あの時の喧嘩を振り返ると胸が痛い
普段は感情を出すタイプじゃない。けれど、あの日ばかりは自分でもどうかしていたと思う。事務所で長年働いてくれている事務員との口論。きっかけは本当に些細なことだった。でもその些細なことに引火するように、自分の中の鬱積したものが爆発した。あとになって思えば、全部自分のせいだった。疲れていたのも、忙しさで気が立っていたのも、ただの言い訳に過ぎない。胸の奥がズキズキと痛むのは、その後もずっと、彼女が冷たくなったままだったからだ。
きっかけは些細な一言だった
「これ、先に確認してくれてたら助かりましたけどね」——彼女のその一言に、なぜか全神経が逆撫でされた。「は?じゃあ自分でやれば?」と、反射的に口を突いて出た。すぐに空気が凍った。彼女はその場で黙り込み、しばらくして無言で席を立った。自分でも驚くほど幼稚だった。だけど、「そんな言い方しなくてもいいだろ」という気持ちが、どうにも抑えられなかった。いつもなら流せていたはずなのに、あの日ばかりは違った。
忙しさと苛立ちの蓄積
その前の週、登記の件で法務局と何度もやり取りしていた。補正通知、期日変更、依頼人からの矢のような催促。電話は鳴りっぱなし、書類は山積み。なのに「なんでこんなことも分からないのか」というような顔をされるたび、内心イライラが溜まっていたのだと思う。彼女に八つ当たりする気はなかった。でも、結局はそうなってしまった。たまっていた苛立ちは、積み重なると誰かを傷つけてしまう。
相手の言葉が刺さりすぎた夜
その晩、「今日は帰ります」とだけ言って出て行った彼女の背中を見送った後、事務所でひとり反省していた。けれど「なんであんなこと言ったんだ」と、反省よりも自己弁護が先に立ってしまう自分がいた。ああ、自分は器が小さい。ずっとそう思って生きてきたけど、今日ほどそれを痛感した日はない。独身だし、人付き合いもうまくないし、女性にもモテない。だけど、せめて事務所の空気だけは穏やかにしたかったのに、それすらできなかった。
仲直りなんて無理だと思っていた
次の日、彼女は時間通りに出勤してきたが、目も合わせない。仕事の指示もすべてメールかメモ。「すみません」も「ありがとう」も一切口にしない。無言の圧力がつらくて、こちらから何か話しかけようとしたけれど、何を言っても火に油を注ぐ気がして、言葉が出なかった。仲直りという言葉は、遠くて重かった。
謝るのが苦手な自分
元々、人に頭を下げるのは得意じゃない。元野球部だった頃も、気合と根性で乗り切れという精神が身に染みついていた。だから「すまん、悪かった」の一言が、どうしても喉につかえて出てこない。手紙にしようかとも思ったけど、それも気恥ずかしくてやめた。毎日が気まずさの綱渡りだった。
時間が解決するはずと信じたけれど
日が経てば、自然と元通りになるだろうと思っていた。けれど現実はそんなに甘くない。1週間経っても彼女は笑わない。2週間経っても、以前の雑談すら戻らない。このまま修復できなければ、辞めてしまうかもしれない。そう思うと、焦りだけが募っていった。でも、どう動けばいいのか分からなかった。
先生という存在のありがたさに気づいた瞬間
そんな中、月に一度の勉強会があった。同期で今は講師もしている司法書士の先生に、帰り際ぽろっと愚痴をこぼした。「なんか最近、事務員とうまくいかなくて…」。すると、彼は深く頷いたあとに言った。「それって、寂しかったんじゃない?彼女も、お前も」。たった一言で、何かが溶けるような気がした。
それって寂しかったんじゃないの破壊力
今思えば、自分が一番分かっていなかったのは、自分の感情だった。イライラしていたのは、単純に仕事が忙しかったからじゃない。「一緒に頑張ってくれてる」と感じたかったし、「信頼されてる」と思いたかった。けれど、それを言葉にせず、ただ黙って耐えていた。それが、あの一言で全部見透かされた気がした。
感情を翻訳してくれた第三者の存在
司法書士という仕事柄、人の関係を紙の上で整理するのは得意だ。だけど、自分自身の気持ちや人間関係は、ぐちゃぐちゃのままだ。そんなとき、誰かが一歩引いた視点から「こう見えるよ」と伝えてくれるだけで、ずいぶん救われる。彼はまるで、心の通訳のようだった。
司法書士だって心の通訳が必要
相続や不動産の手続きでは、家族の感情がぶつかる場面も多い。それを横で見ているのに、自分の感情ひとつ整理できなかったなんて、皮肉な話だ。けれど、それが人間だと思う。司法書士だって、感情で動く。だからこそ、自分の気持ちを言葉にしてくれる人の存在は、本当にありがたい。
仲直りできたことの本当の意味
次の日、彼女に言った。「この前はごめん。あの時、勝手に苛立ってた。ありがとうって、ちゃんと伝えたかった」。彼女は少しだけ笑って、「私もちょっと言い過ぎました」と返してくれた。それだけで、世界が変わったような気がした。
謝れたことより気持ちが届いたこと
謝罪の言葉は、言った方もスッキリする。でもそれ以上に大切なのは、相手にちゃんと気持ちが届いたかどうかだ。自分は自分なりに向き合ったつもりだったけれど、それが伝わっていなければ、意味がない。あの一言のおかげで、ようやく心が通じた気がした。
解決より共感が欲しかった
喧嘩やすれ違いにおいて、解決策を出すより先に、まず「わかるよ」と言ってほしい気持ちがある。理屈ではなく、気持ちの温度に触れてほしい。今回はまさにそれだった。謝罪よりも、「そうだったんだね」の一言が、一番の救いになることもある。
ありがとうは仕事より難しい
書類を作るより、登記を通すより、人に「ありがとう」と伝える方が難しいと感じることがある。でもそれを口にするだけで、空気が変わる。人との関係は、ほんの一言で崩れることもあるけれど、同じく一言で修復もできる。だから、言葉は大切にしたい。
司法書士の仕事と人間関係の微妙な距離
距離を取るのが得意な職業。だけど、距離を縮めるのは苦手。それが司法書士という職業の特性でもある気がする。仕事で距離を見極める能力があるのに、身近な人との距離感では迷子になりがちだ。
距離感のプロなのに自分のことは見えない
登記の相談で「お父さんとは絶縁してまして…」と話す依頼人には寄り添えるのに、自分が誰かと距離を取ってしまった時は、原因も解決策も見えなくなる。そういう自分の不器用さが、少し恥ずかしくもあり、どこか愛おしいような気もする。
信頼は紙よりも薄くなることがある
どれだけ契約書を交わしていても、信頼関係が壊れるのは一瞬だ。それは仕事でも、日常でも変わらない。だからこそ、日々の関係性を大切にしたいと思う。書面に残せない信頼こそ、一番大事にしなければならないのかもしれない。