静かな町の騒がしすぎる登記簿
亡き地主の家に残された謎の一行
古びた町の外れにある空き家に、ひとつの不動産取引が持ち込まれた。依頼主はやたらと静かで、目を合わせないまま登記簿を差し出してきた。
登記簿の所有権欄には、既に亡くなっているはずの人物の名前が記されていた。そのままならよくある話だが、抵当権の設定日が妙に新しかった。
「これは……おかしいですね」と、つぶやいた声が事務所に響いた。
一枚の謄本が告げる違和感
サトウさんがコピー用紙をめくりながら、眉をしかめた。「この抵当権、設定者の署名があいまいです。筆跡も違う気がします」
僕は自分のコーヒーカップを眺めながら、そっとため息をついた。「亡くなってる人の署名が、新しい書類にあるって、幽霊が判子押したのかな」
サトウさんは答えなかった。氷のような視線だけが返ってきた。
依頼人は寡黙な元銀行員
抵当権抹消を求める理由
依頼人は元銀行員だと名乗ったが、細かい説明は避けた。とにかく急いで抵当権を抹消したいのだという。
「銀行にはもう関係ない」と繰り返すその姿は、まるで自分自身にも言い聞かせているようだった。
僕は黙って頷き、手元の書類に目を落とした。だが、その焦りが何かを隠しているのは明らかだった。
物言わぬ証書と無言の圧力
提出された委任状の印影は、どこか奇妙だった。朱肉のにじみ方が均一でない。捺印直後に引きずったような跡もある。
「急ぎたい理由って、本当にそれだけですか?」とサトウさんが聞いた。依頼人はうつむいたまま答えなかった。
沈黙が重くのしかかる。だがその中に、確かな違和感が残った。
サトウさんは微笑まない
調査開始と事務所内の温度差
翌日、僕とサトウさんは地元の法務局へ向かった。そこには、過去の登記に関する記録が眠っている。
車の中、ラジオから流れてきた『サザエさん一家』のメロディがなんとも場違いだった。「昭和か」と僕がつぶやくと、サトウさんは無言だった。
「タラちゃんだったら、すぐ『ねえママーこの人うそついてるー』とか言いそうだけどな」などと軽口を叩いてみたが、やっぱり反応はなかった。
元野球部の直感と塩対応の推理
法務局の閲覧室で、分厚い閉架資料をめくりながら、ふと気付いた。過去の登記簿にあった住所と、今回の登記の住所が微妙に違っていたのだ。
「字が違います。町の名前が一文字だけ変わってる」と、サトウさんが即座に反応した。
「やれやれ、、、僕の直感もまだ捨てたもんじゃないな」と言ったら、「そうですね、直感だけは」と塩対応された。
登記の時系列が語る歪み
平成と令和の間にあった空白
問題の登記は、ちょうど平成の末期から令和への切り替わりの間に設定されていた。いわば時代のはざまだ。
その混乱に乗じて、登記がすり替えられた可能性があった。しかも、抵当権者の住所は架空のもので、今は存在していない。
つまり、この登記には誰も実在していないかもしれない。抵当権者の告白は、架空の人物の嘘だったのだ。
裏書きされた委任状の怪
問題の委任状には、表の署名のほかに、裏面にもう一人の名前が書かれていた。それは依頼人の亡き父の名前だった。
「この人……あなたの父親ですよね」と問い詰めたとき、依頼人の顔が青ざめた。
「父が……勝手に人の土地に抵当権を設定していたんです。私は……それを清算したかっただけで……」
告白は午後三時のコーヒーと共に
元抵当権者の語るもう一つの契約
午後三時、再び訪れた依頼人は震える手で一通の手紙を差し出した。父親が書いたもので、そこには「申し訳ないが借金のカタにした」とあった。
そこに記された「もう一人の借主」の名は、かつて父が銀行員時代に担当していた顧客のものだった。
「これは……架空契約ですね」とサトウさんが断言した。抵当権は、ただの虚構だった。
真犯人は登記簿の外にいた
抵当権設定の裏にある親族トラブル
実はこの土地、依頼人の父が親族との相続争いに負けそうになった際、意図的に「抵当権がある土地だから」として分割を回避した形跡があった。
そのために、偽造の契約と抵当権を設定し、それを登記簿に残したのだ。時間が経ち、死後にその嘘が依頼人に降りかかってきた。
結局、司法書士の出番というのは、誰かの罪や誤魔化しの後始末ばかりだ。
登記原因証明情報の再点検
シンドウの気付きとサトウの答え
僕は、改めて登記原因証明情報の一字一句を確認した。そこに使われていた「合意解除」という言葉に、サトウさんが引っかかりを見つけた。
「この文言、定型のはずなのに、過去に使われた文書と微妙に違います」
データベースをあたり、過去の定型文と比較して、偽造であることを確定させたのは、まさしく彼女の力だった。
証書が暴いたのは人の欲
抹消の裏に残ったもう一つの契約
真相が明らかになり、土地の権利関係は再調整された。依頼人も罰は免れたが、法務局からの厳重注意が下された。
だがそれよりも重かったのは、父親の遺した「嘘」の重みだった。
「最後に真実を知っただけでも、まだ救われました」と依頼人は涙を流した。
事件の結末と司法書士の憂鬱
法務局からの電話と静かな拍手
事件が終わったその夜、事務所に静寂が戻った。法務局からは「丁寧な調査に感謝します」と珍しく礼の電話があった。
「シンドウ先生、少しだけ役に立ちましたね」とサトウさんが言った。まるで『キャッツアイ』のラストみたいな空気だった。
僕は背もたれに寄りかかりながら、「やれやれ、、、疲れただけだよ」とつぶやいた。
そして、誰も抵当権を語らなくなった
静かすぎる抹消登記の完了報告
抵当権抹消登記は、淡々と完了した。法務局から戻った証明書は、あまりに静かで無機質だった。
だがそこに至るまでには、人間の欲、嘘、そして赦しが詰まっていた。
そして僕は、またひとつ書類の山の中に埋もれていくのだった。