空欄を見つけるたびに心がざわつく
登記申請の最中、ふと書類の一欄が空欄になっているのを見つけると、ぞわっと冷や汗が出る。日常茶飯事とはいえ、それでも慣れないのがこの“欠け”。依頼人から提出された資料に足りない情報があると、こちらでカバーしようにも限界がある。郵送でのやりとり、電話での確認、最悪の場合は一からやり直し。そんな状況が一日に何度もあると、さすがに心も削れてくる。たった一箇所の空欄が、業務全体を足止めし、士業としての信頼に関わる。それがわかっているからこそ、恐ろしくなるのだ。
完璧な書類など存在しないという現実
昔は「完璧な書類を仕上げるのがプロだ」と思っていた。だが現実は違う。依頼人の事情、役所のルール変更、天候による遅延、予測できない要因がいくつも積み重なって、書類の完成はいつもギリギリ。完璧など幻想で、現場は“間に合わせる”ことで精一杯。私も事務員も、確認に確認を重ねているが、それでも漏れは出る。ミスが出れば叱られるのは自分。気を抜けないが、ずっと張り詰めても続かない。この矛盾に毎日耐えている。
埋まらない情報と埋められない責任感
足りない項目に気づいたとき、「ああ、またか…」とつぶやく癖がついた。責任感はある。いや、ありすぎるのかもしれない。依頼人の代わりに奔走し、役所に頭を下げ、期限を守る。それが司法書士の仕事だ。でも、こちらの説明が十分じゃなかったのではと自分を責めることも多い。責任感が強すぎると、結局、自分が壊れていく。
あと一歩で完成だったはずなのに
「あとは提出するだけですね」と言ったその夜に、ふと不備に気づく。住民票の住所が違っていた、印鑑が旧姓だった…。その“あと一歩”が遠い。ゴールテープの手前で転んだ気分になる。疲れ切った体に鞭打って、また確認作業。目の前で笑っていた依頼人の顔が、プレッシャーに変わる瞬間だ。
誰のせいでもない空白の罪
空欄は誰のせいだろう。依頼人か、自分か、社会か。責任の所在を探しても、結局は「埋めなければならない」それだけ。誰かを責めても業務は進まないし、信頼は戻らない。ただ、心のどこかでは「またかよ…」という小さな苛立ちが渦を巻いている。
依頼人のミスかこちらの見落としか
「言いましたよね?」「それ、聞いてませんけど?」――そんな押し問答は日常茶飯事。依頼人が勘違いしていたのか、こちらの説明が足りなかったのか、確証はない。でも、最終的に責任を取るのはこちら側。信頼を裏切ったような気持ちが胸に残る。そしてその夜は、焼酎が少し濃くなる。
「もらってません」攻撃に心が折れる
メールで送った書類。「受け取っていません」と言われると、心が折れる。こちらの履歴ではちゃんと送信済み。でも、相手がスマホで開かなかった、迷惑メールに入っていた、プリンタが壊れていた――言い訳は無限。怒る気もなくなる。ただ、言葉少なに「わかりました」とだけ返す。虚しさと一緒に。
空白を埋める作業が心を削る
目の前にある書類の空欄。それを埋めるために電話をし、メールをし、足を運ぶ。たった一箇所のために、これだけ時間と労力がかかるのかとため息が出る。そんな積み重ねが、確実に心を蝕んでいく。書類の穴を埋めながら、自分の気力の穴が広がっていく感覚。これが“消耗”というやつだ。
一つの欄に三往復する日々
空欄を埋めるために、役所と事務所を三往復。印鑑証明の期限が切れていたり、本籍が違っていたり、書類が破れていたり。一つの欄に、丸一日が費やされる。そのくせ、依頼人には「まだですか?」と言われる。こっちの気も知らずに…。でも、感情を表に出すわけにはいかない。士業は感情を抑えてなんぼ。そう言い聞かせる。
郵送待ちの不安と再確認の無力感
資料が届くまで、何もできない時間。待つことしかできないもどかしさ。そして届いたと思ったら、また不備。もう一度お願いの連絡。何度も頭を下げる日々に、「これ、いつまで続くんだろう」と思う瞬間がある。そうしてまた、Excelのチェック欄に赤をつける。心にも、赤が増えていく。
事務員さんも疲れているのがわかる
ふと事務員さんのため息が聞こえる。「すみません、何度も…」と謝ってくるけど、悪いのは彼女じゃない。わかってる。だけど、何度もやり直しになると、空気が重くなる。お互いに無言で作業。沈黙が、何よりつらい。現場は一人じゃないけど、孤独は消えない。
データに残らない努力の虚しさ
不備を直した記録は、データに残らない。ミスを防いだ痕跡も、評価にはならない。完了した書類だけが成果として扱われ、そこに至るまでの苦労は誰にも見えない。だからこそ、「頑張ってるね」の一言が、たまに欲しくなる。誰からももらえないけど。
成果が見えない作業に意味はあるのか
何時間もかけて修正した書類。それを提出しても、「あたりまえ」と思われるだけ。感謝もない。成果も数字に出ない。自分の存在意義すらわからなくなる日がある。でも、それでもやらなきゃ。この町の誰かの暮らしのために。なんとなく、それが司法書士の宿命だと思っている。
報酬と釣り合わない時間の消耗
手続きひとつにかかる時間と、そこから得られる報酬。どう考えても割に合わない。それでも依頼人は「高い」と言う。だったら自分でやってみろ、と思わなくもない。でも言わない。言えない。そうやってまた一つ、自分の中で何かがすり減っていく。
書類の欠けと人生の欠け
書類の空欄を見ていると、自分の人生の空欄にも目がいく。独身、彼女なし、友人少なめ。夜はコンビニ飯、週末は仕事か洗濯。何かが欠けている気がしてならない。でも、だからこそ今この仕事にしがみついているのかもしれない。
埋めきれないのは欄だけではない
書類の空欄は埋められても、自分の心の空白はなかなか埋まらない。誰かと過ごす時間も、語り合う夜も、ここにはない。仕事が忙しいことを言い訳にしてきたけれど、ふと時間が空いたとき、急に寂しさが押し寄せる。机の上の未処理ファイルが、そんな自分を慰める皮肉な存在。
誰かと分担する人生って何だろう
一人で抱え込むのは、もう慣れている。でも、誰かと分担できたらどうだったろう。相談できる相手、同じリズムで動く人がいれば、違った人生だったかもしれない。でも後悔というほどの感情もない。ただ、時々「これでよかったのか」と思うだけ。
書類は埋まっても心の欄は空いたまま
きれいに埋まった登記申請書を見て、満足するはずなのに、どこか物足りなさがある。達成感よりも、「これでまたひとつ過ぎたな」という感覚。時間だけが過ぎていく中で、心の欄は埋まらないまま。だけど、それを見ないふりして今日もハンコを押す。
それでも明日はまたやってくる
文句を言っても、ため息をついても、明日はまたやってくる。仕事は減らないし、書類の空欄も消えない。だけど、それでもやるのが司法書士。向いているかはわからないけど、辞める気もない。そんな中途半端な覚悟が、今日も自分を動かしている。
空白に向き合う力をくれる人たち
それでも、依頼人からの「ありがとうございました」や、事務員さんの「おつかれさま」の一言で、少しだけ救われる。わかってくれる人がいる、それだけで前を向ける気がする。小さな言葉が、空白に向き合う力をくれるのだ。
野球部時代の粘りだけが最後の支え
負け試合でも声を出し続けた高校野球時代。最後まであきらめない根性だけは残った。今の自分を支えているのは、まさにその粘りだと思う。書類にも人生にも空白はある。でも、最後まで走り切れば、何かが残ると信じている。