境界線上の囁き
土地の境に立つ古びたポール
朝、事務所に届いたのは、郵送で送られてきた境界標の写真と手書きの手紙だった。そこには「隣地所有者が勝手に境界を変えている」と赤文字で記されていた。写真に写る古びたポールは、地面からわずかに傾いており、周囲の雑草に埋もれかけていた。
依頼主は町内会の長老的存在で、気難しいことで知られている人物。何度か土地トラブルの相談に来たことがあるが、今回はかなり切羽詰まっているようだった。
朝の電話と怒気混じりの相談
「今すぐ来てくれ!境界が動かされとる!」と、電話の向こうから怒鳴り声が飛び込んできた。シンドウはコーヒー片手に電話機を耳から離しながら、深いため息をつく。事務所の窓の外では、いつものようにサトウさんが無言で自転車を拭いていた。
やれやれ、、、また地味に面倒な案件がやってきたな、と心の中でつぶやきながら、現地調査に向かう準備を始めた。
隣地の所有者は誰なのか
現地に着くと、問題の境界線には赤いスプレーで「×」印が記されていた。近隣住民に話を聞いてみるが、誰もが曖昧な返事をするばかりだ。「あれは昔からあったよ」「いや、最近誰かが動かしてたような」と意見がバラバラで、まるでサザエさん一家が道に落ちていた500円玉を拾った時のような混乱ぶりだった。
境界確認図に残された謎の線
事務所に戻って境界確認図を引っ張り出す。サトウさんが黙って書棚から引き抜いたファイルの中に、その土地の10年前の確認図があった。そこには、現在の境界標とは明らかに違う位置に線が引かれていた。
「これ、誰か意図的にズラしてますね」と、サトウさんが静かに言う。その目はいつもより鋭かった。
私道か通路かで揉める町内会
さらに調べていくと、問題の境界線が私道に食い込んでいることが分かった。町内会の誰かが、自分の敷地を少しずつ拡張していた可能性があった。誰もが「自分のためじゃない」と言いながら、まるでキャッツアイのように誰かがこっそり「持ち去って」いたのだ。
「持ち去るものが土地ってのが渋いですね」と、サトウさんが呟いた。
サトウさんの冷静な推理と一言
「この記録、筆界特定が申請されてないのに、測量業者が図面を更新してます。これ、登記簿とは不整合です」 彼女の言葉に、僕の中でピースがはまる音がした。
やれやれ、、、相変わらず、彼女の方が名探偵だ。
地積測量図に現れたもう一つの現実
古い地積測量図を県の法務局で取り寄せた。そこには、現在の境界標とはまったく異なる線が描かれていた。しかもその差異は数十センチというレベルではなく、明らかに「意図的」と言えるレベルだった。
測量の依頼人名を見ると、今回の隣地所有者ではない別の名前が記されていた。
古い売買契約書の裏にあった落とし穴
さらに契約書の写しを取り寄せると、重要な付属書類が欠けていた。「隣地所有者の了承を得た上で、ポールを移設」と書かれたメモが、売買契約書の背表紙の裏にセロテープで貼られていた。
これは、「動かしていいですよ」と言われたように見せかけた罠だった。
登記簿が語る二重の所有者
登記簿を見直すと、実は対象の土地には二重の所有者記録があった。数年前に「持ち分移転」が未完了のまま登記が放置されていたのだ。古い持ち主の名義が残っており、それを悪用した可能性が高い。
つまり、現在の隣地所有者にはその「境界」を動かす法的な根拠がなかった。
謎の測量業者と空白の一日
業者に問い合わせると、「あの日は確かに作業しましたが、依頼主の立会いはありませんでした」と証言。しかも日付の記録が改ざんされていた。まるでルパンが警備カメラに姿を見せずに美術館から宝を盗んだようだった。
真犯人は誰か所有権を操作した影
全ての証拠を組み合わせると、犯人は境界の書類を知り尽くした「元土地家屋調査士」であることが見えてきた。定年後、匿名で測量業務を請け負い、相手の無知につけこんで境界を「好都合な位置」に動かしていた。
僕らはその事実を町内会と依頼主に報告し、境界を正式に戻すよう登記変更申請を行った。
サザエさんの世界にはないドロドロ
「昔のサザエさんなら、磯野家と隣のノリスケが土地で揉めるなんてことはなかったよな」 僕がそう漏らすと、サトウさんは「でも今の時代、家族より土地の方が重いんでしょうね」と冷たく笑った。
遺産相続と隠された家族の存在
ちなみに、今回の元所有者が亡くなったあと、相続登記が放置されていたことも、トラブルの原因だった。調べてみると、相続人がもう一人、遠縁の親戚にいた。その人物はこのことを全く知らず、話を聞いて驚いていた。
解決後のラーメン屋での無言の乾杯
仕事帰り、サトウさんと近所のラーメン屋に入った。味噌ラーメンに半熟卵、チャーシューは2枚。彼女はビールを頼み、僕はウーロン茶。言葉少なに、静かな乾杯を交わす。
「やれやれ、、、また一つ、地味な真実を掘り起こしたな」
土地と心の境界線は曖昧なまま
この事件で僕が学んだのは、地面の境界よりも、人の心の方がずっとあやふやで、そしてずっと重いということだった。測量も登記も、心のずるさまでは補えない。
それでも僕はまた、次の境界線に向かって歩き出すのだ。