登記簿が誘う記憶

登記簿が誘う記憶

朝の静寂と一通の封筒

八月の朝、蝉の鳴き声が事務所のガラスを震わせていた。僕がようやく椅子に腰を下ろしたその時、郵便受けから重たげな音がした。差出人は見覚えのない名前、封筒の端には「遺産分割協議について」と印字されていた。

サトウさんが手際よくコーヒーを置き、「内容証明ですね」とだけ言った。僕はそれを聞いてため息をついた。「やれやれ、、、今日は静かに登記簿でも眺める予定だったのにな」と呟きながら封を切った。

記録が物語る異変

手紙の中には、昭和五十年代に名義変更された土地の件が記されていた。奇妙なのは、その土地の持ち主が依頼者の亡き父ではなく、まったく別の人物になっていることだった。だが、現在の登記簿では父の名が確かに載っている。

まるで時系列がぐちゃぐちゃになったマンガのコマを読んでいるようだった。これは登記のミスか、それとも、、、。疑念が心を占めていった。

遺産分割協議と不在者の名前

協議書には、兄弟姉妹の名前が並び、そこに「ハタノ トオル」という聞き覚えのない人物の署名があった。依頼者曰く「そんな人、家族にいない」とのこと。だが、この人物が持ち分の一部を主張しているらしい。

これは相続人不存在どころか、逆に“存在しないはずの相続人”が現れた状況だ。サトウさんは「これ、面白くなってきましたね」と言った。僕には背筋が寒くなるだけだった。

登記簿に浮かび上がる影

過去の登記簿を確認すると、「ハタノ トオル」の名前は確かに数十年前に存在していた。しかし、住民票の移動記録も戸籍の附票も見つからない。存在はするが、どこにも実態がない。

怪盗キッドが変装で人を騙すように、この男も紙の上だけの幻影なのか。なぜか脳裏に、古びた探偵漫画の一コマが浮かんだ。

旧家の土地に隠された歴史

依頼者の実家は、戦後の混乱期に一度焼け落ち、土地の所有権も一時的に他人に移っていたことが判明した。その時期に登記された「ハタノ トオル」が、どうやら後年の名義変更の鍵を握っているらしい。

土地そのものは戻ってきたが、書類上の“ゴースト”だけが取り残されていたようだ。昔の名残が今になって顔を出してきたのか。

名義変更の謎と亡き父の嘘

さらに調査を進めると、依頼者の父が一度、土地を親族ではない人物に仮登記で渡していた形跡があった。だが、その後に仮登記が抹消されていた。理由は「本人確認不可による登記不備」。

「なかったこと」にされた履歴。それを父親が意図的に消したのなら、、、。依頼者の顔から笑みが消えていった。

サトウさんの冷静な推理

「シンドウ先生。これ、お父さんが亡くなる前に誰かに頼んで名義戻してますね。ハタノさん、もしかすると、、、」サトウさんが戸籍の附票と昔の登記の筆跡を並べながら言った。

「筆跡、これ一致してます。たぶん“ハタノ トオル”は偽名で、依頼者のお父さん自身です」僕はコーヒーを噴き出しそうになった。

過去の登記記録と現在の矛盾

つまり、過去の混乱期に土地を守るため、父は仮名で登記をしていた。その後、自分の本名に戻すため登記をやり直した。だが、完全に抹消しきれなかった“影”が残ったままだったのだ。

その結果、現在の相続時に、故人が創り出した偽名が、実在の相続人として浮かび上がってしまったという構図だった。

消えた戸籍ともう一つの家族

この“影”のような存在が、登記簿の中でのみ生き続けていたという皮肉。さらに確認を進めると、旧姓のまま籍を抜かれていた“隠し子”が存在した形跡も浮かび上がった。

“もう一つの家族”に向けられた遺産隠しの構図が、登記簿という無機質な書類の中に刻まれていた。

住民票の転出と謎の養子縁組

戸籍と住民票をたどると、一度だけ“ハタノ”という名字で転出していた記録が見つかり、さらにその先で養子縁組されていた記録が判明した。つまり“影”は、確かに実在していたのだ。

依頼者の父は自分の息子を守るため、別の姓で育てさせ、土地だけを残すという形で“遺言”を残したつもりだったのかもしれない。

暴かれた偽装相続の構図

すべての証拠が整い、「ハタノ トオル」は父のもう一人の子であり、正式な相続人だということが分かった。依頼者は驚き、しかし納得していた。

登記簿は嘘をつかない。ただ、時には真実を“封印”することはある。それを解き明かすのが、僕ら司法書士の役割なのだ。

登記簿が導いた真実の名前

結果として「ハタノ トオル」は正式に相続人として登記され、すべての財産は兄弟で分ける形で合意された。誰も得をせず、誰も損をしない、そんな決着だった。

でも、一番大きな財産は“父の秘密”を知ったことだったのかもしれない。

真相と、その後の静けさ

蝉の声が止み、風鈴の音が代わりに事務所に響いた。サトウさんは「これでまた、記録が静かになりましたね」とだけ言った。

僕はというと、山積みの登記簿の横で、缶コーヒーを開けた。「やれやれ、、、これでしばらくは平和かな」と言った直後、電話が鳴った。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓