朝の来客とサトウさんの違和感
九時ちょうど、チャイムの音が事務所に鳴り響いた。珍しく訪れたのは、ネクタイの曲がった中年男。手には茶封筒が握られていた。
「登記をお願いしたいんですが……急ぎで」
一瞬の間を置いて、サトウさんが表情を変えた。視線の先には、男の差し出す封筒がある。
奇妙な手続き依頼
中に入っていたのは、委任状と登記申請書の控え。それ自体はよくあるものだ。だが住所が、今は使われていないはずの司法書士会の旧会館になっていた。
「ええと、この住所……今って使われてましたっけ?」
私の問いに、男は目を泳がせながら「ええ、昨日も行きました」と答えた。
司法書士会の封筒
茶封筒の裏には、明らかに使い古された司法書士会のロゴがプリントされていた。しかも、それは五年前に変更された旧ロゴだった。
「……これは、ちょっと見せてもらっていいですか」
サトウさんが珍しく私に目で合図を送ってきた。つまり、これは何かある。
封印された記録簿
早速登記情報を確認してみたが、件の土地は未登記のままだった。司法書士会が保管している謄本の写しも見つからない。
「サーバーにも記録がありません。完全に未提出……のようです」
書類だけが存在し、登記はされていない。それはまるで、形だけの幽霊登記のようだった。
登記簿謄本の不在
登記簿を扱う立場として、謄本が見つからないというのは不気味だ。まるで、事件そのものが存在しなかったことにされたようだった。
「法務局にも記録がありませんね」
サトウさんが淡々とプリントアウトされた検索結果を机に置く。違和感は、確信へと変わりつつあった。
廃棄された証拠
念のため、旧会館について調べてみると「一部改装中」とのことだった。だが、さらに調べると驚くべきことが判明した。
「この旧会館、五年前に内部不祥事があって閉鎖されたはずですよ」
そう言った私に、サトウさんは小さくうなずいた。
司法書士会館への訪問
午後、私たちは旧会館を訪れた。薄暗い玄関口には誰の気配もない。鍵はかかっていないが、明らかに「歓迎されていない空気」が漂っていた。
「失礼します」
声をかけても返事はない。埃まみれの床に、最近の靴跡が残っていた。
閉ざされた扉と無言の職員
奥の事務室に入ると、資料を整理していた年配の男がこちらを振り返った。無言で私たちを見るその目に、警戒心がにじんでいる。
「司法書士のシンドウです。少し、確認したいことがありまして」
名刺を差し出しても、男は何も答えず、静かに資料棚の扉を閉めた。
監査室の存在
不審に思ったサトウさんが、廊下の壁に貼られた案内図に目を止めた。「監査室」と書かれた部屋が、この階の奥にある。
「行ってみましょう」
返事をする間もなく、サトウさんがずかずかと歩き出す。相変わらず、行動が早い。
怪しい委任状の筆跡
その監査室には、数冊の古い台帳とともに、先ほどの委任状の控えが紛れていた。
「……やっぱりありましたね。これ、過去に提出されたものですよ」
筆跡は、今日の依頼者のものと完全に一致していた。
筆跡鑑定と過去の書類
委任状の下に紙が一枚重ねられていた。日付は五年前。つまり、今日の依頼は「二重提出」だったということになる。
「二重登記の偽装……ですかね」
サトウさんがぼそりとつぶやく。私の背筋が冷たくなる。
もう一人の依頼人
調べていくうちに、五年前にも同じ土地について登記が試みられていたことがわかった。だが、申請は却下され、記録ごと抹消されていた。
「これは、誰かがわざと記録を消したんだな……」
犯人は、今もこの司法書士会の中にいるのかもしれない。
サトウさんの冷静な推理
「ところでこの申請書、使ってる用紙が古すぎます。印刷時のインクの劣化が激しい」
サトウさんの言葉に、私は再び書類を見直した。確かに、最新のフォーマットではない。
それはつまり、五年前の申請をそのまま使って再提出した、ということだ。
机の中の封筒
旧会館の職員の机を見せてもらうと、そこには全く同じ委任状が何通も未提出のまま眠っていた。
「これはもう……組織的な不正ですよ」
私たちの目が合った瞬間、同じ結論に達していた。
見落とされた謄本の番号
最後に決定打となったのは、登記簿番号の末尾が改竄されていたことだった。印刷ズレによってかすれていたが、明らかに数字が書き換えられていた。
「これ、他人の土地にすり替えようとしてたのか……」
サトウさんの冷静さに、私はただ頷くしかなかった。
会館で起きた過去の事件
やがて、五年前に内部処分を受けた職員のリストが見つかった。その中には、今日来た依頼者の名前もあった。
「まさか、もう一度仕掛けてくるとは……」
私は苦い顔で過去の報告書に目を通した。
五年前の処分記録
処分理由は、「登記申請書の不正操作」。その内容は、今回のものと酷似していた。
「二度あることは三度……いや、今回は止められたということでしょう」
やれやれ、、、こういう仕事をするたび、胃薬が手放せなくなる。
口封じされた内部告発者
さらに調べると、不正を告発しようとした職員が、直後に退職していたことも判明した。
彼が残したメモには、「このままでは再発する」との言葉が残されていた。
それは、まさに現実となっていたのだ。
真犯人との対峙
司法書士会の理事長に事情を説明すると、顔色を変えて資料を回収し始めた。
「今後、調査委員会を立ち上げます」
逃げ切れると思っていたのだろう。だが、もう扉は閉じられない。
会議室での告白
会議室で詰め寄った結果、依頼者本人が認めた。「私がやった。でもあれは、組織ぐるみだったんだ」
その言葉に、誰も言葉を返せなかった。
やはり、扉を閉じていたのは組織そのものだったのだ。
鍵を持っていたのは誰か
全ての記録は職員の一人が保管していた。その者が鍵を管理し、過去の資料を「廃棄済」として隠していた。
「真実は、鍵のかかった引き出しに残っていましたね」
サトウさんが静かに言った。やっぱり、彼女には敵わない。
司法書士会の沈黙
事件後、司法書士会は一切のコメントを拒否した。公表されたのは、「内部調査中」の一文のみだった。
「予想はしてましたけどね」
私はため息をつきながら、メディアの取材依頼を断った。
報道されなかった処分
結局、処分は内部だけで終わった。報道機関にも載らず、事件は静かに葬られた。
「まるで、サザエさんの次回予告みたいですね。なにも変わらない」
サトウさんの皮肉に、私は苦笑するしかなかった。
隠蔽体質の壁
「でも、私たちは見つけた。それで十分じゃないですか」
いつになく穏やかな声で言うサトウさんに、私は黙ってうなずいた。
……やれやれ、、、また一件落着、ということか。
すべての書類が揃ったとき
数日後、書類一式を法務局へ提出し直した。依頼者の土地ではなく、本来の所有者のもとへと正しく登記がなされた。
「これでようやく、本来の姿に戻りましたね」
封印された扉の先にあったのは、ただの紙切れに過ぎなかった。
登記申請と真相のリンク
登記は事実の記録である。しかし事実は、時に人の手で歪められる。
その怖さを、私はまた一つ学んだのだった。
紙と印鑑の奥には、人の闇が潜んでいる。
サインが語るもの
書類に残されたサインは、依頼者本人のものであることが判明していた。だが、そこにあったのは後悔か、諦めか。
いずれにせよ、記録は記録として残る。
そして私は、それを未来に届ける係なのだ。
日常への帰還とひとこと
事務所に戻ると、サトウさんはすでに次の案件の書類をチェックしていた。私はコーヒーを片手に、椅子に沈み込む。
「もう少しで野球中継だったのに……」
ぼやく私に、サトウさんはひとこと、「録画してますよ」と返した。
サトウさんの小言
「ちゃんと背広、クリーニング出してくださいよ。埃くさかったです」
いつもの塩対応が心地よい。私は小さく笑った。
この事務所の平和が、今日もなんとか守られたようだ。
やれやれと言いながら
私は深く椅子にもたれながら、天井を見上げた。
「やれやれ、、、また次の依頼が来る前に、少し昼寝でもするか」
そんなことをつぶやきながら、私は一瞬だけ目を閉じた。