名前を渡さぬ家
名義変更とは、ただの手続きだと思っていた。だが、それを拒む者が現れると、話は別だ。司法書士の仕事は、時に謎解きに似ている。いや、むしろ探偵まがいだ。
忙しい朝と一本の電話
カップラーメンに湯を注いだ瞬間、電話が鳴った。事務所の固定電話からである。湯気の立つキッチンを背に、受話器を取った。
「あの、土地の名義変更をお願いしたいんですが……」
声の主は初老の女性だった。名義変更?いつものことだ。そう思っていた、この時までは。
土地名義変更の相談者
やって来たのは、地元では有名な旧家の未亡人だった。彼女は静かな口調で、亡き夫の名義を自身に移したいと語った。
書類も一通り揃っている。ただ、ひとつだけ気になる点があった。印鑑証明書が、家族の一人分だけどうしても出てこないのだ。
「その人が、名義変更を拒んでいるんです」と彼女は言った。
ただの手続きではなかった
「拒んでる……?つまり同意していない?」とサトウさんが冷たく聞き返す。
彼女の声には、いつものように一切の感情がない。ただ、まるで何かを見抜いているようだった。
名義変更に同意しないというのは、実際にはよくあることだ。ただし、それが「なぜか」が重要なのだ。
見えてきた家族のねじれ
事務所に戻って登記簿と戸籍を確認する。相続関係説明図を作っていると、奇妙な名前が浮かび上がってきた。
「この人、20年以上前に音信不通になってますね」とサトウさんが静かに言った。
「てことは、今どこにいるかもわからんのか……」
近所で囁かれる噂話
古い家というのは、往々にして人間関係が複雑だ。近所の人に聞き込みをしたところ、驚くべき話が出てきた。
「あそこの息子さん、昔からあの家を出たい出たいって言ってたよ。ほら、波平さんに叱られて反発するカツオくんみたいな感じで」
サザエさん一家を思い出して、苦笑いを浮かべる。
サトウさんの冷静な着眼点
「でも不思議ですよね」とサトウさんが言う。「彼が拒否する理由、本当に家に対する反発だけなんでしょうか?」
その一言に、何かひっかかりを感じた。確かに、相続を拒むには動機が必要だ。
ただの反抗期をこじらせたまま、大人になるだろうか?
名義変更を拒む本当の理由
話を整理していくと、どうやら拒否している人物は「ある秘密」を知っている可能性が高いことがわかってきた。
それは、名義を移すと何かが失われる――たとえば、誰かが所有権を手放すと同時に、真実が表に出るということだ。
「これは、手続きじゃなくて、告発なんじゃないですか」とサトウさんがつぶやく。
昔の登記簿が語る過去
倉庫にしまい込まれていた古い登記簿を開くと、見覚えのない地目変更の記録があった。
「この時期に農地から宅地に変わってる。しかも同日に、別の名義人の登記も……?」
どうやら、過去に何かが仕込まれていたようだ。シロウトには気づかないような、小さなズレが浮き彫りになってきた。
消えた相続人と不自然な遺言書
件の相続人が実は東京で暮らしていることが判明した。探偵事務所に依頼して居場所を突き止め、連絡を取ると、彼は驚くべきことを話し始めた。
「あの遺言、母さんが無理やり書かせたんです。本当は父の意思じゃない」
これで、すべてがつながった。拒否は抵抗だったのだ。家族の嘘への、最後の砦。
やれやれ疲れる話だな
「やれやれ、、、こういうのが一番面倒なんだよ」と、つい口から漏れてしまう。
昼を食べ損ねていたせいもある。カップラーメンはもうとっくに冷えていた。
でも、目の前の謎がほどけたことに、少しだけほっとしていた。
それでも真実に向き合う
名義変更は止まったままだ。しかし、それは悪いことではなかった。
嘘の上に築いた家は、いつか崩れる。彼が拒んだのは、父への敬意だったのだ。
真実を明らかにした今、名義よりも大切なものが動いた気がした。
決定打は委任状の不備
「そもそも委任状が公証されていない時点で、この手続きは進まなかったんですよ」とサトウさんが事務的に言う。
冷静で、鋭くて、でも絶対に怒らない。その態度がむしろ怖い。
「あなた、まさか全部わかってたんじゃないか?」と聞いたが、返事はなかった。
真相と依頼人の涙
後日、依頼人の女性が一人で事務所に現れた。涙を浮かべながら、深く頭を下げた。
「私、あの子の気持ちを何もわかってなかった……」
それを聞いても、サトウさんは特に表情を変えなかった。ただ俺は、冷めたラーメンをレンジに入れ直した。
シンドウが見た司法書士の役割
事件ではなかった。殺人も、盗難も、失踪もない。ただ、そこに確かにひとつの「真相」があった。
司法書士というのは、紙と印で人の人生を扱う仕事だ。その重みを改めて感じた。
「名義変更を拒んだのは、家じゃない。人だよな」