顔見知りとのすれ違いにふと感じるもの
忙しい朝、バタバタと事務所に向かう前に郵便ポストを覗くのが習慣だ。玄関を出たその数秒間に、向かいの家の奥さんと鉢合わせになることがある。特別話すわけでもない。ただ、軽く会釈して終わるだけの関係。でも、なぜかその「おはようございます」とも言わない小さなやり取りが、妙に心に引っかかる時があるのだ。自分が思っているよりも、誰かと顔を合わせるというだけで救われる場面はあるらしい。声をかけるわけでも、励まされるわけでもない。でも確かに、そこには人とのつながりがある。
郵便を取りに出た数秒の偶然
ある冬の朝だった。前日の残業で寝不足だったせいで、いつものように慌ただしく玄関を開けた。目の前にいたのは、近所の女性。年齢も名前も知らないが、もう何度も顔を合わせている。ほんの一瞬、お互い目が合って、それぞれ軽く会釈して、それで終わり。でもその瞬間、なんとなく「今日も大丈夫」と思えた。不思議なことに、その日は仕事で少し嫌なことがあっても、あの会釈がずっと心の奥に残っていた。
無言のあいさつが日常の一部になる
話しかけるわけでもない、名前も知らない、でも顔は知っている。そんな人が日常の中に何人かいる。玄関で、スーパーで、車のすれ違いざまに。無言のまま交わされる会釈は、会話以上に気持ちを伝えることもある。まるで「今日もお互い頑張りましょうね」と無言で言い合っているような、そんな気持ちになる。忙しい司法書士の仕事では、つい人と距離を取ってしまいがちだけど、こうしたささやかな接点が、心の余裕を保つ鍵になる。
それでも気づかれない日もある切なさ
ただ、毎回が良い出会いとは限らない。ある日は自分が挨拶したつもりでも、相手はスマホを見ていたり、足早に通り過ぎたり。そんなとき、ちょっとだけ心がザラつく。「あれ、何か気分悪くさせたかな」「見えてなかったのかな」なんて思ってしまう。何気ない一瞬の反応が、想像以上に心に影響を与える。司法書士という立場上、人の感情には敏感なつもりだったが、意外と自分が一番傷つきやすいのかもしれないと気づく瞬間だ。
地域密着の司法書士という孤独な仕事
司法書士という仕事は、人の人生の節目に関わる重要な仕事だ。相続、登記、会社設立など、法律的な手続きの裏側には必ず人の物語がある。にもかかわらず、地元での自分の存在はそれほど知られていない。道ですれ違っても、誰も気づかないし、挨拶もされない。仕事では深く関わるのに、日常では透明人間みたいなものだ。このギャップが、妙に寂しい。誰かに見られているようで、誰にも気づかれない存在。それが地方の司法書士だ。
相談者とは深く話せるのに近所では壁がある
業務中、相談者とは1時間でも2時間でも話す。家族の話、財産の話、時には人生相談のようになることもある。でも、その相手と道端で出くわしても、向こうからは気づかれないか、気づかれても素通りされる。おそらくプライバシーの配慮という意味もあるのだろう。でも、こちらとしては「あの人は今、元気にしてるかな」と気になることも多い。業務が終われば赤の他人に戻る。だからこそ、ほんの少しの視線や挨拶が、心のバランスを取る大切な要素になる。
人の顔と名前を仕事で覚えてもプライベートは別
司法書士として、登記や遺産相続の関係者の名前や顔は、半ば職業病のように覚えてしまう。だけど、プライベートの顔と名前はなかなか覚えられない。ご近所さんに対して「どこかで見たな」と思うのに、名前が出てこないことも多い。それが逆に壁を作ってしまう。名前を知らないから話しかけづらい。そんなもどかしさを感じつつも、やはりどこかで「覚えてくれてたら嬉しいな」と思っている自分がいるのも事実だ。
仕事と私生活の境界線が曖昧になる瞬間
ある日、スーパーで見かけた方が以前の相談者だった。目が合ったが、相手はすぐに目をそらした。こちらも「気まずかったかな」と思い、声をかけなかった。その夜、なぜかその出来事が頭から離れず、眠れなかった。仕事とプライベートを分けるのは当たり前だけど、自分の中でその境界線が曖昧になっているのだろう。誰かと関わる以上、全くの他人ではいられない。だからこそ、顔見知りとの何気ない瞬間に、思わぬ重みを感じてしまうのかもしれない。
忙しさの中で気づかぬうちに削られる心
毎日が忙しく、次から次へと書類や手続きがやってくる。業務の精度は求められるし、ミスは許されない。そうした緊張感の中で働いていると、気づかぬうちに心が摩耗していく。それを回復させる時間も、人との交流もなかなか持てない。そんな中で、ただ「おはようございます」と言ってくれるだけの顔見知りの存在が、心の潤滑油になるのだから、人間って案外単純で、だけどとても繊細なんだと思う。
一人事務所で話す相手も限られて
うちの事務所は小さい。一人事務員さんがいてくれるだけでも助かっているが、基本的に会話も最小限。効率重視で、忙しくしているとそれ以上の会話がなくなる。昼食も一人、帰り道も一人。ふと「今日、人と話したの、何分だったかな」と思うと、案外数分だったりする。そんな日が続くと、精神的にも閉塞感が出てくる。「誰かとつながりたい」という欲求を、日常のどこかで満たさないと、心の糸が切れてしまいそうになる。
事務員さんとの会話だけが救いの日もある
そんな中で、事務員さんとのちょっとした会話が救いになる日もある。「今日寒いですね」とか「この書類、ちょっと面倒ですよね」とか、そんな一言で笑い合えるだけで、少し肩の力が抜ける。司法書士は常に“しっかりしていないといけない”というプレッシャーがある。でも、事務員さんの一言で「まあ、そんな日もあるよな」と思える瞬間がある。小さな会話にどれだけ支えられているか、自分でも驚くくらいだ。
声をかけられたいのは自分の方かもしれない
仕事柄、人に頼られたり、相談されたりすることは多い。でも、自分が誰かに頼ったり、話しかけられたりすることは少ない。ふと、郵便ポストの前で誰かに「こんにちは」と言ってもらえたら、それだけで少し救われるような気がする。結局、誰よりも「声をかけられたい」「気にしてほしい」と思っているのは自分自身なのだと思う。忙しさの裏で、そんな小さな望みを抱えながら、今日もまた玄関の前に立っている。