲区」と書き間違えていて、それを見落として提出してしまったことがありました。法務局から補正が返ってきて、クライアントに「手続き遅れます」と説明したときの胃の痛さといったらない。結局、最後に書類をチェックしなかった自分の責任になる。自分でやってミスするなら納得もいきます。でも、誰かのミスで自分が頭を下げるのは、なんとも言えない悔しさが残るんです。
電話一本の行き違いでも胃がキリキリする
以前、「今日の午後に登記完了予定」と伝えたことがあったんですが、実は法務局の対応が翌日になるということに気づいたのが、電話の後。原因は事務員が伝票の確認を忘れていたこと。でも、クライアントに連絡して謝るのは自分です。「なんで自分で確認しなかったのか」と自問自答しながら、電話のボタンを押すたびに胃に圧がかかる感覚。こんな繰り返しで、いつか胃に穴が開くんじゃないかって、冗談抜きで思ってます。
事務員の失敗で謝るのは自分
事務員がいてくれるのはありがたいことです。でも、ミスをされたときに一番大変なのは、やっぱりこっち。なんだかんだで「最終確認しなかった自分の責任」にされることが多いですし、こっちが謝る場面のほうが圧倒的に多い。それに、事務員にきつく言いすぎて辞められたらそれもまた困るので、注意の仕方にも気を遣う。胃だけじゃなくて、気も心もすり減っていきます。
注意したくても関係が悪くなるのが怖い
人手が足りないこの業界で、新しい人を育てるのは本当に大変です。一人が辞めただけで事務所が回らなくなるような状況で、「ちゃんとやってくださいよ」なんてきついことはなかなか言えません。特に女性の事務員に対しては、言い方ひとつで「パワハラ」っぽくとられることもあるので、毎回言葉を選びながら話さなきゃいけない。でも、やっぱり我慢してるとストレスが蓄積するんですよ。
結局、謝罪と修正は代表者の仕事
何か問題が起きたときに「自分は関係ありません」とは絶対に言えない。それが経営者だってわかってるつもりです。でも、「これは自分の責任です」と言って、実際に謝って、訂正して、報告書を再作成して、また提出して…と繰り返していくと、正直、心が折れそうになる。自分が悪くなくても、自分が対応しなきゃならないという現実が、ふとした瞬間に重くのしかかってくるんです。
「事務員がやったこと」とは言えない弱さ
「これは事務員がやったんです」と言ってしまえば、自分は少しは楽になるのかもしれません。でも、言えないんですよね。責任転嫁するようで、なんだか卑怯な気がしてしまって。元野球部だったせいか、「チームの責任はキャプテンが取る」っていう考えが染みついてるのかもしれません。でもそれが、知らず知らずのうちに自分を追い詰めている気もします。
ミスが許されない空気に自分も苦しくなる
「ミスをするな」というプレッシャーは、部下だけでなく自分にも常にのしかかっています。たとえ完璧を目指しても、人間ですからどこかで間違える。そのたびに、自己嫌悪と無力感が押し寄せる。この業界の「ミスが命取り」という空気のせいで、呼吸すら浅くなってる気がします。
完璧主義を求めると人が育たない
自分が100点を求めすぎると、事務員も萎縮してしまう。それは経験上、よくわかってます。前にいた事務員は、細かい指摘をするたびにどんどん元気がなくなっていって、最終的には「向いてない気がします」と言って辞めてしまいました。完璧じゃなくてもいい、と言いたい気持ちと、完璧じゃなきゃ困るという現実の間で、ずっと揺れ動いてます。
でも「育つまで待つ」余裕がない現実
理想を言えば、ゆっくりでも成長してくれたらいい。でも、現実はそう甘くない。案件は待ってくれませんし、クライアントは「ちゃんとしてて当たり前」と思ってる。だから、結局「最初からできる人」に頼らざるを得なくなる。でも、そういう人材はなかなか来ない。胃だけでなく、頭も痛い話です。
胃薬を飲みながら働く日々
最近はもう、胃薬を常備してます。昼休みにコンビニで買っておいたストックが切れると不安になるレベルです。飲まないと夕方まで持たない。これはもう、完全に仕事のせいだなと思いつつも、「じゃあ辞めるのか?」と言われると、それも違う気がする。結局、自分にはこの仕事しかない。そんな覚悟でやってます。
誰にも弱音を吐けない個人事務所
同業の知り合いもいますが、正直なところ、みんな自分のことで精一杯。弱音を吐ける相手って、いないんですよね。家族がいればまだ違ったかもしれませんが、独身の自分には帰って話す相手もいない。だからこうして、誰にも言えないことを文章にして吐き出してるのかもしれません。
元野球部だからって我慢は美徳じゃない
高校時代、野球部で「痛みを我慢するのが男だ」って教わったけど、それはもう時代錯誤なんじゃないかと思ってます。働く現場でも、我慢を重ねることで誰かが潰れるなら、それは失敗だと思う。我慢しすぎる前に、誰かに頼るとか、仕組みを見直すとか、そういう柔軟さが必要なんだと思うようになりました。
それでも「誰かと働く」ことを選んだ理由
それでも、自分は事務員と一緒に働く道を選びました。一人で全部やる方が楽なことも多い。でも、誰かと関わって、助け合いながらやる仕事には、人間としての深みがある気がするんです。ミスで胃が痛くなることもあるけど、誰かと笑って乗り越えた日は、ちょっとだけ報われるような気がします。
独りよりは苦しいけど孤独じゃない
一人でやってた頃は、確かにミスは少なかった。でも、それ以上に「誰とも分かち合えない虚しさ」がありました。今は、苦しいことも多いけれど、事務員と何気ない会話を交わせること自体が、救いになってる気がします。完璧じゃなくていい、と思える日が少しずつ増えてきたのが、たぶん成長なんだと思います。
理想の関係は「仲間」であって「部下」じゃない
これからもたぶん、ミスは起きます。胃が痛くなる日も続くでしょう。でも、事務員を「部下」としてじゃなく、「仲間」として見られるようになれば、その痛みも少しは和らぐんじゃないかと思ってます。完璧じゃない自分を認めて、完璧じゃない誰かと一緒に前を向く。それが、今の自分にとっての理想です。