配達員のお疲れさまに泣きそうになる日もある

配達員のお疲れさまに泣きそうになる日もある

誰にも労われない日常で

朝から晩まで書類とにらめっこ。お客さんの電話に丁寧に応じ、ミスのないよう慎重に処理を進めて、気づけば夕方。誰かに「お疲れさま」と声をかけられることは、ほとんどない。地方の司法書士事務所を一人で切り盛りしていると、褒められる機会はまずない。うちの事務員も優しい方だが、お互い忙しく、ねぎらう余裕などないのが現実だ。そんな日々が続くと、他人のたった一言が不意に心に響く。玄関の前で、ただの配達員がかけた「お疲れさま」が、なぜか沁みることがあるのだ。

お疲れさまと言われない職業

司法書士という仕事は、裏方のような存在だ。登記を正しく処理して当たり前。何かミスが起これば責められるが、無事に終わっても「よくやった」と言われることはほぼない。お客さんから「ありがとうございました」と言われることはあるが、それは手続きが終わったからであって、労いとはまた違う。いつからだろう、「人に感謝される」という実感が、心から遠のいてしまったのは。

ミスすれば叩かれ成果は当然

ミスをしたときの反応はすさまじい。自分の責任でないことまで背負わされることもある。でも「うまくやったとき」は、むしろ空気のような扱いだ。それが当たり前、という扱いをされることに、少しずつ心がすり減っていく。元野球部の頃なら、試合に勝てば歓声が上がった。でも今は?勝ち試合も無音。拍手のないマウンドに、毎日一人で立っている気分になる。

見返りを求めないことに疲れてくる

見返りを求めて働いているわけじゃない。でも、「ありがとう」の一言さえない日が何日も続くと、ふと心が重くなる。報酬も大事だけど、人間は結局「気持ち」で動いている。誰にも頼られず、誰にも頼れず、それでも黙々と続ける仕事。それが司法書士の孤独でもある。だからこそ、玄関で誰かが発する言葉に、心がほどける瞬間があるのだ。

玄関先に立つ人の優しさが沁みる

先日、疲れ切って帰ってきた夕方。ネットで頼んだ書類用のバインダーが届いた。配達員が渡しながらふと言った。「お疲れさまです」。ただそれだけの一言。なのに、妙に胸にきた。誰にも気づかれず、無言で一日が終わる日常のなか、その言葉はまるで栄養ドリンクのように体に染み渡った。「あ、オレ、疲れてたんだな」と、そのとき初めて気づいたのかもしれない。

ほんのひとことが胸にくる

配達員の人は、もちろん自分の仕事として言っているのだろう。でも、それでもいい。自動的でもマニュアル通りでも、その言葉が届いた瞬間には、人の温かみとして変わる。たった一言なのに、自分の存在が認められたような気がして、胸の奥に何かがじわっと広がった。無意識に涙腺がゆるんでしまうのは、知らず知らずのうちに張り詰めていた証拠なのだと思う。

荷物より重いものを受け取っている

手渡されたバインダーの重さなんて知れている。でもその日、自分が受け取ったものは、もっと重く、もっとあたたかいものだった。言葉って、すごい。書類を通して言葉を扱う身として、つい機械的になっていたけれど、本来、言葉は人を救う力がある。だからこそ、その一言が沁みたのだろう。届いたのは荷物じゃなく、たぶん「人の気持ち」だった。

ありがとうと言えずにドアを閉めた

本当はすぐに「ありがとうございます」と返したかった。でも、ちょっとだけ恥ずかしかった。泣きそうになった顔を見られたくなかったのかもしれない。ただ「どうも」とだけ言って、そっとドアを閉めた。配達員の方、あの日の一言、ちゃんと届いてました。本当にありがとう。いつかもっと元気な声で、こっちからも「お疲れさま」と言えたらいいなと思っている。

他人の言葉の方が効くときがある

身内や仲間の励ましもありがたいけれど、ときにはまったく関係ない他人の言葉の方が、不意打ちのように刺さることがある。おそらく、それは「期待していなかった」からだ。何も求めていなかった場所からの優しさに、心が反応してしまう。期待していなかったからこそ、本当に助かったと思える。司法書士という立場だからこそ、他人の言葉の重みをあらためて知った。

家族でも同業者でもない誰かの声

家族には心配をかけたくないし、同業者同士では張り合いもある。そうなると、「どこにも吐き出せない」という状況になりがちだ。でも、家に来た配達員や、喫茶店のマスターの一言に救われることがある。利害関係のない関係って、意外と貴重だ。「通りすがりの人の声」に、どれだけ自分が助けられてきたか、思い返せばいくつもある。小さな声に、背中を押されることがある。

孤独のなかで沁みる無意識の気遣い

「お疲れさまです」「寒い中ご苦労さまです」。これらは配達員や店員の方がよく口にする言葉。でも、それを聞く側の心の状態によって、意味は全然違ってくる。心が折れそうなときに言われれば、それは救いになる。孤独な日々のなかで、人の無意識の気遣いが、こちらの孤独にそっと触れてくる。その温度に気づけたとき、自分もまだ人間なんだと思えるのだ。

見えない支え合いに救われて

司法書士という仕事は、孤独との闘いでもある。でも、見えないところで支えられていることに気づくと、少しだけ救われる。顔も名前も知らない人の、何気ない優しさ。その積み重ねが、自分を人として踏みとどまらせてくれる。見返りを求めず、ただ誠実にやってきた日々が、少しだけ報われた気がする。誰かの何気ない言葉が、明日の自分をつなぐ命綱になることもある。

ありがとうの言葉はちゃんと伝えたい

だから、次はこっちから「ありがとうございます」と言えるようにしたい。仕事が忙しいのは変わらないけど、人の言葉に救われたなら、その分をまた誰かに返したい。ちょっとした一言が、誰かの孤独を和らげるかもしれない。そのことに気づけただけでも、今日はいい日だったと思える。疲れてるけど、生きてる。そんな実感をくれた配達員の一言に、改めて感謝したい。

優しさは伝染することを思い出す

日々に追われて忘れがちなこと。それは、優しさは連鎖するということだ。誰かの言葉に助けられたら、自分もまた、誰かを助ける番だ。小さな「お疲れさま」から始まる支え合いが、案外この世界を回しているのかもしれない。司法書士の仕事は書類と数字に囲まれているけれど、その裏にはやっぱり人がいる。そのことを忘れずに、また明日もやっていこうと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓