電話が鳴るだけで心臓が跳ねるあの感覚
事務所で一人、静かに書類を作っているときに突然鳴り出す電話の音。その瞬間、胸がドンと苦しくなり、胃の奥がキリキリと痛み始める。そんな反応が、もう何年も続いている。誰からの電話か、用件は何か、そんなことを考える前に、身体の方が先に「警戒」を始めてしまう。電話は、本来コミュニケーションの道具だったはずなのに、今では脅威の象徴のように感じてしまっている。
昔は電話を取るのが平気だったのに
思えば、司法書士として働き始めたばかりの頃、電話はむしろワクワクする存在だった。「新しい依頼かもしれない」「誰かが自分を頼ってくれている」そんな気持ちで、むしろ積極的に出ていた。しかし、独立してから年月が経ち、内容がトラブルやクレーム、急な依頼ばかりになっていくうちに、着信音に条件反射的な拒絶反応が出るようになってしまった。
独立直後はまだ希望があった
独立したての頃は、電話一本に対する期待も大きかった。「仕事が来た!」と心から喜べたのだ。しかし、現実は厳しかった。初対面の人からの無茶な要求、依頼者の不安、他士業からの圧の強い問い合わせ。期待と裏腹に、電話は徐々に「自分の心をすり減らすもの」へと変化していった。
「お客様」から「火種」へと変わった着信
今では、電話が鳴るたびに「何か面倒な話ではないか」と身構えてしまうようになった。「お世話になります」と聞こえた瞬間に、こちらの胃はキュッと縮む。もちろん依頼者が悪いわけではない。ただ、これまで積み重なった無理難題やトラブル対応の記憶が、反射的に私の身体に「警報」を鳴らしているのだ。
一件一件が地雷のように思えてくる
電話一本に、いつも自分の精神が試されるような感覚がある。内容が軽いものでも「もしかしたら…」という予測が外れることは少ない。だから、常に最悪を想定してしまう。これはもう、地雷原を歩いているようなもので、どこに踏み込んでも爆発音が響くような疲労感がある。
胃がキリキリするのは身体からの警告だった
単なる「気のせい」だと最初は思っていた。しかし、ある日胃痛が止まらず病院に行ったところ、「ストレス性胃炎」と診断された。毎日の生活のなかで、自分では気づかぬうちにストレスをため込んでいたのだ。体調の変化は、まさに身体からの「無理するな」というメッセージだった。
気づいたら処方薬が手放せなくなっていた
胃薬は今や常備品だ。ひどい日は出勤前に飲み、電話が多そうな日は昼にも追加する。「薬がないと一日乗り切れない」という日も珍しくない。体調にまで影響が出るということは、もはや精神的な限界が近いということなのだと、自覚せざるを得なかった。
身体より先にメンタルが限界を告げた
薬で身体の痛みはごまかせても、心のしんどさは誤魔化せない。日々の小さな出来事にも過敏に反応し、人の言葉に傷つきやすくなっていた。「もうやめたい」「逃げたい」と思っても、逃げ場がないのが独立開業の難しさである。そんなジレンマの中で、ますます気持ちは擦り減っていった。
ふとした瞬間に涙が出るようになった
ある日、たまたま流れていたCMの音楽を聴いただけで、涙が出たことがあった。何かが壊れたのだと思う。仕事中に泣いてしまう自分に驚きながら、「限界」という言葉が頭をよぎった。これは単なる忙しさではない。心が「もう無理」と叫んでいるサインだった。
電話対応に追われて進まない本来の業務
登記の書類を整理していたはずが、いつの間にか一時間も電話対応に時間を取られている。そんな日が続く。集中して作業したいのに、その度に着信で中断される。これでは効率も悪くなるし、ストレスも倍増するばかりだ。
登記は進まないのに時間だけが溶けていく
気づけば夕方になっている。午前中に終わらせたかった書類が、まだ一文字も進んでいない。電話対応というのは見た目以上にエネルギーを消耗する作業である。話す内容に神経を使い、トラブルを避けるために言葉を選ぶ。その繰り返しで、思考もすり減っていく。
事務員に頼めない電話と頼みたくない電話
事務員に任せられる内容もあるが、たいていは「先生でないと困る」という話が多い。かといって、事務員に負担をかけたくないという思いもある。結果的に、自分で全部抱えることになり、それがまた自分の首を絞めているのだ。
独立すれば自由になると思っていた
独立前は「自分のペースで働ける」「嫌な上司もいない」と自由に満ちた理想を描いていた。しかし現実は、すべての責任が自分にのしかかるだけの生活だった。自由の裏側にあるのは「責任の山」であり、逃げ道のない日々だった。
期待していたのは仕事の裁量だった
誰にも指図されずに自分で判断できる仕事。それが私の望んだ「自由」だった。しかし、それには「すべての結果を受け止める覚悟」が求められた。裁量と責任はセットだと、身をもって知ることになった。
現実はすべて自分が背負う自由だった
やるもやらぬも、決めるのも謝るのも自分。事務所にいる時間も、帰宅時間も、休日も、何ひとつ「完全にオフ」な時間がない。電話一本で休日が消えることもある。「自由」は、自分を律する力と、折れない心が必要だった。