この気持ちはどこにも記録されない
毎日のように登記簿を申請し、謄本を確認し、訂正の届出を出す。事務所の机の上には、誰かの人生が丁寧に記録された紙が並ぶ。でも、ふと気づく。自分の人生はどこにも記録されていない。登記事項証明書のように、自分の歩みを一枚で見せられるものがあったら、誰かに見せて「これが俺の人生です」と胸を張れただろうか。いや、そもそも誰に見せるのだろうか。恋人もいない、家族も減った。今日も独りで黙々と申請書を作る。過去の後悔も、日々の不安も、登記簿には載らない。ただ、自分の中だけに積み上がっていくのだ。
法務局に通うたび思うこと
法務局の窓口で順番を待つ間、ふと他人の人生を想像することがある。「この謄本の持ち主は、今どこで何をしているんだろう」って。結婚したのか、離婚したのか、相続でもめたのか、どれも自分には関係ないことのはずなのに、なぜか気になる。多分、自分の人生が単調で、変化が少ないからだ。最近じゃ自分の登記簿があるなら、空白だらけなんだろうなと思ってしまう。昔、甲区とか乙区とか冗談で言ってたけど、俺の甲区、何年も変動なしだ。そんなことを思いながら、今日もまた番号札を片手に窓口へ向かう。
誰かの人生を紙に残す仕事
司法書士という仕事は、誰かの人生の節目に立ち会うことが多い。不動産の購入や相続、会社設立や登記の変更。その一つひとつにドラマがある。昔、若いご夫婦の住宅購入に立ち会ったとき、奥さんが涙ぐんでいた。「やっと夢が叶いました」と言っていた。俺はその登記を機械的に処理したけれど、あれは彼らにとっての一大イベントだったんだと思う。俺の人生には、そういうドラマはない。書類を通じて人の人生に触れているのに、自分の人生は置いてけぼり。それが、ちょっとだけ寂しい。
でも自分のことは何も残らない
毎日誰かのために書類を作っても、自分のための記録はどこにもない。趣味も減り、友達とも疎遠になり、気がつけば事務所と自宅の往復だけ。登記簿は誰かの財産を守るためのものだけど、自分の心の財産は守ってくれない。夜中にふと目が覚めて、今日何をしたか思い出せないとき、「俺って生きてる意味あるのかな」と思ってしまうこともある。でも、そんな感情も誰にも言えず、記録にも残せず、そっと胸にしまってまた朝を迎えるのだ。
登記簿に載るのは事実だけ
登記簿はシンプルだ。所有者、地番、権利、日付。すべて事実のみで構成されている。そこに至るまでの背景も、気持ちも、迷いも、まるで存在しなかったかのように無視される。仕事で扱う以上、その無機質さには慣れているつもりだったが、ふと我に返ると、その冷たさに心が追いつかない。人の感情なんて無視して動く世界。その中で、俺自身の感情はどこにあるんだろう。何を記録しておきたかったんだろう。そんなことを考えるようになったのは、きっと年を取ったからだ。
想いとか迷いとかは全部省略
例えば離婚の登記をした夫婦がいる。手続きは完璧だった。登記簿には「所有権移転」とだけ記されている。でもその裏には、何年もの葛藤や涙があったのだろう。俺が関わったのは、その最後の一瞬だけ。書類に捺印し、提出するだけの存在だった。でも本当は、もっといろんな想いがそこにあったはずなのに、それらはどこにも残らない。俺自身も、仕事の場面では感情を抑えて対応する。それがプロだ。でも、家に帰るとどうしようもなく疲れが出て、テレビをつけっぱなしにして眠ってしまう夜が増えた。
手続きは完了しても心は追いつかない
申請が完了し、登記が通った瞬間、「よし終わった」と思う。それは仕事としては正解だ。でも、その人にとっての人生の一区切りが本当に完了しているかというと、そうじゃない。誰かが亡くなったあとに相続登記をするとき、遺族の表情は様々だ。淡々としている人もいれば、泣き出しそうな人もいる。だけど俺は、それを見ていながらも「次の登記は…」と頭の中で段取りを考えてしまう。心が追いつかないまま処理だけが進んでいく。そんな仕事の仕方に、時々自分でも嫌気がさす。
申請日と実際の感情にはズレがある
登記簿には申請日が書かれる。それは制度上、絶対に必要な情報だ。でも人の気持ちは、そんなに簡単に日付で整理できない。後悔は数日後にやってくるかもしれないし、安心するのは何週間もあとかもしれない。俺自身も、仕事での失敗を「気にしてない」と思っていても、数日後に急に思い出して落ち込んだりする。そんな自分の感情の波を、登記簿のように整然と記録できたらいいのにと思う。だけど現実は、整理されないまま心の中で積み重なっていくだけだ。
記録できない後悔もある
失敗や選択ミス、あのときこうすればよかったという後悔は、登記簿には載らないし、載せられない。たまに過去の案件を思い出して、眠れなくなる夜もある。特に独立して間もない頃、余裕がなくて依頼人の話をちゃんと聞けなかったことがあった。後日、その方が他の事務所に変更されたと聞いたとき、何とも言えない喪失感があった。登記簿は完璧でも、気持ちが置き去りだったんだろうなと反省している。でもその反省をどこに書き残せばいいのか、今も答えは出ていない。