登記簿が語る執念の跡

登記簿が語る執念の跡

朝一番の依頼人

その日は妙に湿度の高い朝だった。窓を開けても風はなく、書類の端がじっとりと重たく感じられる。いつものようにコーヒーを入れていると、インターホンが鳴った。

ドアを開けると、黒いワンピースに身を包んだ女性が立っていた。長い髪に湿気がまとわりつき、手には分厚い謄本の束を抱えていた。目が合った瞬間、ただならぬ気配を感じた。

謎の女と謄本の束

「この物件のことでご相談したくて……」と彼女は切り出した。机に置かれた謄本の束は、同じ地番の過去10年分以上に及ぶ登記記録だった。しかも手書きの付箋がびっしりと貼られている。

彼女の語る内容は妙に詳しかった。法務局の職員でもここまで綿密に調べはしないだろう。地番の経緯、所有者の変遷、持分割合の微細な変化まで全て網羅していた。

物件所在地が二重に示す意味

問題の物件は市内でもやや古めの住宅街にあった。しかし奇妙なのは、公図と現況が微妙にズレていることだった。登記簿には隣接する土地との境界に関する記載が曖昧で、その不確かさが彼女の執念を呼び起こしているようだった。

「この土地には、ある人の想いが残っているんです」と彼女は言った。それが何を意味するのか、そのときはまだ理解していなかった。

妙に詳しすぎる相談内容

話を聞けば聞くほど、彼女の知識の深さが際立っていく。所有者の戸籍まで取り寄せ、婚姻歴や転籍先までも把握していた。まるで探偵のようだった。

「登記って、嘘をつけないでしょ?」と彼女は微笑んだ。だがその笑みは、不気味なほど静かだった。

彼女の言葉の端々に光る不自然さ

サトウさんが黙ってメモを取りながら、ふと呟いた。「この人、たぶん元カノですね。この物件、過去の恋愛と結びついてますよ」

一見ただの登記相談に見えて、その根底には情念のようなものが渦巻いている。やれやれ、、、ただの持分移転の相談じゃなかったようだ。

サトウさんの冷たい推理

サトウさんはパソコンを操作しながら、旧姓をキーワードに法務局のオンライン登記情報を引き出していく。「この名字、5年前に隣地の所有者として記録がありますね」

そして次の一言が鋭かった。「彼女、この家を取り戻したいんじゃなくて、“居場所”を再現したいんですよ」

過去の登記簿に眠る「愛」

確かに、登記簿の履歴を追えば、ある男性が離婚後にすぐ売却している。そして、その直前にその女性の旧姓が甲区欄に現れていた。つまり、かつてふたりはこの家に住んでいたのだ。

恋愛の記憶が不動産の履歴として、ここまで鮮明に残るとは。名探偵コナンもびっくりの“恋の伏線”だった。

所有権移転の連打が意味するもの

さらに調べてみると、登記の名義人が短期間で3回も変わっていた。すべて男性の親族名義。仮装売買か、あるいは何らかの形で彼女を遠ざけようとした痕跡かもしれない。

執念とは、法の網目をも潜る力を持つらしい。

甲区欄に記された旧姓の連続

奇妙なことに、数件先の空き家にも彼女の旧姓が登記履歴に現れていた。地番をまたいで“執念”が拡がっていたのだ。まるで登記簿全体が、彼女の想いの地図となっていた。

それは恋というより、執着に近い感情だった。

接触する元所有者

電話帳を頼りに、元所有者である男性に連絡をとった。会ってくれたのは、静かな郊外の喫茶店。彼は開口一番、「まだ、あいつが動いてるんですか」と呆れたように笑った。

「あの家は、もう思い出だけでいいはずだったのに」と呟くその声には、疲労と後悔が滲んでいた。

「売ったのではない、奪われたんだ」

彼の話によれば、かつての恋人との別れは穏やかなものではなかったらしい。彼女は別れを拒み、家に執着し、法的手段に近い方法で彼を責め続けたという。

「売ったのは俺の意思だ。でも、あれは……逃げだった」と彼は語った。

婚姻届と登記の奇妙な連動

その後、彼女は婚姻届を出さずに「事実婚」で住み続けたことを主張していたらしい。そして登記簿にその証跡を“残す”ような動きをした。まるで愛の証明が書類上に必要だったかのように。

それが、彼女の「登記簿に刻まれた愛」の正体だった。

女が執着したものの正体

結局、彼女は「家」そのものよりも、「そこに住んでいた過去」に執着していたのだ。かつてのふたりが過ごした記憶。それが不動産の形を借りて現れていただけだった。

その感情を、“登記”というかたちで保管しようとしたのだ。

恋と登記の境界線

愛と契約は、別物である。恋は時間とともに変わるが、登記はその時点を切り取ったまま残る。彼女はそれを利用し、愛の延命を図っていた。

だが、それは“思い出の墓標”でしかなかったのだ。

「未練」という名の持分割合

調べれば調べるほど、持分の不自然さが露呈した。あきらかに贈与や名義貸しに近い動きがあり、彼女の執念がその裏で糸を引いていた可能性が高い。

未練とは、持分登記のように数字で割り切れない。

やれやれ、、、法務局まで巻き込むのか

サトウさんがぼそりと「法務局で面談記録見ますか」と提案したとき、俺は頭を抱えた。「やれやれ、、、面倒ごとに限って、役所の人は親切なんだよな」

法務局職員からも「またこの方ですか……」と、微妙な苦笑が返ってきた。

サザエさんの波平的圧力に負けない方法

職員の対応は波平のように厳格だったが、逆にそれがヒントになった。「執念には執念で返す。正攻法では負けますよ」とサトウさん。

俺たちは形式上の持分整理に着手し、静かにその“執念”を断ち切る準備を進めた。

元野球部の勘が決め手となるとき

最後の決め手は、彼女が法務局に提出した一通の陳述書。文体が、5年前に問題となった別の案件と一致していた。「同一人物です」と俺が確信したとき、試合終了のホイッスルが聞こえた気がした。

すべてを知ったその夜

夕暮れの事務所でコーヒーをすする。彼女は二度と現れなかった。持分整理は無事完了し、元所有者のもとに法的な安堵が戻った。

「登記で愛は守れませんから」とサトウさん。正論すぎて反論の余地なしだ。

シンドウが見抜いた登記の嘘

うっかり者の俺でも、今回は最後に気づけた。登記に残るものと、人の心に残るものは、決して一致しないということを。

過去を記録する書類と、過去を生きる人間。そのズレが、今回の事件の核心だった。

サトウさんの淡々とした喝破

「やっぱ恋愛と登記は、分けて考えないと」と冷静なサトウさん。俺はただ、「うん……」と頷くしかなかった。

執念は実らず

彼女の執念は、不動産という形をとっても成就することはなかった。むしろ、それが逆に過去の清算を遅らせていたのだろう。

人は、書類ではなく、心の中にこそ本当の“記録”を残すべきなのかもしれない。

真実を知った彼女の選択

数日後、彼女から登記の取り下げ依頼が届いた。それは未練の終わりを意味していた。最後の決断は、登記簿ではなく、彼女自身の心が下したのだ。

不動産を超えたはずの愛の結末

愛は法では縛れない。恋は所有できない。そんな当たり前のことを、俺たちは再確認した。

静かな朝に戻って

事件が終わった朝、また湿った空気が窓から入り込む。俺はコーヒーを淹れ、書類を眺めながらつぶやいた。

「やれやれ、、、今日も何か起こりそうだな」

書類の山とコーヒーとため息

机の上には、別の登記相談のファイルが積まれていた。息を吐いて、椅子に深く座り直す。サトウさんの打鍵音が心地よく響いていた。

そして次の依頼が鳴る

インターホンが鳴る。時計は午前9時を指していた。新たな物語の幕開けを告げるように。

俺はもう一度深いため息をついて、ゆっくりと立ち上がった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓