届かぬ手紙と消えた相続人

届かぬ手紙と消えた相続人

届かぬ手紙と消えた相続人

梅雨明け間近の湿った空気の中、事務所のポストに一通の茶封筒が届いた。宛名は手書き、字が震えている。
中には、五年前に失踪した女性の名が記されていた。差出人は不明。切手は貼られているが、消印が滲んでいて判読できない。
この手紙が、俺の日常をややこしい方向へと引っ張り込むことになるとは、まだ知る由もなかった。

古びた茶封筒が届いた日

「また変な手紙ですか?」とサトウさんが投げるように言った。投げられたのは言葉だけでなく、すでに封を開けた手紙の束。
見れば、内容は“娘へ”という宛名で始まっていた。差出人は「母」とだけあるが、これが問題の発端だった。
「依頼者も差出人もいない手紙に、司法書士が関わる余地なんてない」と思った俺だが、なぜか胸の奥がざわついていた。

失踪宣告から五年後の依頼

後日、ある弁護士からの紹介で中年男性が訪ねてきた。曰く、五年前に妻が突然いなくなったという。
失踪宣告がようやく確定したので、相続手続きの相談に来たとのこと。あの手紙との関連性は、偶然とは思えなかった。
「失踪日と、手紙の消印が一致してる」とサトウさんが冷静に告げた。やれやれ、、、また面倒な匂いがしてきた。

サトウさんの冷静すぎる分析

「この手紙、封筒だけが古くて中身は新しいですね」とサトウさんが言った。調査好きな彼女は、紙質の差にすぐ気づいたようだ。
なるほど、封筒の劣化具合に比べて中の便箋はほとんど黄ばみがない。まるで新しく書かれた手紙を古い封筒に入れたようだった。
彼女の指摘で、俺の中で「これは遺産相続に関わる偽装工作かもしれない」という仮説が芽生えた。

不自然な宛名と消印の謎

さらに詳しく確認すると、手紙の中には「田中ミユキへ」と書かれていたが、相談者の話では娘の名は「田中美幸」。
「漢字が違うんですよ」と言ったサトウさんは、机の上で住所録の文字検索を始めた。彼女の手は止まらない。
この一文字の違いが、大きなズレを生むことになるとは、誰も予想していなかった。

公正証書と封筒に残された違和感

相続手続きを進める中で、被相続人名義の公正証書が見つかった。が、それには娘ではなく「甥に一部を譲渡する」とあった。
「遺言としては不自然です。全財産じゃないし、娘を飛ばす理由が記載されていない」とサトウさんは言う。
俺も気づいていた。内容よりも、署名の筆跡が少し違う。もしかしたらこの遺言も偽造されているのかもしれない。

登記簿にないもう一つの家

手紙には「もう一度、あの家に戻りたかった」と書かれていた。だが依頼者の戸籍・登記簿上にそんな物件はなかった。
だが、旧住所を調べてみると、空き家になった古い平屋が見つかった。名義は未登記で、固定資産税も支払いがない。
「この家こそ、すべての鍵を握ってるかもしれません」とサトウさんが言った。俺たちは現地に向かった。

消えた姉は本当に死んだのか

その家の納戸から、古びたアルバムとともに現れた一通の封筒。それは今回届いた手紙の控えだった。
つまり、本物の「最後の手紙」はここにあったということ。封を切ると、そこには依頼者の名前が書かれていた。
「あなたにすべてを託します。私が姿を消す理由は、あの夜のことが原因です」と綴られていた。

司法書士の直感と野球部時代のカン

「この感じ、昔のサイン盗みの手口に似てるな」と俺は思わず呟いた。偽装された証拠に共通点を感じたのだ。
犯人は確実に身内だ。封筒を差し替え、筆跡を真似て手紙を演出し、公正証書を捏造していた。
「犯人は甥でしょうね。登記の変更を急いでますし」とサトウさん。やっぱり野球部の直感は外れてなかった。

書類に仕掛けられた偽装の痕跡

公正証書の製本テープが少し浮いていた。サトウさんが丁寧に剥がすと、そこにもう一枚、上から貼られた紙があった。
内容はまったく異なる。元の文章では、娘へすべてを譲る旨が記されていた。つまり、偽装はここにあった。
すぐに司法書士会と公証人役場に通報し、偽造が正式に認定された。ようやく核心に辿り着いた。

やれやれ、、、と呟いた夜の調査

全てのピースが揃った晩、俺はひとり事務所で茶をすすった。サトウさんはとっくに帰っていた。
「やれやれ、、、」と天井を見上げた。また書類で人の裏の顔を知ってしまった。疲れる職業だ、本当に。
けれども、誰かの本当の願いを守れたのなら、それでいい。そう思うようにした。

サトウさんが見つけた一枚のスキャンデータ

事件後、整理中のUSBから一枚のスキャンデータが出てきた。消えた女性の直筆メモだ。
そこにはこう書かれていた。「もし私がいなくなったら、サトウさんに渡してほしい。彼女なら見抜いてくれる」。
「……え、私宛?」サトウさんが一瞬だけ顔を歪めた。珍しく表情に動きがあったのが、何より印象に残った。

五年前に送られたはずの最後の手紙

本来の手紙は一度も投函されていなかった。犯人が途中で奪った可能性が高い。
だが、その手紙が残されていたことで、真相が見えた。手紙は届かなくても、書いた事実は消えない。
法的には消えていた存在でも、その想いが真実を導いたのだ。

失踪の真相と語られなかった別れ

女性は自ら姿を消した。理由は家庭内暴力と甥の脅迫だった。だが、証拠が乏しく、訴えられなかったのだという。
彼女は身を守るため、すべてを遺すために“失踪”を選んだ。決して死を選んだわけではない。
そして五年後、ようやく事実が明るみに出た。皮肉にも、書類と手紙によって。

家族を守るための沈黙

遺された娘には、新しい人生が待っていた。彼女は母が生きていたかどうかよりも、その想いを知れたことに涙していた。
「母は全部守ってくれてた」と彼女は言った。沈黙も、逃げも、愛のかたちだったのだ。
司法書士はただ、記録を確認し、書類を通してそれを証明したに過ぎない。

登記完了と届かなかった宛先

最終的に相続登記は娘へと完了した。偽造した甥には刑事告訴が進んでいる。
あの古びた封筒は、結局どこから来たのか明らかにはならなかった。が、それもまた物語の余白として残った。
書類の中にこそ、真実が宿る。司法書士として、その重みをあらためて噛み締めた事件だった。

司法書士は書類で真実を語る

探偵でも刑事でもない。ただの司法書士だ。だが、俺たちには「書類」という武器がある。
契約、証明、遺志。人の人生の節目には、必ず何かが書かれて残される。それが俺たちのフィールドだ。
「また変な依頼がきましたよ」とサトウさんの声が聞こえる。また物語が始まりそうな、そんな朝だった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓