古びた謄本が持ち込まれた日
事務所の扉が軋む音とともに、男がひとり入ってきた。帽子を目深にかぶり、視線はずっと床を見ている。彼の手には、黄ばんだ一通の謄本が握られていた。
「この土地の登記、何かおかしい気がするんです」——そう言いながら差し出された書類には、確かに妙な点がいくつもあった。僕は直感的に、これはただの相談では終わらないと思った。
依頼人は顔を伏せたままだった
彼は名を名乗らず、身分証の提示も拒んだ。ただ、どうしても誰かに見てほしかったのだろう。謄本の持ち主にしては、登記内容に詳しすぎる印象だった。
背筋を伸ばすことなく椅子に沈み込むように座るその姿に、僕はかつてのドラマ『古畑任三郎』の犯人たちを重ねた。どこかに、確実に「隠しているもの」がある。
登記事項に残る奇妙な空白
閲覧した謄本のなかに、明らかに登記日付が飛んでいる部分があった。本来あるべき所有権の移転が見当たらない。書き換えられた形跡すら感じさせない不自然な空白だった。
僕は司法書士として多くの謄本を見てきたが、ここまで見事に“穴を開けた”ようなものは珍しい。そこに何が書かれていたのか、想像すらさせない沈黙だった。
サトウさんの冷静な観察眼
その後、件の謄本をデータベースで照合していたサトウさんが、眉一つ動かさずにぽつりと漏らした。「この謄本、OCRが一部読み取れません。何か細工してありますね」。
僕が最初に見た違和感は、やはり間違いではなかった。細工。それが“誰にとって都合の良いものか”を考えることが、司法書士としての推理の出発点だ。
筆界のブレと所有者の矛盾
一番最近の地積測量図と照合したところ、実測と登記が十坪以上ずれていた。しかも、その境界をまたいで家が建っている。これでは新しい買主が現れたら揉めるのは必至だ。
さらに登記上の所有者と現地の使用者がまるで違うという点にも引っかかった。まるで、誰かが意図的に別人を立てて、この土地を“使わせて”いたような形跡があった。
過去の所有者の意外な接点
前所有者の名前に見覚えがあった。かつて、相続登記で揉めに揉めた家の一族の名前だった。その時は確か、弟が兄に無断で相続を済ませたという不祥事があった。
今回の土地も、当時の兄の名義になっている。だが、兄はすでに他界していたはずだ。どう考えても、今ここにある謄本の登記内容は、死者の意思を超えて操作されている。
同姓同名という偶然の罠
調査を進めると、同じ名前を持つ「別人」の存在が浮かび上がってきた。登記の世界では、同姓同名は時に最大のトリックになる。そこに悪意が加われば、もはや犯罪の温床だ。
謄本に記された住所を追跡すると、そこには小さなプレハブ小屋があるだけだった。やれやれ、、、こういう手合いは、コナンの世界だけにしてほしい。
地元の法務局でのひと騒動
証明書類の確認のために法務局を訪れた。だが、目的の閉鎖登記簿謄本の一部が閲覧できない状態になっていた。「閲覧制限中」の一言が書かれた張り紙が、かえって怪しかった。
窓口職員は歯切れが悪い。「システムの更新中でして」と言うが、何かを隠しているような気配があった。僕はその違和感を抱えたまま、奥にいる係長に面会を求めた。
保存ファイルの謎の欠落
係長の話によれば、「データ保存の不具合で一部のPDFが壊れてしまった」とのことだった。だが、実際には「壊れた」ファイルが特定の案件にだけ集中している。
偶然とは思えない偏り。そして、その中心にいるのが今回の土地だった。これはもう、ただの技術的ミスでは済まされない。誰かが故意に削除したとしか考えられない。
司法書士の直感と踏んだ賭け
僕は、証拠が失われた今こそ動くべきだと判断した。サトウさんが独自に保管していた過去の補正記録の写しが、最後の砦になった。うっかりしてるようで、過去はちゃんと記録していた自分に感謝。
そして決定的だったのは、平成十五年に一度だけ行われた所有権更正登記の手続きミスの記録。そこに今回の事件の起点が隠されていた。
昔の登記簿に隠された真犯人の影
そこには、今回の依頼人と一致する筆跡で補正申請が出されていた。名前は兄、だが印鑑は弟のもの。偽造された印影と、古い申請書の矛盾が証拠になった。
真犯人はやはり依頼人本人だった。正体は亡き兄の財産を一人占めしようとした弟。謄本は、黙っていたが決して嘘をついてはいなかった。
決め手は一枚の写し謄本
サトウさんが、あの日のために保管していた謄本の写しには、消される前の所有者名がしっかり記録されていた。登記の世界では、写しが時に真実を救う。
「先輩、そろそろうっかりだけじゃ通用しませんよ」——サトウさんの塩対応に、思わず笑ってしまった。だが僕は知っている、こういうときほど彼女は心強い。
犯人の動機と哀しい結末
犯人は兄に幼少期から虐げられていたらしい。金銭を搾り取られ、親の遺言もすり替えられたと主張していた。今回の犯行は、ある意味で“復讐”でもあったのだ。
だが、それでも正義は正義。登記簿は公正であるべきもの。歪められた登記は、誰かの未来を狂わせる。僕は静かに、その訂正申請の準備に取りかかった。