旧社名で登記を出してしまった日のこと

旧社名で登記を出してしまった日のこと

一文字違いが命取りになる世界

商業登記の世界では、一文字の違いが大きな意味を持ちます。ある日のこと。いつも通り朝からバタバタしながら準備を進め、依頼人から預かった会社情報をもとに登記申請書を作成しました。特に問題なさそうだと最終チェックを終え、法務局に提出。しかし、そのとき私は決定的なミスを見逃していたのです。「旧会社名」がそのまま残っていたことに気づいたのは、すべてが終わったあとでした。

提出した瞬間は自信満々だった

「よし、今日の山場は乗り切ったな」そう思いながら、法務局の窓口を後にした私は、まさに“自分やればできる”モードでした。日頃から自分に厳しい方ではありますが、登記の書類は一通り確認したし、事務員との連携も問題なし。スムーズに終わった感があり、コンビニでちょっと良いコーヒーまで買って帰るほど、機嫌はよかったのです。あの時点では、まさか自分がとんでもないミスをやらかしていたとは夢にも思わず。

旧社名に気づいたのは事務所での違和感

戻ってから、なんとなく気になって控えの書類をもう一度見たんです。そこに書かれていたのは、数ヶ月前に変更されたはずの旧社名。「え?嘘でしょ?」と思わず声が出ました。事務員も驚いた顔でこちらを見て、「前に新しい会社名を聞いてましたよね」と冷静に言うものだから、もう逃げ場なし。なぜこのまま提出してしまったのか、自分でも理解できない。ただただ、自分の確認不足を呪うしかなかったんです。

戻ってきた書類に愕然とした午後三時

午後三時。法務局からの電話。「申請書に記載された会社名が違います」と。ああ、やっぱりか…。受話器を置いたあと、何とも言えない虚無感が襲ってきました。すでに完了通知を待つモードに入っていた頭は、その瞬間から“やり直しモード”に切り替わり。やり直しの手続き、再度の登記申請、説明資料の準備…頭の中でタスクがドドドッと膨れ上がっていく。あの電話一本で、すべてがひっくり返ったような感覚でした。

なぜミスは起きたのか

どんなに慎重に仕事をしているつもりでも、人間ですからミスはあります。そう思いたい気持ちはありますが、今回の件は完全に自分の油断でした。忙しさにかまけて「いつものパターン」で処理してしまったこと。過去の情報をベースにしてしまったことで、最新の正しい情報に対する注意が抜け落ちていた。確認の基本を怠った、それに尽きます。

確認したつもりの落とし穴

人間、「確認したつもり」が一番危ない。私はまさにそれでした。事務員からのチェックも通っていたし、過去のデータをベースに再利用したから、まるで自動運転のような気分だったんでしょう。けれどその“つもり”が落とし穴なんです。自動車運転だってナビが間違えば目的地には着かない。登記だって、正確な情報を見直すのが仕事なのに。結局、確認した「気になっていただけ」だったんですよね。

依頼人とのやり取りの曖昧さ

今回の件、依頼人からのメールにも一応は「新社名で」と書いてあったんですが、正式な書類は旧名のまま送られてきたんですよ。そこがまた落とし穴。どちらを信じるかで迷ったまま、結局“前回と同じでいいか”という悪魔のささやきに負けてしまった。依頼人も、まさか旧社名で出すとは思っていなかったようで、後日「本当に間違って出しちゃったんですか?」と驚かれました。そりゃそうですよね。自分でも信じられませんから。

疲れと焦りが判断を鈍らせる

ちょうどその日は、午前中に別件の登記と相続の相談が2件入っていて、昼ご飯もコンビニおにぎり1個。空腹と焦りが混じると、頭が回らなくなるんですね。野球部時代なら「水飲むな、気合いでカバーだ」なんて言われてましたが、司法書士の仕事は気合いじゃどうにもなりません。疲れた状態での判断は、本当に危険です。今回はまさにそれが引き金になりました。

事務員との空気も微妙になる

こういうミスをすると、事務所の空気も一気に重くなります。うちは事務員が一人だけなので、関係がこじれると仕事が回らない。特に今回のような自分の凡ミスは、相手にとってもストレスだったはずです。謝っても、気まずさはしばらく続くわけで。人間関係の修復もまた、司法書士の大切な業務の一部なのかもしれません。

「前にチェックしたじゃないですか」と言われ

事務員に「これ前にも確認しましたよね」と言われた瞬間、心がギュッと締め付けられる感じがしました。そう、たしかに確認していた。だけど自分が最終的に見落としていた。どこかで「まぁ大丈夫だろう」と思ってしまったその油断が、すべてを崩した。事務員は責めるわけでもなく淡々と言っただけなのに、なぜかその一言が一番効いたんですよね。言い訳のしようがないだけに。

元野球部的には三振した気分

これはもう完全に空振り三振。しかもノーアウト満塁のチャンスで、自分のミスで逆転負けしたみたいな感覚でした。社会に出てからこんなに悔しい三振を食らうとは思っていませんでしたが、司法書士という仕事は、ある意味で毎日が試合です。打席に立って、結果を出すのが仕事。だからこそ、このミスは本当に情けなかったし、やるせなかった。

登記のやり直しは地味に痛い

登記のやり直しって、意外と手間がかかるんですよね。まずミスを認めた上で、訂正の申請をして、場合によっては委任状や印鑑証明も取り直し。相手にも時間を割いてもらう必要があるし、信頼も少なからず揺らぎます。今回のように完全にこちらのミスだと、再発防止のための仕組みづくりまで必要になってきます。

登録免許税は戻らないのが現実

一番痛いのがこれ。登録免許税は基本的に返ってこないんです。登記を間違えて出した場合、やり直しは自腹。依頼人にも申し訳ないし、こちらの負担も大きい。今回の登記も数万円の税金が消えていきました。利益なんてまったく残らないどころか、赤字。精神的ダメージと経済的損失のダブルパンチは、なかなか堪えます。

依頼人への説明に胃が痛くなる

「申し訳ございません、実は旧社名で登記してしまいまして…」と説明する時間ほど、嫌な時間はありません。相手が怒っていないとしても、自分の中では土下座しているような気持ち。特に地方の依頼人は温厚な方が多いだけに、なおさら自分の不甲斐なさを感じます。なんとか笑って許してくれましたが、もう二度と同じことはしたくないですね。

こういう日もあると自分に言い聞かせる

どんなに注意していても、完璧な人間なんていません。そう思っていなきゃやっていけない仕事です。ミスをしたときにどう立て直すか、そこに本当の価値がある。そう自分に言い聞かせながら、今日もまた、書類に目を通すのです。失敗した分だけ、次の登記は慎重になる。それもまた、経験という名の財産です。

ミスをしても責任は自分が取るしかない

どんなに小さな事務所でも、責任者は私。ミスは全部、自分が引き受ける。それがしんどくて、たまに「なんでこんな仕事選んだんだろうなぁ」と思うこともあります。でも、不思議と辞めようとは思わない。責任を取るのも、自分の手で信頼を取り戻すのも、どこかでやりがいになっているんでしょうね。だから今日もまた、慎重に一つひとつ書類を確認しています。

それでもまた明日はやってくる

落ち込んだ翌朝も、同じように太陽は昇ります。仕事もまたやってきます。人間関係も、信用も、ミスを経て少しずつ積み上げるしかないんです。司法書士の仕事は、派手さはないけれど、地味に大切な積み重ねの連続。旧社名で出してしまった登記の失敗も、いつか誰かの役に立つかもしれない。そう思いながら、今日もまた、登記簿とにらめっこしています。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。