振り返ると誰にも感謝されない日々もあった
司法書士としての日常は、派手な舞台もなければ拍手もない。書類を積み上げ、登記簿を確認し、期日に追われて郵便局へ駆け込む。そんな仕事の繰り返しの中で、感謝の言葉なんてほとんど聞いた記憶がない。特に相続や不動産の登記などでは、感情的に疲れきった依頼者が多く、こちらの配慮も届かないことが多かった。報酬はきちんともらっている。でも、心が満たされるわけではない。何のためにやってるんだろうと、ふと手を止めてしまう瞬間もあった。
手続きは完璧でも届かないありがとう
完了通知を出すとき、こちらは「よし」と胸を張る。でも電話越しの返答は「了解です」のひと言だけ。冷たいわけじゃないのは分かってる。でも、ありがとうの一言がないと、どこか空しい。あるとき、地方の役所にギリギリで届けを出した案件があった。台風の影響で交通網が麻痺していて、移動も命がけだったが、なんとか間に合わせた。それでも依頼者の反応は「あ、間に合ったんですね」だけ。いや、それでいいんだろうけど…でもちょっと寂しいのが本音だ。
淡々と進む業務に心がすり減る瞬間
黙々と進めるデスクワーク、誰かに褒められることもない。SNSにアップしてバズることもなければ、「よくやった!」なんて言ってくれる上司もいない。司法書士って、案外孤独な職業だ。事務員の女性も気を遣ってくれてはいるが、たまに「お疲れ様です」の声に救われることがある。けれど、それ以外の時間はパソコンの画面とにらめっこ。書類の山と締切の重圧に、心がじわじわと摩耗していくのが分かる。
評価されるのは結果だけの世界
司法書士の仕事はミスが許されない世界。完璧にやって当たり前、少しでも抜け漏れがあれば信用を失う。それがこの業界の常識だ。だからこそ、評価されるのは「結果」だけ。過程や努力は見えない。真夜中まで調べ物をしたことも、朝イチで役所に並んだことも、誰も知らない。だからこそ、たまに「ありがとう」と言ってもらえると、それがものすごく沁みる。人間って、結局は承認されたい生き物なんだなとしみじみ思う。
それでもなぜか続けてこれた理由
こんなに報われないことも多いのに、なぜか辞めずに続けてしまっている。仕事としては正直きつい。でも、自分の中にある「誰かの役に立ちたい」という気持ちは意外と根強い。報酬よりも、誰かの不安をひとつ取り除けたという実感。それが積み重なって、ここまで来てしまったのかもしれない。
野球部時代にしみついた我慢グセ
学生時代、僕は野球部だった。控え選手でベンチにいることの方が多かったけど、声だけは誰より出していた。しんどくても、ひとりでバットを片付けたり、グラウンド整備を黙々とこなしていた。そういう我慢や裏方の作業に慣れすぎてしまっているのかもしれない。司法書士の仕事も似たようなもので、目立たず、静かに誰かを支える。誰かが気持ちよく暮らせるように、そっと舞台裏を整える役目だ。
負けても声を出し続けたベンチの記憶
思い出すのは、負け試合のあとでもキャプテンより声を出していたあの頃の自分。誰にも見向きもされなくても、自分だけは自分を誇っていた。司法書士になった今、あのときと同じ気持ちで、依頼者の影に寄り添っている気がする。「見えなくても必要な存在」って、自分に言い聞かせて今日もデスクに向かう。
忍耐と責任感が辞め時を見失わせる
何度か「もう無理だな」と思ったこともある。でも、そのたびに「でも今辞めたら、あの人の登記どうなる?」と考えてしまう。この業界、誰かの人生が一枚の書類で大きく動く。責任感が強いのか、ただの意地なのか、もはや自分でも分からない。ただ、「ありがとう」がたった一言もらえるだけで、「もうちょっとだけ頑張ってみるか」と思えてしまうのだ。
忘れられない依頼者の一言
数年前、難しい遺産分割の案件を担当した。相続人同士がバラバラで、関係もこじれていた。何度も調整して、ようやく手続きが終わった日、代表者だった娘さんから一通の手紙が届いた。「本当にありがとうございました。あなたがいなければ兄とも話せなかった」とあった。そのとき、涙がこぼれた。あれは、今もデスクの引き出しにしまってある。
あの「ありがとう」でやっと報われた気がした
報酬ももらったけれど、正直それよりもあの手紙が何倍も心に残っている。家族の間にあったわだかまりが、少しでも解けた。そのきっかけになれたなら、この仕事も悪くないと思えた。たった一言で、何ヶ月分の疲れが溶けていくような感覚だった。
報酬明細より心に残った手紙の言葉
封筒の中に入っていた手紙は、小さな便箋1枚だった。でも、その中には感謝と敬意が詰まっていた。思えば、自分の存在が誰かの人生にちゃんと届いていたんだなと、初めて自覚できた瞬間だった。あの言葉がなければ、いま事務所はもう閉じていたかもしれない。
仕事の重さとやりがいは一致しない
苦労した案件ほど、報酬は意外と低いことがある。逆に、あっさり終わった案件の方が高額なこともある。でも、「ありがとう」がもらえた案件は、どれも思い出に残る。やりがいって、重さや金額じゃない。ちゃんと「人」として向き合えたかどうか、それだけなのかもしれない。