朝の電話は境界から始まった
「シンドウ先生、ちょっと土地のことでご相談があって…」
電話口の女性の声は、どこか切羽詰まった響きを含んでいた。
この町のはずれにある住宅街。古くからの家が立ち並ぶその一角で、境界が曖昧なまま売買された土地があったらしい。
目の前の土地は誰のものなのか
午前十時。現地に向かった私は、曇天の下に立つ二軒の家を見上げていた。
庭先を分かつ境界杭はどれも傾き、草むらに埋もれていた。
そして、杭の一本にはひらひらと赤いスカーフが結ばれていた。
スカーフの女と二軒の家
「これは、うちのじゃありません。あちらの奥さんの趣味でしょう」
依頼人の女性は眉間に皺を寄せ、隣家をにらみつけた。
しかしその視線の先では、もう一人の女性が無言で窓を閉めるところだった。
赤い布がはためく境界杭のそば
スカーフは風にあおられて小さく揺れた。
その色だけが、この灰色の町並みに鮮烈だった。
どこかで見たことがある。ふとそんな既視感に襲われた。
依頼人は隣の奥さん
その午後、隣家の奥さんが事務所にやってきた。
「あなたのところに電話したのは私です」
名乗りもせずにそう言った彼女の目は、どこか怯えていた。
線を越えたのは土地か、それとも感情か
「実は、あの土地…私が勝手に杭を動かしたかもしれません」
小声で告白したその内容は衝撃だった。
だが、感情的な争いに発展する前に、事実の確認が必要だった。
確定図面にない曖昧なライン
地積測量図には、正確な数字が並んでいるはずなのに、現場と合わない。
古い測量のミスか、あるいは誰かの意図か。
不自然にずれた杭の位置が、すべてを物語っていた。
測量図と古い記憶のズレ
隣家の奥さんは、亡き夫が生前何かを悔やんでいたと話した。
「昔、間違って人の敷地に植木を…それが原因で…」
曖昧な境界は、ずっと二人の間に楔のように打たれていたのだ。
サトウさんの塩対応と鋭い指摘
「先生、こっちの筆界点、どう見てもおかしいですよ」
サトウさんが無表情で測量資料を突き出してきた。
「ていうか、このスカーフって、境界杭の仮標じゃないですか」
「見ればわかるでしょ」と彼女は言う
その一言に、私は自分のうっかりさを悔いた。
怪盗キッドの変装くらい堂々とした目印を、私はずっと「飾り」だと思っていた。
やれやれ、、、どうしてこうも大事なことを見逃すのか。
スカーフの行方を追う
その赤いスカーフは、町内会の測量用に一時的に設置された目印だった。
だが、何者かがそれを境界の主張に使った可能性が浮上する。
「思い込み」が真実をねじ曲げることもあるのだ。
風に舞った証拠の布
突風が吹き、スカーフが杭から外れて宙を舞った。
まるで過去の誤解とわだかまりを連れて行くかのように。
二人の女性はその様子を黙って見つめていた。
元野球部の直感が走る
「そもそもこの杭、逆に打ち込まれてる…」
ボールの回転を見るかのように、私は杭の打ち込み方向に違和感を覚えた。
やはり、誰かが意図的に入れ替えていたのだ。
「あの杭、おかしくないか?」
言いながら、私は一本の杭を抜いた。
その根元には赤鉛筆で記された「仮」との文字が。
正式な境界ではなかったことが、これで確定した。
古い登記と未確定の責任
最終的に、両家ともに境界確定の協議に同意した。
そして、それぞれの感情にも一つの区切りがついた。
紙の上の線は引けても、心の境界線は簡単ではない。
誰がスカーフを置いたのか
結局、あのスカーフは町内の測量士が仮設したものだった。
だが、それを誰が意図的に使ったかまでは分からなかった。
「動機なき意図」こそが、一番やっかいな謎かもしれない。
やれやれ、、、真相はこんな場所にあった
スカーフの真相は些細なことだった。
だが、それが巻き起こした人間模様の複雑さに私は疲れた。
「やれやれ、、、たまにはスカーフじゃなく、温泉タオルでも眺めていたいもんだ」
赤は目印でもあり、嘘でもあった
赤い布は、ただの仮杭のしるしだった。
だが、それを見た人間の心が作り出した嘘が、事件を生んだ。
真実は、いつも「思い込み」のすぐ隣にある。
境界は確定されたが心の距離は
後日、二人の女性が共に境界確定の申請に訪れた。
ほんの少し、笑顔がこぼれたのを私は見逃さなかった。
紙の線を引くのが私の仕事だが、人の心の距離まではなかなか測れない。
司法書士にできることと、できないこと
私は机に戻り、静かに申請書類を整えた。
この町には、まだまだ曖昧な「線」が残っている。
だが、それを少しずつ確かなものにしていくのが、きっと私の役目なのだ。