謎の依頼人が現れた日
雨音が事務所の窓を叩いていた午後、入口のチャイムが控えめに鳴った。ドアを開けると、グレーのスーツに身を包んだ男が、しっとりと濡れた封筒を差し出してきた。目元にどこか影があり、名前を尋ねても曖昧な微笑みでごまかされた。
雨の中の一通の封筒
封筒の中には、ある合同会社の設立書類が入っていた。登記自体はさほど難しくないが、代表者欄には年配の女性の名前が記されている。どう見てもこの依頼人とは関係なさそうだ。依頼内容の説明も曖昧なままで、不安が残った。
サトウさんの鋭い視線
「この人、自分の名前を一度も名乗ってませんでしたね」——帰った直後、サトウさんがぽつりとつぶやいた。その目は、刑事コロンボのように細く鋭く光っていた。やっぱり彼女は只者じゃない。俺よりずっと鼻が利く。
法人登記の奇妙な依頼
依頼内容を検討してみると、設立後すぐに代表者が辞任し、別の人物に交代する予定だという。しかも会社の実態はなく、住所もバーチャルオフィスだった。名義貸しの匂いがする。これはただの登記手続きでは済まされないかもしれない。
代表取締役はただの名義人
記載された代表者の名前を調べると、過去に複数の会社の設立に関わっていることが判明した。しかも、どの会社も短期間で解散している。どうやら表に出るのを避けた誰かが裏で操っているようだった。
株主リストの不自然な空欄
さらに奇妙だったのは、株主リストが未記入で提出されていたことだった。「後で追って提出します」とのメモがついていたが、実質的支配者の記載義務があるこのご時世に、それはあまりに無防備すぎる。いや、意図的か。
名義の中の空白
司法書士として、俺は実質的支配者欄の記載を促す義務がある。だが、その欄だけが綺麗に空白だった。まるで、そこに書いてはいけない名前があるかのように。
実質的支配者の記載欄
最近の法改正で、こうした空白は明らかにアウトだ。だが、「記載する者がいません」と突っぱねるような様式は、むしろ堂々としていて妙にリアルだった。あの依頼人の目と同じくらい、嘘が上手い。
登記簿に載らない存在
登記簿に名前が載るのは表の世界の話だ。本当に恐ろしいのは、その裏側に名前を載せずに操る者たち。まるでルパン三世に出てくる“影の財閥”のような、正体不明の存在だ。
顧客情報と裏のつながり
依頼人の身元を突き止めようと、事務所で過去の取引データを洗い直していた。その中に、一度だけ似た筆跡の依頼書があった。住所は都内のタワーマンションだが、登記上の所有者は別人。うっすらとつながりが見えてきた。
元帳に隠された別の住所
登記の副本を確認したところ、代表者の実際の連絡先として別の住所が記されていた。それは、過去に詐欺で摘発されたファンドの登記と同じ場所だった。偶然とは思えない。何かが蠢いている。
闇金との関係を疑うサトウさん
「これ、裏に闇金絡んでませんか」サトウさんが腕組みをしながら言った。彼女の目は探偵事務所のカガリのように冷静だった。表に出てこない支配者、それを隠す名義の連鎖。やっぱりこの案件、やばい。
司法書士としての葛藤
俺の仕事は登記をすること。でも、それが明らかに悪用されると分かっていて、手続きを進めるのはどうなんだ。正直、報酬も悪くない。でも、このまま受けていいのか?モヤモヤが腹の奥で渦巻いた。
書類を受け取るか断るか
「最終的な判断は先生がされるべきです」と、サトウさんは突き放すように言った。やれやれ、、、この事務所、精神の修行でもしてるつもりか。だが俺は、書類をそっと閉じた。まだ間に合う。
やれやれと呟きながらの調査
やれやれ、、、と呟きながら、俺は司法書士会の相談室に電話をかけた。「名義貸しの疑いがある案件ですが、匿名で相談できますか?」そんな一歩からしか、俺にできる正義はないのかもしれない。
古い登記から浮かぶ影
十年前の登記データを調べていくと、まったく同じ構成の会社が浮かび上がった。代表者も、所在地も、事業目的すらも同じだ。そしてその会社の末路は、詐欺被害者の集団訴訟だった。
十年前の解散登記と一致する名
代表者名義の人物は、今では高齢で施設に入っていた。どうやら本人確認を経ずに、名義だけを使われていたようだ。現代の闇の中に、昭和の名義が利用される皮肉に寒気がした。
別人格で繰り返される設立
設立しては解散、名義を変えては再設立——そのパターンは、まるで時代劇に出てくる“抜け道の達人”のような狡猾さを感じた。だが、やり方は昭和のままでも、制度はもう令和だ。
サザエさん方式の名義ロンダ
いわば“今日の主役はマスオさん”的なシステムだった。登記簿に現れる名はいつも違うが、中身はずっと同じ奴が動かしている。それが“名義のない支配者”だ。
表の顔と裏の顔の使い分け
名義人はマスオさん、実権は波平さん、そして黒幕は実はタマだった……そんなブラックジョークを思いつきながら、俺は書類の山に目を戻した。笑えない話だが、登記の世界では日常茶飯事だ。
名探偵サトウの推理ショー
「結局、表に出てくる人間を調べても意味がないんです。本当に調べるべきは、金の流れです」サトウさんの言葉に、俺はぐうの音も出なかった。やはり彼女は、この業界で最強の推理パートナーだ。
黒幕との対面
司法書士会に連絡し、行政の調査が入った。その数週間後、タワーマンションの一室で“名義のない支配者”と目される男が逮捕された。俺の目の前に現れたその男は、あの日の依頼人ではなかった。
地方の老舗企業の一族
逮捕された男は、かつて地元の名士だった企業の御曹司だった。事業に失敗し、裏社会に資金を求めて転落していったらしい。登記簿では見えない、人生の堕ち方がそこにあった。
司法書士への警告
「先生のような人間がいると困るんですよ」連行される前、男は不気味な笑みを浮かべて言った。俺は答えなかった。ただ黙って、彼の姿が見えなくなるまで見届けた。
選ぶべき書類の行方
書類の提出期限はとうに過ぎていた。登記はされなかった。そしてその法人も、存在しないまま霧のように消えた。俺の机の上には、未提出の登記申請書だけが残された。
提出か告発かの岐路
司法書士としての選択肢は限られている。だが今回は、“提出しない”という決断が、最も正義に近かったと信じたい。サトウさんも、何も言わなかった。ただ、そっと珈琲を置いてくれた。
サトウさんの選んだ正義
「先生、少しは役に立ちましたかね」サトウさんのその一言が、なんとも胸に染みた。俺はコーヒーを一口すすり、やっと少しだけ肩の力が抜けた気がした。
事件の後で
あれから、特に何も変わっていない。俺たちの事務所は、今日も地味な登記書類とにらめっこしている。それでも、何かを守れたという実感が、どこかに残っている。
空を見上げる登記官の背中
登記所で見かけた若い職員が、空を見上げて「今日も何事もなくてよかった」と呟いていた。その背中が、妙にまぶしかった。やれやれ、、、まだまだ俺の出番は続きそうだ。
俺たち司法書士の戦いは続く
怪盗や名探偵が目立つこの時代でも、地味に闘う司法書士がいる。書類一枚が、誰かを守ることもある。俺は今日も書類を手に取り、机に向かった。