あの時確認しておけばと責められた日の胸のざわつき

あの時確認しておけばと責められた日の胸のざわつき

責められる瞬間のあの沈黙がつらい

司法書士という仕事は、基本的にはミスが許されません。いや、許される余地があるときもあるのですが、許されない空気に支配される場面が多いです。あの重たい書類を提出する直前、いや直後、依頼者や関係先に小さな間違いを指摘された瞬間の沈黙——あれが一番つらい。言い訳をするでもなく、謝罪の言葉がすぐに出るでもなく、ただその場の空気がずっしりと胸にのしかかってくるのです。

言い訳を飲み込むまでの数秒間

「いや、それは…」と言いかけて、口をつぐむことがあります。説明したい気持ちはある。でも、言えば言うほど、ただの言い訳に聞こえるのがわかってる。確認したつもりだった。でもその“つもり”がミスにつながったなら、もう何を言っても無駄なんです。数秒の沈黙のあいだに、何回も「すみません」を飲み込みます。その間に、相手の眉がわずかにひそむのが見える。それすらも怖い。

怒っている相手の目を見るのが苦手

クレームを受けたとき、正面から相手の目を見られない自分がいます。昔からそうでした。中学の野球部でも、エラーしたときに監督と目を合わせられなかった。今はそれが仕事で起きているだけ。理屈ではわかっていても、体が勝手にそっぽを向く。謝りながら、心は遠くを見てる。情けないと思いながら、それが自分の防衛本能なんだと思うようにしているのです。

心の中で繰り返す「すみません」の行き場

「すみません」が何度も頭の中をぐるぐる回って、結局一言しか口に出せない。「すみません」しか言えない。もっと言いたいこともあるし、事情もある。でも、そんなのは自分の都合であって、相手からしたらどうでもいい。結局、「確認不足でした」「でした」で終わるしかない。そして、その「すみません」は行き場を失って、自分の中に残っていくのです。

過去のミスが頭をよぎる癖

ひとつミスをすると、過去の失敗がセットで頭に浮かんできます。関係ない昔の出来事なのに、「またやったか」「あの時もこうだった」と自分を責める。まるで頭の中に失敗フォルダがあって、ひとつ開くと全部開くような感覚です。これ、性格なんでしょうね。ポジティブになろうとすると、逆に過去の負債がずしっとのしかかってくる。そんな自分にまたがっかりするんです。

一度の失敗で信頼が崩れる感覚

どんなに丁寧に仕事をしていても、一度の見落としで「ああ、この人も結局そうか」と思われる。そういう感覚、嫌というほど知っています。特に士業の仕事は、信頼で成り立っていると言っても過言じゃない。その信頼が崩れる音が、自分だけに聞こえるような気がします。何年も積み上げたものが、一瞬でヒビ入る。たった一つの確認不足で。

本当に自分が悪いのか分からなくなる時

ミスを指摘されたとき、相手が感情的だったりすると、こちらも混乱します。本当に自分の責任なのか、もっと上流の段階でズレがあったのか、分からなくなる。だけどその場では、自分が謝らなきゃ終わらないのも知ってる。だからとりあえず謝る。でも後から「あれは自分だけの責任だったのか?」と夜に考え始めて、眠れなくなる。こういう日が月に何回かある。

確認したつもりだったのに

「確認したつもりでした」って言葉、使えば使うほど、自分が言い訳がましく感じてしまう。でも実際、「つもり」で済んでしまうのが怖いんです。慣れてきたころに限って見落とす。今日も、登記簿の添付書類に1枚足りないと気づいたのは、提出の5分前でした。ぞっとしました。確認とは何か、信頼とは何か、自分の中で揺らぎ始める瞬間でした。

「つもり」が通じない世界で働くということ

司法書士の世界では、「つもりでした」は通用しない。「確認したつもり」「記入したつもり」…それらはすべて、責任放棄と受け取られかねない。クライアントは、こちらの“つもり”ではなく、実際に完了した事実を求めている。だからこそ、仕事に対する姿勢は常に「疑ってかかる」ぐらいでちょうどいい。でも、それがしんどくなる時もあるんです。人間だから。

証拠が残る書類の重み

登記申請書も契約書も、すべてが証拠です。訂正ができないわけではないけれど、訂正したという事実が残る。その「一度のミスの履歴」が、自分の中に小さな棘のように刺さっていく。デジタル時代になっても、紙の書類の重みは変わらない。印鑑ひとつ、数字一つの違いが命取りになる。わかってるはずなのに、またやってしまった自分に嫌気がさすのです。

ミスを見つけられるときの自分の鈍さ

見直しても見直しても、どこかが抜けるときがあります。集中してたはずなのに、「なぜこんな簡単なミスを…」と自分で自分を叱ることもある。目の前の書類に、何かが見えなくなる瞬間がある。それが疲労なのか、慢心なのか、気の緩みなのかはわかりません。ただ、歳を重ねるごとに「以前なら気づけたのに」ということが増えてきた気がして、また自分にがっかりします。

事務員に申し訳なくなる瞬間

ミスをしたとき、自分よりも先に事務員さんの顔色を見てしまうことがあります。「巻き込んでしまったな」「また気を遣わせるな」と思うから。仕事を減らしてあげたいと思って雇ったのに、逆に余計な負担をかけてしまう。謝りたい。でも、謝ることで逆に重たくなることもある。こういうときの対処、本当に難しいんです。

自分の不機嫌が伝染していく

朝からミスが発覚すると、その日一日、自分の雰囲気が暗くなってしまうことがあります。そしてその空気は、事務所全体に広がる。事務員さんも「何かあったのかな」と気を遣っているのがわかる。何も言わなくても伝わってしまう。ああ、またやってしまったなと思う。自分の感情の管理すらできない日があると、経営者としても、人としても、情けなくなるのです。

態度に出てしまって後悔する

忙しいときに限って、トラブルはやってきます。そしてそのとき、つい態度に出てしまうんです。言葉には出していないけれど、ため息が増える、動きが雑になる。事務員さんに話しかけられても、「あ、ごめん、今ちょっと…」と冷たく返してしまう。数分後に「ああ、またやってしまった」と自己嫌悪。優しくしたいのに、できない自分がいる。

「ありがとう」が言えなくなる自分

心に余裕がなくなると、ありがとうの言葉が口から出なくなる。それだけで、どれだけ空気が変わるかは分かっているのに。事務員さんが書類のチェックをしてくれたとき、ほんの一言「ありがとう」と言えれば済むのに、無言で受け取ってしまう。そして後から反省する。こういうことを繰り返しているうちに、信頼ってじわじわ崩れていくんじゃないかって、不安になるのです。

誰にも責められない夜の方がつらい

一日が終わって、一人の部屋に戻ったとき、誰も何も言ってこないのに胸がざわざわする日があります。言われた一言が、何度も何度もリピートされる。怒鳴られたわけでもないのに、責められたような気持ちになる。そしてその気持ちは、夜が深くなるほど、重たくなっていくのです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。