朝の封筒と異変の気配
金曜の午前中に届いた一通の補正通知
金曜日の朝、郵便受けにひょっこり顔を出していた封筒には、見覚えのある法務局の角印が押されていた。補正通知。ああ、またか、と心の中で呟く。つい一昨日提出した案件だったが、何かやらかしたらしい。カレンダーにでかでかと「旅」と書いた週末が、静かに曇っていく音がした。
週末旅行の計画とサトウさんの冷たい一言
「補正ですか。またですか」と、サトウさんはため息とともに冷たい視線を投げてきた。彼女には、旅行に出かける前に机を空にする約束をしていた。だがその誓いは、またしても破られる運命らしい。「旅先で訂正印を押すつもりですか?」――彼女のその言葉は、サザエさんのカツオの小遣い詐欺がバレた時と同じくらい鋭かった。
消えた申請書の謎
事務所に残された控えと照らし合わせて
「申請書自体は完璧だったはずなんだよなあ」と、机に置かれた控えを見つめる。目を凝らしてみると、補正の内容は「添付書類の写しが不鮮明」。だがこちらの控えには、スキャンした書類が鮮明に保存されていた。提出したものと差し替えられているような、そんな奇妙な感覚がじわじわと湧いてきた。
補正内容の違和感に気づいた瞬間
サトウさんがぽつりと呟いた。「この補正内容、前にも見ました。同じ文面で、違う申請者名義でしたよ」。過去の記録を引っ張り出すと、確かにあった。全く同じような通知、そして不自然な添付書類。これは単なるミスではない、意図された何か――そう直感した。
予定変更と不機嫌な午後
旅行カバンを戻す音が無性に虚しい
部屋の隅に置いたキャリーバッグを、ため息とともに押し込む音がした。「やれやれ、、、旅の神様は、司法書士には冷たいらしい」。行き先は箱根から、法務局になった。温泉旅館の予約をキャンセルしながら、自分の運命にすらツッコミを入れたくなる。
補正通知の発信元を再確認する
発信元の担当官の名前を見て、違和感が倍増した。前回と違う案件なのに、同じ担当名義。しかも、過去に一度もこちらの案件を扱ったことのない人物だ。偶然の一致にしてはできすぎている。これは、何かがおかしい。
記録から見えた別の登記申請
なりすましを疑うも、印影が一致
登記情報交換システムで他の申請記録を調べると、同一の不動産について、別の登記申請が出されていた。しかもその申請書には、こちらが提出した委任状の写しがそのまま使われているようだった。「誰かが、うちの申請書類をコピーして提出したってことか?」だが印影は完璧に一致していた。
関与先の不動産会社にかすかな違和感
その案件の委任者名を見ると、よく知った名前があった。地元の中堅不動産会社「ツツミ不動産」。以前、数件の相続登記で関わったことがある。社長は饒舌だが、時折ウソを挟むような話し方をする男だった。嫌な予感が、背中を這う。
現地調査という名のドライブ
旅行の代わりに向かったのは山間の空き家
車を走らせたのは、箱根ではなく山あいの静かな集落。問題の土地は、誰も住んでいない古い空き家だった。外観は朽ちていたが、表札ははっきりと見えた。「杉本」――申請書に記載された所有者の名前とは異なっている。申請内容と現実が一致していない。
表札と登記簿が語る食い違い
法務局で取得した登記簿と現地の表札、そして聞き込み調査。そのどれもが、現在の名義人が「杉本」氏であることを裏付けていた。つまり、現在進行中の別申請が虚偽に基づくものだということだ。「これは、偽造じゃない。なりすましだ」と、サトウさんが呟いた。
週末の電話が事件を動かす
別人になりすました委任状の筆跡
筆跡鑑定まではいかないが、明らかに署名が違う。「この杉本さん、女性です」とサトウさんがメモを差し出した。過去の案件で取得した印鑑証明と比べてみると、文字の角度と癖が異なっていた。誰かが彼女の名義を使って、別の売買を進めていたのだ。
サトウさんの即断と行動力
「このままだと不正登記が成立してしまいます。すぐに申出書を出しましょう」と彼女が言う。そのままフォームを叩き出し、私は捺印する。彼女の仕事の速さは、正直、もう少し優しくしてくれてもいいのにと思うほどだった。
登記申請に潜んだ犯意
登記識別情報の使い回しトリック
古い登記識別情報を使って、本人確認をすり抜ける手口。司法書士の名を騙って書類を作成すれば、法務局でも見抜けないことがある。社長が過去の案件で得た控えや資料を流用したのだろう。裏では、別の司法書士の名前も勝手に使われていた。
「やれやれ、、、」と嘆きつつ警察に通報
すべての資料をまとめ、所轄の警察に通報した。「やれやれ、、、週末に警察沙汰か」と独り言を呟くと、サトウさんが「あら、いつものことじゃないですか」と笑いもせずに言った。ああ、これが我が人生か、とまた一つ老けた気がした。
不動産会社社長の動機
税逃れと自己破産回避のための偽装工作
社長は借金まみれで、会社の資産を売り抜けるために虚偽登記を仕組んでいた。相手先は、いわゆるペーパーカンパニー。売却後に登記を改めてしまえば、もう取り返しがつかない。司法書士に成りすますのも、それだけの切迫感があったのだろう。
かつての依頼人が敵になった皮肉
「まさかあの社長がね」と、以前の雑談を思い出しながら呟いた。かつては年末に焼酎を送ってくるような間柄だった。それが今では、私を騙る詐欺の首謀者だ。善意の記憶が、だんだんと塩に変わっていく。
旅の代償と静かな日曜日
カバンを開けぬままの週末
旅支度をしたままのキャリーケースは、部屋の片隅で開かれることもなく日曜日を迎えた。テレビでは旅番組が流れ、温泉につかる芸能人の笑顔がこちらを小馬鹿にしていた。「結局、旅ってなんだったっけ」と、ぼそりとつぶやいた。
サトウさんの「旅行より事件の方が似合ってますよ」
「司法書士には事件が似合ってるってことですよ。たぶん」とサトウさんは言った。それが慰めなのか煽りなのか分からないが、不思議と悪い気はしなかった。温泉は逃したが、登記の混乱は一つ収まった。それで、良しとするしかない。
終わりと次の月曜への備え
補正は無事完了したけれど
再提出した補正は、すんなり受理された。今回ばかりは、私のミスではなかったことが救いだった。だが、不正申請に気づけなければ、取り返しのつかない事態になっていたのも事実だった。
また一つ老けた気がする司法書士の独り言
机に腰を下ろし、来週の予定を眺める。「休みって、なんだったっけな」。そう呟いたとき、また封筒が届いた。「また補正ですかね」とサトウさん。「やれやれ、、、」と肩を落としながらも、私はキャップを被り直した。旅は逃げるが、登記は待ってくれないのだ。