大丈夫ですを言いすぎた司法書士の日常
「大丈夫です」――これはたぶん、私が一日に一番多く発する言葉かもしれません。依頼人との会話、事務員とのやりとり、役所での手続き、どんなときもとりあえず「大丈夫です」と口にしてしまうのが癖になっていました。実はその裏で、書類は山積み、体は疲弊し、心も少しずつ摩耗していたのに、それでも「大丈夫です」と笑っていたのです。気づけば、それが自分の首を絞めていました。
頼まれごとに反射的に出る言葉
例えば、登記の追加依頼を急ぎで頼まれたとき。内心では「今日はもう無理だ」と思っているのに、反射的に「大丈夫です」と答えてしまう。これが本当にクセになっていました。断るのが面倒だったし、相手の期待を裏切るのが怖かったんです。結果、夕方から事務所にこもって徹夜で書類を作る羽目になる。でも次の日もまた「大丈夫です」って言う自分がいる。どうしても止められなかったんです。
気づけば仕事がどんどん積み上がっていた
あれもこれも引き受けていった結果、週末に出勤するのは当たり前、祝日も関係なし。事務員には「先生、今月休みゼロですね」と言われてハッとする。でも、そのときも笑って「大丈夫」と答えてました。パソコンの前に座りながら、ご飯を食べる時間すら後回しにして、ひたすら業務に追われていたある日、「これってもう限界なんじゃないか」とふと思いました。そう思った時点で、たぶんもう手遅れだったんです。
事務員にも大丈夫ですよが口ぐせに伝染
そんな私を見ていた事務員も、次第に「大丈夫ですよ」が口ぐせになっていきました。明らかに処理しきれない依頼が来ても、彼女もまた笑って「大丈夫ですよ」と言ってしまう。しまいにはミスが増え、私がその後処理をして、「なんでミスしたの」と問い詰めたら、「先生が無理してるから私も頑張らなきゃって思って…」と言われてしまいました。そうか、自分の無理が周りにも影響を与えていたんだなと、初めて気づいた瞬間でした。
大丈夫と言えば丸く収まるという誤解
「大丈夫」と言えば、その場は丸く収まる。そう信じていた私には、それが“やさしさ”であり、“プロの対応”だとすら思っていました。でも、それは表面的な平和でしかなかったと、ある出来事をきっかけに痛感します。言葉ひとつで誤魔化したものは、どこかで必ず歪みになって返ってくる。そう痛感したのは、ある依頼者とのすれ違いが原因でした。
本音を出すのが面倒なだけだった
「急ぎじゃなければ来週でも大丈夫ですか?」と聞かれて、内心では「できれば来月にしてほしい」と思っている。でもそんなこと、いちいち説明するのが面倒なんですよね。だから「大丈夫です」と言ってしまう。でも結局、時間が足りなくてクオリティが落ちる。依頼者に迷惑をかけて、申し訳なさだけが残る。「大丈夫です」は、本音を隠す便利なフレーズ。でもそれは、結局自分にも他人にも不誠実な言葉だったんです。
いい人キャラの副作用
私は自分のことを、口うるさいタイプではないと思っています。むしろ、ちょっと頼られると嬉しい。野球部時代の癖か、チームのために頑張るのが性に合ってた。でも、司法書士という個人業で“いい人”をやっていると、無限に仕事が流れ込んできます。断るタイミングを逃して、気がつけば「なんでも屋」状態。「あの人に頼めば嫌な顔せずやってくれる」そう思われると、もう止まりません。
クレームもトラブルも飲み込んでしまった末路
一度、土地の名義変更で手続きが滞ったことがありました。本来、役所側のミスだったのですが、依頼者には「すみません、大丈夫です、こちらで対応します」と言ってしまった。結果、役所に何度も足を運ぶはめに。しかも依頼者からは「ちょっと頼りないですね」とまで言われてしまいました。自分を守らなかったことで、信頼まで失う。あのとき「役所側の確認が必要です」と言っていれば、少なくとも真実は伝えられたはずです。
体調を崩してようやく気づいた
本当にしんどくなったのは、ある夏の終わり。軽い風邪だと思って無理をしていたら、高熱が出て倒れてしまいました。その日も「大丈夫です」と言って出勤しようとして、事務員に本気で止められました。病院で「過労です」と言われて、やっと「これはまずい」と思ったんです。でも、身体を壊すまで気づかないって、なんとも情けない話ですよね。
人に頼ることを避けすぎていた
昔から、誰かに頼るのが苦手でした。できることは自分でやる。野球部でも後輩の面倒を全部見て、気づけばキャプテンでもないのに一番怒られてた。でも司法書士の仕事はチーム戦じゃない。自分しかいない。だから、助けを求めないことがそのまま自分を追い詰めていく。事務員一人に頼ることすら、どこかで遠慮していた自分がいた。それじゃ倒れるのも当然ですよね。
言葉ひとつで自分の感情もごまかしていた
「大丈夫です」って言うと、本当に大丈夫な気がしてくるんです。不思議ですよね。でもそれは、自分の感情を押し殺してるだけ。しんどい、無理だ、休みたい、誰かに聞いてほしい。そんな本音を全部飲み込んで、「大丈夫」と言ってると、どこかで自分が何を感じてるのかすらわからなくなります。ある意味、自分に嘘をつき続けていたんだと思います。
やさしさと自己犠牲の境界線
誰かの役に立ちたい。迷惑はかけたくない。そういう気持ちはきっとやさしさです。でも、限界を超えてまで無理をするのは、ただの自己犠牲。それをやさしさだと履き違えていたんだと、今は思います。倒れたときに、事務員が泣きながら「先生はいつも無理してるから…」と言ってくれて、本当に申し訳なかった。やさしさって、自分を守ることも含まれているんですね。
大丈夫じゃないときに出すべき言葉とは
それ以来、「大丈夫じゃないときは、そう言おう」と決めました。最初は勇気がいりました。でも、正直に「今はちょっと無理です」「少し時間ください」と伝えるだけで、相手も理解してくれる。むしろ信頼関係が深まったりもする。言葉は魔法にもなるし、凶器にもなる。「大丈夫です」はもう少し、慎重に使いたい言葉だと思うようになりました。
手伝ってくださいを言えるようになるまで
あるとき、事務所の仕事が立て込みすぎてどうにもならなくなりました。意を決して事務員に「ちょっと手伝ってもらえる?」と頼んだんです。すると彼女は、「やっと言ってくれました」と笑ってくれた。その笑顔を見たとき、なんだか肩の荷がふっと軽くなった気がしました。「手伝ってください」って、そんなに悪い言葉じゃない。むしろ、人との関係を育てる言葉だと感じた瞬間でした。
それは無理ですと言ってみた結果
数週間前、依頼者から急ぎの案件をお願いされました。いつもの私なら「大丈夫です」と言っていた。でも今回は勇気を出して「それは今の状況では難しいです」と伝えました。すると依頼者は「そっか、じゃあ来週でもいいですよ」とあっさり納得。拍子抜けしました。ああ、自分が勝手に無理を背負ってただけだったんだな、と肩の力が抜けました。
自分を守るための小さな自己主張のすすめ
結局のところ、「大丈夫です」は便利な逃げ道でした。でも、それを多用するほど、自分も、周囲も壊れていく。今は、少しずつでも「正直に伝える」ことを意識しています。「それは無理です」「少し考えさせてください」「今は疲れています」。そう言えることが、自分を守る第一歩。やさしさと甘えの間にある、小さな自己主張。司法書士として、そして一人の人間として、それを大切にしたいと思っています。