変わり続ける世界で取り残される気がして息が詰まる

変わり続ける世界で取り残される気がして息が詰まる

気づけば取り残されているような感覚

司法書士という職業は一見すると「安定」の象徴のように思われがちですが、実際には社会の変化の波にいつもさらされています。自分では現状維持しているつもりでも、周りを見るとどんどん新しいツールややり方が取り入れられていて、「自分だけが取り残されているんじゃないか」という焦りを覚えることが増えてきました。特に地方にいると、情報の流れが遅く、乗り遅れた感が倍増します。そんな感覚に日々息苦しさを感じています。

SNSもAIも正直ついていけない

TwitterやInstagramで発信している同業の先生方を見て、「すごいな」とは思うけれど、正直どこから手をつけていいかわからないまま数年経ってしまいました。さらにの登場で、業務の効率化も一気に進んでいるようです。AIに契約書を下書きさせたり、調べ物を任せたり、そんな話を聞くだけで自分が化石みたいに感じてしまうんです。

の存在が焦りを加速させた

ある日、知り合いの若手の司法書士に「で書類のドラフト作ってるんですよ」と言われました。私の中では、書類は自分の頭で考えて一から作るもの、という感覚が根強くありましたから、「そんな方法があるのか」と目から鱗でした。でもその反面、「もう自分のやり方ではダメなのか?」という不安にも襲われました。

「時代に乗る気がない」わけじゃないのに

新しい技術や方法を拒んでいるわけではないんです。ただ、調べて、試して、習得して、となると、その前に疲れてしまうのが本音です。特に一人事務所に近い状態で、事務員さんと二人だけ。日々の業務をこなすのが精一杯の中で、「変化」に対応する余力なんて、どこにも残っていません。

周囲は華やかに見えてしまう

昔の同級生や司法書士仲間のSNSを見ると、講演会に登壇していたり、YouTubeで情報発信していたり、「同じ仕事をしてるとは思えない」と感じる瞬間があります。自分はただ地元で登記や相続に黙々と向き合っているだけ。あの人たちのように前に出る勇気も、スキルも、なぜか湧いてこないのです。

同業者の発信がまぶしすぎる

特に「士業系インフルエンサー」と呼ばれるような方の活動は、まぶしすぎて直視できないときがあります。確かにすごい。でも自分とは違う世界の人間のようにも感じてしまう。そんな自分を「やってないだけ」と責めることもありますが、どうしても一歩が踏み出せないんですよね。

自分のやり方がもう古いのかもと感じる瞬間

電話とFAXと紙で仕事を回していた時代は、間違いなく自分のやり方で十分でした。でも今は、メールもチャットも当たり前、電子申請も常識。時代の変化に取り残されることの怖さと、だからといってすぐに変われない自分への苛立ちが入り混じって、焦りがどんどん募っていきます。

事務所という小さな世界に閉じこもる

小さな事務所で、事務員さんとたった二人。毎日同じ机で、同じような案件を淡々と処理していく。外との接点が限られているからこそ、情報のアップデートもされにくいし、自分の世界がどんどん狭くなっていくのを感じます。まるで、外の世界と遮断された箱の中で働いているような、そんな気分になるときがあります。

一人の事務員と二人三脚の毎日

うちの事務所は、事務員さんがとてもよく頑張ってくれているのでなんとか回っています。ただ、その分「教える時間」や「任せる判断」にも気を遣います。自分が古いやり方を変えられずにいるせいで、事務員さんの方が新しいツールに詳しい、なんてこともあります。嬉しさ半分、情けなさ半分です。

業務は安定していても心は不安定

登記や相続の案件は途切れることなくあります。地元の方々に頼ってもらえているのはありがたいこと。でも、同じことの繰り返しで心がどこか摩耗している気もします。変化が怖いのに、変わらなければいけないという焦燥感。安定はしているけれど、どこか揺らいでいる毎日です。

「変わらない日々」が逆にプレッシャーになる

ルーティンに守られているようでいて、気づけばそのルーティンに縛られてしまっている。新しいことに挑戦しようとすると、今の仕事が崩れてしまいそうで怖い。そんな矛盾した気持ちを抱えたまま、今日も変わらない日々を過ごしています。それがまた、自分を責める材料になるんですよね。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。