聞いてるフリのプロになってしまった日

聞いてるフリのプロになってしまった日

愚痴を受け止めきれない日もある

事務所で事務員さんの愚痴を聞く時間、それが「業務」の一部になりつつある。事務員さんも頑張ってくれている。理不尽なお客様対応、電話の嵐、書類の山。そりゃ言いたくもなる。けれど、正直に言うと、すべてを受け止める余裕がこっちにない日もある。そんな自分を責めてしまうが、心がパンクしそうになる瞬間だってあるのが現実だ。

優しさだけでは背負いきれない現実

昔から「優しそう」と言われることが多かった。確かに怒鳴ったり、突っぱねたりは苦手だ。でも「優しさ」って、持続力が必要なんだと最近痛感する。特に、疲れ切った日の「話聞いてください」は、心にズシンとくる。悪気がないのもわかってる。それでも、こっちもフラフラなのに、片手間にでも聞くふりをするしかない自分がいて、余計につらい。

元野球部のメンタルでも投げ出したくなる

中学高校と野球漬けの生活をしていた。理不尽な監督、泥だらけのグラウンド、気温35度でも声出し全開。そんな青春を過ごしてきたから、多少の根性には自信があった。でも司法書士になって、人の話を毎日聞き続けるというのは、また別の耐久戦だ。汗と声で乗り切れる類のものじゃない。静かで、じわじわと効いてくるストレスに、気づいた時にはノックアウト寸前だった。

事務員さんの声が重く響く日

ある日、朝イチから立て続けに電話対応をしていた事務員さんが、午後になって「ほんと、もう限界です」と漏らした。たぶん、彼女の中ではちょっとした吐き出しのつもりだったんだろう。でもそのときの私は、登記のミスを恐れて神経を尖らせていて、その一言に、頭がガンと痛んだ。「限界」なのはこっちも同じだった。でも、それを口には出せないのがつらかった。

聞くふりの裏にある罪悪感

うんうん、と頷きながら、心は登記簿謄本の中を泳いでいる。そんなことが増えてきた。表面上はしっかり聞いている風。でも実際には、ほとんど耳に入っていない。申し訳ないと思いつつも、自分の業務でいっぱいいっぱいで、集中力を分けられないことがある。聞いてあげたい。でも、それができない自分を責めるしかない。

相槌のテンプレートで乗り切っている

「そうなんだ」「それは大変だったね」「分かるよその気持ち」――この3つのフレーズを繰り返している自分に気づいた時、ゾッとした。まるでAIのように、感情のない反応をしていた。それでも、相手は「聞いてくれてありがとう」と言ってくる。心苦しくてたまらなかった。聞いている“ふり”の技術が身についてしまったことに、笑えない自嘲を感じる。

心ここにあらずの自分に気づいてしまう

ある時、事務員さんに「先生、今の話ちゃんと聞いてました?」と笑いながら言われた。冗談っぽく言われたけど、図星だった。その時の自分は、目の前の書類と次の申請期限のことで頭がいっぱいだった。「ごめん」と謝りながら、心の中では「もう無理かもしれない」と呟いていた。

そもそも誰が誰を支えてるのか分からない

経営者と従業員、という立場のはずなのに、最近はどっちが支えているのか曖昧になることがある。精神的には、むしろ事務員さんに助けられている側なのではと思う瞬間もある。でも、ふとした拍子に「なんで俺ばっかり我慢してるんだろう」と思ってしまう。その葛藤が、静かに心を蝕んでいく。

小さな事務所の人間関係の難しさ

人数が少ないぶん、距離も近い。でも近すぎると、些細な一言に敏感になる。事務所が狭いから、ため息ひとつも聞こえてしまう。笑いも愚痴も全部ダイレクトだ。大企業のような「空気を読んで距離を置く」なんて文化は通用しない。だからこそ、お互いにちょっとでもズレると、空気がピリつく。逃げ場がないのが、一番しんどい。

雇ってるのに、支えられてる気がする

正直、仕事の段取りや書類チェックなど、事務員さんがいなければ完全に回らない。そういう意味では本当に頼りにしている。でも一方で、「支えてるのは俺だ」という意識が抜けなくて、そのギャップに戸惑う。経営者として、弱音を吐けないプライドもある。だからこそ、余計に疲れてしまう。

ひとりの重みが倍以上に感じる

2人しかいない職場。1人が調子を崩せば、もう1人に全部のしわ寄せが来る。私が体調不良のときは、彼女がすべてを背負ってくれた。でも、逆の立場になると、自分にはその覚悟が足りていない気がしてならない。その「重み」が、日常の中でじわじわと肩にのしかかっている。

誰にも弱音を吐けない職業病

司法書士という肩書きが、いつの間にか「我慢強さ」の象徴みたいになっている気がする。相談者の前では冷静でいなきゃいけないし、間違いが許されない世界に生きているから、弱音を吐くと「信用されなくなるかも」と思ってしまう。だから身近な事務員さんにも、本音は出しづらい。

司法書士のくせにと思われたくない

「プロなら黙ってやれ」と言われそうで、つい黙ってしまう。でも、プロだって人間だ。弱い日もあるし、どうしようもない気持ちになる時もある。ただ、その気持ちを言葉にする勇気が出ない。心のどこかで「司法書士のくせに、情けない」と思われることを恐れている。

だからこそ孤独の沼にハマっていく

誰にも話せない。かといって自分でも整理できない。そうやって悩みを内にためこみ、気づけば孤独の沼にずぶずぶと沈んでいく。誰かに「大丈夫?」と聞かれたとき、冗談交じりに「もう無理っすね」と言ってしまった自分がいた。本音がぽろっと出た瞬間だった。

それでもまた朝が来てしまう

どんなに疲れていても、朝は容赦なくやってくる。今日もまた「聞いてるフリ」をしてしまうかもしれない。でも、それでも何とか回していく。完璧じゃなくていい。聞き流してしまう日もある。でも、ほんの少しだけでも寄り添えたら、それでいいと思いたい。

誰のために働いてるのか分からなくなる時

お客さんのため?事務員さんのため?自分の生活のため?いろんな「ため」が頭をよぎるけれど、どれもしっくり来ない日もある。そんなときは、「とりあえず、今日は倒れない」を目標にしている。小さな目標だけど、今の自分にはちょうどいい。

たぶん、今日も「うんうん」って頷くだけ

正直、全てを完璧に受け止めるのは無理だ。でも、「うんうん」と頷いて、聞くふりでも続けることで、少しでも相手の気持ちが軽くなるなら、それはそれで意味があるのかもしれない。聞くふりのプロ。それも、悪くない役割なのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。