空白の筆頭

空白の筆頭

空白の筆頭

蒸し暑い午後、古びたエアコンが軋む音だけが事務所に響いていた。俺が手にしていたのは、依頼人が持参した戸籍謄本。そこには異様な空白があった。筆頭者の欄に、なにも書かれていない。

「これは……どういうことだ?」俺が独り言のように呟くと、奥の席でサトウさんがパタリと書類を閉じた。

「それ、単なる記載ミスとは思えませんね。しかも、提出されたのは謄本じゃなく、妙に鮮度のある抄本。胡散臭いです」

謎の戸籍相談

依頼に来たのは中年女性だった。落ち着かない様子で、自宅の名義変更をしたいという。父が亡くなり、自分が相続する予定だというが……「戸籍を取り寄せたら、筆頭者が空欄で」と、不安げに語った。

彼女の目は泳いでいた。俺は聞いた。「その戸籍、原本はありますか?」すると彼女は一瞬黙り込んでから、小さく頷いた。

「ただ、それ……役所からもらったわけじゃなくて、父の金庫の中から見つかったものなんです」

筆頭者欄に記載がない理由

戸籍は制度上、筆頭者が必ず存在するはずだ。だが目の前の抄本には、そこがごっそり抜けている。見落としにしては不自然すぎる。

俺は別の疑念を抱いた。これは、真正な戸籍ではない。もしくは、制度の狭間で生まれた「存在してはいけない戸籍」かもしれない。

「やれやれ、、、本物かどうか確かめるには、本籍地に飛ぶしかないな」俺は、椅子から重い腰を上げた。

サトウさんの冷静な分析

「ちょっと待ってください、シンドウ先生」背中から声が飛ぶ。「これ、昭和43年以前の様式じゃないですか? その時期に除籍された家系なら、今の様式では筆頭者が記録されていない可能性もある」

俺は振り返った。「おお……そうか。でも、そうだとすると、今この戸籍が使われているのは変だな」

「ですね。誰かが意図的に古い形式を再利用している。登記目的で」

古い戸籍簿の落とし穴

市役所の戸籍課は、アニメの町内会のようにのんびりしていた。まるで磯野家の波平が「なんじゃこれは!」と怒鳴りながら調べ物をしていそうな雰囲気だ。

職員に確認すると、確かにその家系の戸籍は昭和の初期に閉鎖されていた。しかし、記録には筆頭者の名があった。つまり、依頼人の持つ抄本は何かを隠すための改変物だった。

「筆頭者の名を消す理由……か。これは、遺産争いの匂いがするな」

かすれた印字に潜む意図

俺はもう一度、その抄本を見直した。表面の印字は、まるで家庭用のプリンターで出したように不鮮明だった。印影も、どこかズレていた。

「サトウさん、スキャナーとプリンターで何か偽造できそうか?」

「余裕で可能ですね。最近はAIで文字起こししてから、加工まで全部できますから」彼女の冷めた言葉に俺は背筋を伸ばした。

法定相続人が一人もいない?

被相続人とされる父の戸籍を追ったが、法定相続人はどこにも記されていなかった。だが、本来なら娘である依頼人が筆頭者でなくとも記載されているはずだ。

「つまり、依頼人は本当の娘じゃない可能性がある?」

「その線、あります」サトウさんは淡々と答える。

空家の登記と不審な委任状

依頼人の目的は、相続登記だった。古びた空家の名義を自分に変えたいというのだ。その際に提出された委任状を見て、俺は眉をしかめた。

「この筆跡……他の書類と違うな。誰が書いたんだ?」

そして決定的だったのは、委任状に貼られた印紙が、過去に収入印紙の偽造で摘発された種類のものだったことだった。

登記簿の住所に住む第三者

空家と思われていた物件には、実は一人の高齢男性が住んでいた。俺が訪ねると、驚いた顔をして言った。「ああ、この家は昔、弟のものだったが……いつの間にか知らん名前で登記されていたんだ」

彼の話から、亡くなったはずの“父”とは全く別人であることが判明した。つまり依頼人は、他人の財産を狙っていたのだ。

「これはもう、警察に投げる案件ですね」サトウさんの目が鋭く光る。

かつての住人が語った真実

その老人は、若い頃に家を出て以来連絡も取っていなかったという。「兄は戦後に帰らず……そして、弟が一人でこの家を守った」

この話と戸籍の内容は辻褄が合っていた。つまり、依頼人の言う「父」はこの家とは無関係だ。

「偽造戸籍を使って空家を相続する——それが目的だったんだな」俺の声が重く落ちた。

系譜の空白が示す隠された過去

調べを進めるうち、依頼人は複数の空家の名義変更を試みていたことがわかった。すべて筆頭者欄に不備があり、同様の手口だった。

筆頭者の空白。それは、家系の消えた穴ではなく、彼女が作り出した「隙間」だった。そこに入り込み、資産をかすめ取る——まるでキャッツアイのような、しかし悪質な犯罪だった。

「やれやれ、、、まさか戸籍がトリックになるとはな」俺は小さく呟いた。

地元役場に眠るもう一つの戸籍

決定打となったのは、地元役場に保管されていた昭和時代の戸籍台帳だった。そこには、依頼人の名などどこにもなかった。

逆に、彼女が名乗った名前は、20年前に失踪扱いされた別人のものだったと判明した。

盗まれたのは戸籍だけではない。名前も、人生も、まるごと誰かのものだったのだ。

サトウさんの逆転の一手

「これで決まりですね。偽名、偽造戸籍、偽造委任状——詐欺で送検されるでしょう」サトウさんが静かに言った。

「最後に一つだけ」俺は尋ねた。「なぜ筆頭者を消したんだろう?」

「偽造元と特定されないためです。筆頭者が記録されていたら、その戸籍の元を簡単に辿られてしまうから」

筆頭者不在は偽装だった

筆頭者不在。それは制度の欠陥ではなかった。人為的に作られた「穴」だった。だが、その穴はあまりにも雑だった。

俺はコピーした戸籍を手にして言った。「偽造戸籍って、表から見たらそれっぽく見えても、裏にある“つながり”までは偽れないもんなんだな」

サトウさんはすでに書類整理に戻っていた。「だから先生、うっかり書類の順番間違えないでください」

やれやれ、、、うっかりしてたが今回もなんとかなった

外は蝉が鳴いていた。俺は冷たい麦茶を飲み干しながら、今日の出来事を思い返していた。

偽造戸籍、偽の娘、消えた筆頭者。やれやれ、、、気づけば、また一件片付けてしまった。俺はそっと椅子にもたれた。

元野球部だったからか、いつもピンチの場面に回ってくる。だが、どんな変化球が来ようと、最後にはちゃんと打ち返してやる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓