気づいたら疲れていたという現実
毎日仕事をこなしていると、「疲れている」という感覚すら曖昧になってくることがあります。疲れって、明確な原因があるときよりも、なんとなく積もっていくようなときのほうが厄介です。自分では気づかないうちに無理をしていて、ふとした瞬間に「あれ? なんでこんなにしんどいんだろう」と立ち止まる。そんな日々が増えてきました。決して誰かに怒られたわけでも、明確に大失敗をしたわけでもない。ただ、黙って淡々と積み上がっていく仕事に押し潰されそうになる感覚。司法書士という仕事柄、感情を表に出すのが難しい分、知らないうちに心が摩耗していくのかもしれません。
疲労の原因が明確じゃないからこそ厄介
司法書士として働いていると、一見すると「何がそんなに大変なの?」と思われることがあります。確かに、炎上案件が毎日あるわけじゃないし、怒鳴られたり殴られたりするような職場でもありません。でも、目に見えない責任とプレッシャーが、じわじわと心身にのしかかってくるんです。例えば、登記のミスひとつでお客様の人生に関わるような場面もありますし、言われた通りやっただけでは済まされないことも多い。そういう「ミスできない空気」が、疲れを倍増させるんですよね。
誰のせいでもないのに蓄積していくストレス
一人で事務所を運営していると、「誰かに任せる」「頼る」という選択肢がほぼありません。事務員さんはいても、最終的な責任はすべて自分に返ってきます。だからこそ、ミスの予兆すら見逃せない。確認して、また確認して、それでも心配になって夜中に思い出してしまう。こうしたストレスは、誰のせいにもできません。まさに“無記名の疲れ”です。
「何かあった?」と聞かれても困る心の状態
たまに友人や知人に「最近、元気なさそうだね。何かあった?」と聞かれることがあります。でも正直、何もないんですよ。ただただ、心が疲れてる。特にイベントがあったわけでもなく、日々のルーティンが心を削っていく。説明しようにも「仕事がちょっと大変で…」としか言えなくて、自分でも歯がゆい気持ちになります。
小さな違和感が積もり積もって
司法書士の仕事は「違和感に敏感であること」が大事ですが、それが自分自身の感覚にまで適用されてしまうのがつらいところ。たとえば、お客様の表情が曇っていた、連絡のトーンが少し冷たかった、そういう些細なことが気になってしまう。気にしないようにしようとするほど、気になってしまうんです。
書類山積みでも感情は見せられない
目の前の机に、登記簿や契約書が山のように積まれていても、それを理由に「今日はしんどい」とは言えません。誰に文句を言うわけにもいかないし、感情を出してしまえば信頼に関わる。だから無理してでも笑顔で「大丈夫ですよ」と言ってしまう。その繰り返しが、心の奥にある“疲労タンク”を満たしていくんです。
一人で抱える責任の重み
地方での司法書士事務所の経営は、都市部とはまた違う大変さがあります。人手も限られ、情報もスピードも遅れがち。そんな中でも、お客様は「プロとして当然」の対応を求めてきます。それが悪いわけではないのですが、こちらが余裕を失っていればいるほど、その「当然」に耐えられなくなってしまうことがあるのです。
忙しさに慣れたふりをしているだけ
「忙しいけど大丈夫です」と言い続けていたら、本当にそれが日常になってしまいました。ふと立ち止まると、心も身体も限界に近いことに気づきます。でも、もう止まり方を忘れてしまった。休むことにも罪悪感がある。自営業って、そういう性質があるんだと思います。倒れたら終わり。そう思うと、倒れられなくなる。
余裕がないのが日常になっている
朝起きた瞬間から「今日も何とか乗り切らなきゃ」と思っている。予定を見て、メールをチェックして、相談の内容を確認する。そうやって頭をフル回転させているうちに、もう夕方。昼ごはんを食べたかも覚えていない。こういう生活が「普通」になってしまうと、逆に何がしんどいのかもわからなくなります。
朝から疲れているという謎の現象
一番怖いのは、「寝たのに回復していない」という状態です。昔は野球部だったので、睡眠と食事があればなんとかなっていたのですが、今は違う。朝から重たい体と気持ちを引きずって、「さあ今日も頑張ろう」と言い聞かせるのが日課。これって、本当に健全なんだろうかと疑問に思う日もあります。
仕事以外に気力が残っていない
夜になると、「今日は本を読もう」「散歩でもしよう」と思っていたはずなのに、気づけば布団の中。誰かと話す元気もなければ、趣味に没頭するエネルギーもない。ただ、何となくスマホをいじって一日が終わってしまう。こうして、プライベートの時間がただの“回復タイム”に消えていくのも、なんだかもったいないですね。
次に続く日常のために
ここまで書いてきて、「じゃあどうすれば?」という答えは、実は明確には持っていません。でも、この疲れを言葉にしてみることで、少しだけ気持ちが軽くなった気がします。誰のせいでもない。でも、疲れてる。それを認めるだけでも、次に進む一歩になるのかもしれません。もしあなたも、似たような疲れを抱えているなら、「お疲れさま」と声をかけさせてください。今日も本当に、よく頑張りました。