朝のコーヒーと知らない郵便受け
今朝も例によって、うちのポストには間違った郵便が入っていた。隣の部屋――202号室宛の封書だ。しかし、ふと気づいた。あの部屋の表札、前から名前が出ていただろうか?
司法書士として登記簿を見る機会は多いが、自分の隣人については案外無知だ。そんな小さな違和感が、僕の頭を鈍く叩いた。
壊れたインターホンのその先で
202号室のインターホンは鳴らなかった。ピンポンすら壊れているのか、無反応だった。郵便物を手にしながら数秒待ったが、中から音はしなかった。
「ま、また今度でいいか」そう思って戻ろうとした瞬間、ドアが数センチだけ開いた。誰かがいる。けれど覗き穴からこちらを見る視線の気配はない。
隣室の契約者は誰か
その日の午後、僕は法務局で登記簿を確認してみた。202号室は確かに分譲マンションの一室で、所有者は五年前から変更なし。しかし、住民名と一致しないのだ。
賃貸か?いや、賃貸借契約があるなら管理会社が把握しているはずだ。僕の司法書士としての勘が、何かがおかしいと騒ぎ出していた。
管理会社は沈黙する
「個人情報ですので…」と、管理会社の担当者は型通りの返事をした。だが、僕の方も伊達に司法書士をやっているわけじゃない。
「居住実態が不明で、相続登記絡みの確認が必要です」と切り込むと、相手の顔色が一瞬で変わった。
サトウさんの冷たい推理
「ストーカーか何かですか?」
サトウさんが冷たい目でそう言った。僕が202号室の件を話すと、彼女はため息まじりに「やっぱり変なことに首を突っ込むんですね」とぼそり。
「いや、ほら、登記簿に載ってないんだぞ? 普通じゃないだろ?」僕が言うと、彼女は黙ってPCを開いた。
やれやれ僕の昼飯はいつも中断される
カップラーメンにお湯を注いだところで、サトウさんが「その部屋、登記簿じゃ所有者が死亡扱いになってる」と言った。
思わずお湯をこぼしそうになった。「は?登記が未了ってこと?じゃあ、誰が住んでるんだ」
「知らないから問題なんでしょ。やれやれ、、、この事務所、昼飯が落ち着いて食べられた試しがないですね」
登記情報に現れない名前
調査を進めると、どうやら所有者が三年前に亡くなり、相続登記がなされていなかったことが判明した。そして、住んでいるらしい女性は、どうやら元愛人らしい。
「昼ドラかよ…」と僕が呟くと、サトウさんが「というより、コナンの初期エピソードですね」と返してきた。
不在票の筆跡
202号室のポストにあった不在票のサインは「ミズキ」と読めた。調べたが、その名前での登記記録も住民票も出てこない。
影のように暮らす誰か。正体を隠す理由とは。僕の中のルパン三世が「これは面白くなってきた」とニヤける声を上げた。
ご近所トラブルは過去形か現在形か
近所の老婦人がぽつりと呟いた。「あの人、旦那さんが亡くなった後もしばらくここにいたけど、最近は…よく深夜に誰か来てるのよ」
不法占拠か、あるいは遺産隠し?どちらにしても、司法書士の出番だ。事実関係を明らかにしないと、登記もできないし、何より落ち着かない。
ゴミ置き場の証拠
ゴミ袋に貼られた名前シール「ミズキ」が、管理規約違反を証明した。正式な住民ではない誰かが、居住しているのだ。
「これ、相続人が知ったら問題になりますね」とサトウさん。事案は一気に現実味を帯びてきた。
司法書士が使う最終手段
司法書士としてできることには限りがある。けれど、調査嘱託や登記手続きの促進には法的な手段もある。
僕は相続人と接触し、相続登記の依頼を受けることで、法的に202号室の現状を是正するきっかけを掴んだ。
サザエさん方式で解決しない夜
しかし、最後は綺麗に終わらない。居住者は明確にならず、法的には占有者として扱われ、立ち退きの協議は弁護士案件となった。
「サザエさんなら波平さんが説得して解決だろうな…」僕はため息をついた。
サトウさんの皮肉と少しの笑顔
「それで?活躍しましたアピールですか?」とサトウさんが言う。
「まあ、多少はね」僕が鼻を鳴らすと、「うっかりさんにしては、まあまあですね」と珍しく笑った。
やれやれ、、、少しだけ報われた気がした。
隣人は誰の幻想だったのか
202号室の明かりは、今も夜になると灯る。しかし、正式な登記も契約もない。誰かがそこに住んでいるのは確かだ。
だが、その“誰か”が誰なのかは、まだ闇の中にある。
玄関の鍵と答え合わせ
ふと、僕の部屋の前にも小さな紙が落ちていた。裏には「ありがとう ミズキ」とだけ書かれていた。
幽霊か、それとも現実の人か。玄関の鍵はそのままに、僕はただポケットの中でそれを握りしめた。
いつもの事務所に戻ってきた静けさ
事件というほどの事件じゃなかったのかもしれない。でも、僕の中では何かが少しだけ動いた気がする。
コーヒーはぬるくなっていた。いつもの日常に戻る。やれやれ、、、やっぱり僕は司法書士だ。