自分を甘やかす方法が分からないまま大人になった

自分を甘やかす方法が分からないまま大人になった

自分を甘やかすって何なんだろうか

「自分を甘やかす」と聞くと、なんとなくネガティブな響きがある。ずっと「厳しくあるべき」「努力を続けるべき」という呪いのような価値観の中で生きてきたせいかもしれない。司法書士として独立してからは、特にそれが強くなった気がする。周囲に迷惑をかけられない、一人でなんとかするしかない、そんな気持ちに追われる日々。そんな中で「今日は休んでもいい」「自分を労ってあげよう」という発想は、まるで贅沢に思えてしまう。でも、そんなに頑張ってばかりで、本当に大丈夫なのか、と最近思うようになった。

甘やかすと怠けるは同義語なのか

「自分に甘い」と言えば、「怠けている」「だらしない」といった評価がつきまとう。でもそれって本当にそうだろうか?たとえば、毎日朝から晩まで働いて、夜には疲れ果てている状態で、ちょっと好きなスイーツを買って帰る。それって「甘やかし」か?それとも「ケア」か?自分を大事にする行為と、ただサボることはまったく別物だと、ようやく気づきはじめた。世の中には「休む勇気」が必要だという言葉もある。私はこれまで、その勇気を持てなかっただけなんだと思う。

元野球部的メンタルが今も足を引っ張る

高校時代、野球部に所属していたころは「水を飲むな」「気合いで治せ」「休むやつは根性がない」といった根性論が当たり前だった。正直、それが今も自分の思考のベースに染み付いてしまっている。「疲れた?それは甘えだ」「休みたい?そんな暇あるか」と、自分に厳しくすることが美徳だと信じてきた。でも、あの頃の価値観が、今の司法書士業に本当に通用するのか。体も心も、あの頃より確実に衰えているのに、同じ戦い方をしていたら壊れてしまうのは当然だ。

厳しくすることで自分を保ってきた代償

ストイックでいることは、確かに成果につながったこともあった。でも同時に、誰かに助けを求めることができなくなり、しんどさを隠す癖がついてしまった。事務員さんの前でもつい「大丈夫です」と言ってしまうけれど、内心はギリギリ。誰かに弱音を吐くことも、自分をねぎらうことも「いけないこと」と思い込んできた。でも、それって実は自分の首を絞めてるだけなんじゃないか。気づいたときには、もう笑う余裕もなくなっていた。

司法書士としての毎日は「甘え」と無縁

開業して10年以上、朝から晩まで働くのが当たり前になっていた。相談の電話は休日にも鳴るし、依頼の急ぎには応えなければならない。周りからは「独立しててすごいですね」なんて言われるけれど、実態はギリギリの綱渡り。誰かに頼るわけにもいかず、体調を崩した日も仕事をこなすしかなかった。「甘えたら負けだ」と信じていたが、その信念が自分を追い込んでいたことに、ようやく気づいた。

誰にも頼れない一人事務所の現実

事務所の中で、私と事務員さんの二人。相談はすべて私が受け、登記の判断もミスなく進めなければならない。休めば収入は減るし、仕事は後に回せば倍になって返ってくる。だから「今日はもうやめておこう」と思っても、頭の中で「それは怠けだ」とささやく声が止まらない。頼れる同業者が近くにいるわけでもなく、愚痴をこぼせる相手もいない。そういう状況が続くと、「自分を甘やかす」余地なんて残されていないと錯覚してしまう。

事務員さんにも迷惑はかけられない

せっかく来てくれている事務員さんには、なるべく気を使わせたくない。私がしんどそうにしていたら、彼女まで気を張ってしまうのが分かっている。だからこそ、無理してでも笑顔を作って「なんとかなってますよ」と振る舞う。それがまた自分を追い込む。でも本当は、少し弱音を吐いてもいいのかもしれない。自分を甘やかすことは、周囲を大事にすることにもつながると、今は思えるようになった。

「頑張って当然」が染みついた脳みそ

学生時代から、社会に出てもずっと「頑張って当然」「休んだら遅れを取る」と教えられてきた。それが刷り込まれているから、「甘える」という行為に対して罪悪感がある。でもふと考えてみた。誰のために、何のために、ここまで自分をいじめてるのか。答えは出ない。でも、ただ前に進むためだけの「頑張り」では、もう続かない。ちょっと立ち止まって、心に優しくする時間も必要なんだと、ようやく気づいた。

ちょっとだけ自分を休ませる許可

最近、意識的に「休む日」を決めるようにしている。たとえば、金曜日の夜は好きなラーメンを食べに行くとか、日曜日は何もしないでゲームをするとか。そんな小さなご褒美でも、心が少し軽くなるのを感じる。昔の自分なら「時間の無駄」と切り捨てていたけど、今はそれが次の1週間を乗り切る燃料になる。司法書士であっても、人間であることに変わりはない。自分を大切にすることで、仕事も少しずつ前向きに回りはじめた。

本当は疲れてると気づくタイミング

ある日、朝起きた瞬間に「もう無理だ」と感じたことがあった。体は動くのに、心がついてこない。そういうときほど、休みを取る勇気が必要なのに、私は「でも今日は予定があるから」と言い訳して机に向かっていた。けれどその日は結局、集中力がまったく続かず、仕事のミスも増えた。結局、無理しても何の得にもならなかった。あのときちゃんと休んでいれば…と何度も思った。だからこそ、疲れに気づいたら早めに対処する癖をつけている。

何もしない時間を「悪」だと思ってないか

以前の私は、「暇=悪」だと信じていた。常に何かしていないと、価値がないような気がしていた。けれど、ソファに座って何も考えずにぼーっとする時間が、実はとても貴重だと気づいた。脳がリセットされる感じがして、次に何をすべきか自然に整理される。効率よく働くためには、こういう時間が必要なんだとやっと理解できた。司法書士としてのスキルだけでなく、「休む力」も鍛えなければ長く続けられないと痛感している。

一人暮らしでも心を緩める方法

誰もいない家に帰ると、ついスマホを見ながらまた仕事のことを考えてしまう。そんなときは、お風呂にアロマを入れて、あえてスマホを置いてみる。それだけで不思議とリラックスできる。人に甘えるのが苦手なら、自分だけのご褒美時間を作ればいい。静かな夜にコーヒーを入れて、昔の漫画を読む。そんなささやかな時間が、次の日の自分を少しだけ優しくしてくれる。

それでも自分を甘やかしてみた日

ある金曜日、仕事を早めに切り上げて、地元の温泉に行った。タオル1枚で湯船に浸かって、空を見上げたとき、「ああ、こういうのを甘やかすって言うんだな」と思った。誰の許可もいらない、ただ自分のためだけの時間。その日以降、少しずつだけど「自分に優しくする」練習をしている。無理して頑張るだけが人生じゃない。少し自分に甘くすることで、周りにも優しくなれる。そんなふうに思えた日だった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。